「学級崩壊」の原因
統合失調症は、およそ100人に1人弱がかかる頻度の高い病気です。
一般的に主に思春期〜青年期の若い方が発症しやすいといわれています。
前回、「統合失調症 忘備録④」で次男が「統合失調症」になったと考えられる原因のもとを考えてみました。
遺伝という病気になりやすい「もろさ」と耐え難い「環境」が重なり統合失調症になったと推測されます。
今回は、改善の余地があったかもしれない「環境」について考えてみたいと思います。
不登校になる前の話です。
当時、小学校3年生頃から二人の児童により授業が騒がしかったようです。
小学校4年生に入ると、数名の親から
「子供が授業がうるさくてできない」と言っている。
そういった声が多く聞こえ始め、騒ぎが広がりました。
その当時、私はPTAの本部役員をしていました。
ある同学年の子供がいるPTA役員から話がでました。
「問題にのある児童がいて授業ができないそうですが、学校側は対策はないのか?」
しかし学校側は消極的でした。その時は事実を話そうとはしませんでした。
やがて、学級懇談会でも話し合いになり、実際の授業風景をPTA役員の私ともう一人で見る事になりました。
以前、授業参観したときの記事を書きましたが
二人のお子さんは、授業中ウロウロするのは日常で、先生に関係ない事を話しかけたり、寝転がったり、水槽で遊んだり、騒いだりと・・それに何人かつられて他のお子さんも騒いだりとすごい状態でした。
一緒に参観した保護者の方は
「まるで動物園だ」
と言っていました。
私は長男が発達障害なので、自分なりに勉強していました。
「おそらく、ADHDなんだろうな」
ADHDとは注意欠陥多動性障害の事です。
障がいのの一つで本人が悪いとか、保護者の育て方が悪いとかではありません。
おそらく学校側も発達障がいの事実をあまり広げたくなかった配慮だったのかもしれません。
それともう一つ学校が配慮した理由が、二人の子供のうち一人の母親はかなりのモンスターペアレントだったからです。
子供に何かあると先生を罵倒したり、校長先生に苦情をいったりと学校のせいにしていました。校長先生もかなり疲弊していたようです。
きっとその母親も子供が発達障害という事を受け入れられなかったかもしれません。
学校側もデリケートな問題なようで、そのお子さんを一緒に授業をうけさせないことができないようです。
学校が表立って何も対策をしないまま、長い夏休みが始まりました。
「学級崩壊」問題については一旦、先送りです。
夏休みが終わるとすぐ「運動会」があります。
この運動会で次男とADHDと思われる児童との問題がおき、次男が崩れてしまうことになるのでした。
(次につづきます)