今日は次男の中学部の卒業式でした。
とても天気が良い日でした。
この日を迎えることができるとは数年前までは考えられませんでした。
思えば・・・・
小学校3年生ぐらいから次男の学年は学校内でも目立っていました。
いわゆる「学級崩壊」をしていました。
二人の児童が特ににひどく、4年生になると授業どころではありません。
また、その頃次男はいじめにあっていました。
気の強い次男はいじめらていたことを私たちに伝えていませんでした。
このことは今でも大変悔やんでいます。
2月に上級生4名から暴行を受けた事をきっかけに学校に行けなくなりました。
もちろん小学校の卒業式もでていません。
不登校になると次男は、
日に日に幻聴や幻覚がひどく、毎日暴れたり、暴言や暴力で家族も疲弊していました。
どのようにしたらよいのか?全く見通しがつきませんでした。
色々な病院の先生に診てもらいました。評判の良い先生がいると聞いたら何時間もかけて病院で診察してもらったり、あらゆる行政に相談したり、書籍やネットなど自分なりに調べたりと出来ることは手を尽くしました。
しかし家族が限界で崩壊寸前だったので色々考えましたが入院をさせることに決めました。
地元には、児童精神科の入院施設がないため隣県の国立病院へ入院させることになりました。
隣県といいましても、家より入院の病院までは車で3時間かかります。
小学生の次男を一人親元を離れ入院させるには抵抗がありました。
しかし当時の家族の状態としては
妻は次男の対応でうつに・・・
長男も自閉症スペクトラムでもともと不安定であり、攻撃的な次男には全く対応ができません。
私も次男の対応に疲れはて、精神科に通院中・・・
私一人、病院の近くに転職をして住むことも考えましたが、
入院する国立病院のケースワーカーの方が
「24時間体制でケアーしますから小学生でも大丈夫ですよ」
「遠方の方もいますし、他にも小学生いますから」
次男も最初は入院には抵抗していました。
「悪いから入院するんじゃないよ」
「病気を治す為に入院するんだから・・」
「早ければ二週間で退院できるよ」
イライラしながら次男は病院へ。
入院当日は病院の桜の木が満開でした。
毎週末にはくるから・・・
「やっぱり家にかえる!」
帰ろうとすると泣き叫びました。
看護師さんの指示のもと次男を振り切って帰りました。
その光景は今でも鮮明に覚えています。
そうして私が毎週末、泊りがけで病院へくる生活が始まりました。
不登校になって2年間。
入院が1年間。
支援学校に転校して2年間。
5年間あっという間でしたが、本当に色々な事がありました。
「出口がないトンネルは無いんだなぁ」
中学部・卒業
この日を迎えることができました。
つづく・・