▲興味のある方はどうぞ
前回はSSTの先生から次男が言われた「気持ちを言葉にする事が苦手」の記事を書きました。
思えば、自分も当てはまりまるのです。
私の仕事は営業なので、この「気持ちを言葉にする事が苦手」であれば、そもそも仕事として成り立ちません。
特にこの「気持ちを言葉にする事が苦手」と思い始めたのは中学校~高校の時代です。
小学校の時は、特に何も感じていなかったと思います。
多動ではありませんでしたが、先生からは落ち着きがないと通信簿に良く書かれていたのを覚えています。良く言えば、活発な子でとおっていました。
中学校になり、中学三年生頃から少しづつ、おかしいと感じていました。
自分で思うことを言葉として、何と言えばよいのか分からないのです。
おそらく小学校の頃は思ったことを何も考えず話をして、そして何も感じてなかったのでしょう。
中学校になり、思春期をむかえ話す言葉に責任を持たなければいけなくなってから、言葉のチョイスが分からなくなってしまうのです。
自分は「言語障害」の一種なのではないか?と思っていました。
言葉のボキャブラリーが少ないからなのか?と思いこの頃から小説を読み始めます。
こういうときはこう話したら良いのか?と
気になった会話や表現をノートに書きとめました。
しかし、だんだんと人と接する事が億劫になってきました。
会話もひとつひとつ考えないと言葉がでてこないのです。
高校進路を考えるに当たり、私は地元の工業高校へ進学することにしました。
私の父がコンピューター系の会社に勤めていたのも、私も将来は人と接する仕事は合わないと思ったのが大きな要因です。
高校入学当初は友達をつくる事に頑張っていたのですが、結局億劫になって疲れてしまうのです。その後はひとりで行動する事が多くなりました。
ただ学校生活は友達グループに属さないと仲間はずれやイジメに合う確率も高くなるのは分かるので、疲れるのですが皆に合わすことを考えていました。
孤独が好きとかではなく、一人でいた方が気が楽なのです。
しかし、これでは社会人として通用しないのは良く分かっていました。
当時は今みたいにインターネットも無いので、一人で仕事ができる事も限られていました。
高校三年生になり、皆進路が決まります。工業高校なので8割は就職します。
私の今の現状では就職しても、すぐ辞めてしまうことが目に見えていたので、進学を考えていました。
それも工業系ではなく、旅行の専門学校です。
私の両親の実家は九州と東北で冠婚葬祭で帰省するたびに、旅行でした。
当時は寝台特急に乗ったり、何時間も車で走ったりと帰省が長旅で楽しかったことを良く覚えています。
単純ですが旅行が好きだったからなのです。
学校や親からは反対をされました。
学校の先生は大手企業に何人就職したなどが実績や自慢になります。
それが旅行の専門学校なら話になりません。
私は旅行の専門学校を自分で探して受験をしました。
両親も反対でした。私の性格を分かっているからです。
私はこのまま就職しても辞めてしまう事を話し、短期大学も併修できる専門学校なら良いという条件と寮に入り、卒業したら地元も戻るという条件で学費などを出してくれる事に渋々了承してくれるのでした。
(つづきます)