特別支援学校 入学式

次男は9年ぶりの入学式です。

次男の特別支援学校の本校入学式はとても天気が良く気持ちが良い日でした。

ですが新型コロナウイルスといえばの影響も終息するどころか、拡大するばかりですね。

次男の特別支援学校の病院分校の卒業式の時も簡略化で短時間でしたが、入学式も同様に簡略化されました。

次男は普段は特別支援学校の本校に隣接する障がい者入所施設で暮らしています。中学部の時は病院分校は障がい者入所施設より車で10分程度離れていましたのでいつも施設の職員さんに学校までの送迎をしてもらっていました。

特別支援学校の本校は、この障がい者入所施設と隣接をしていますので、大変移動が楽です。

次男が私の実家に帰省した時に制服やベルトを合わせました。次男は今まで一度も制服というものを着たことがないので、ベルトの穴が一つ抜けていたりして、少しとまどっていました。

入学式当日は施設にいますので、私が来るまでに制服を一人で着ておくように言い施設に戻る時に制服一式を持たせました。

当日、私は受付の一時間前に施設に向かいました。

ひとりで制服を着れているだろうか?

心配をよそに、次男は制服をちゃんときて待ったいました。

「早いな」

ちょっとウキウキしている感じでした。

不登校になって3年余り、中学部に通えるようにはなりましたが、中学部二年生からの二年間はひとりぼっちでした。全校生徒もわずか11名です。

今回特別支援学校の本校では同級生がいきなり23名。

ですが、私の心配は取り越し苦労でした。

次男と私は一緒に隣接する学校に移動しました。非常食も持参しなければいけないので大変です。特に水2リットル6本の持参はつらいです・・・

体育館に入ると新型コロナウイルス対策で生徒も保護者の席もひとりひとりの間隔が離れています。

そして入口横にはクラス編成がボードに貼られています。

次男はA組です。重複障がい者クラスになります。

次男の「精神障がい者手帳」は小学校の時に取得しています。

ですが特別支援学校に入学するには知的障害の手帳がないとは入学できません。

中学部3年生の時に療育手帳を取得しましたので、障害が二つあることになり、重複クラスになります。

小学部、中学部、高等部の合同の入学式が始まりました。

校長先生のお話などが終わり最後に集合写真となりました。

偶然にもこの写真撮影の方は私の知人でした。この写真屋の息子と次男は小学校の同級生で病気になる前は友人としてよく遊んでいました。

私も仕事柄、修学旅行の添乗員をする時に、卒業アルバムのカメラマンとして一緒に修学旅行に同行することも多かったのです。

私は次男を紹介しました。ちょっと驚いた様子です。

なんと言ったら分からず「なんとか立ち直ってくれて・・・」と伝えると

「大きくなったな。良かったな」と言ってくれました。

病気になる前の同級生は次男のことをどのように聞いていたかは分かりません。

不登校になり転校もしたので昔の同級生とは接点もなくなっていました。妻もあえて以前のように同級生のお母さんとは接触を避けていました。

私も親しい人には心の病気としか伝えていません。

以前の知識のなかった私もそうでしたが「統合失調症」と聞くと、昔の「精神分裂病」のイメージが一人歩きしてしまい、次男が又嫌な思いをしたり精神を病んでしまうことを避けたかったためです。

入学式が何事も無く終わり、施設に戻りました。

ですが又明日から新型コロナウイルスの為に10日休校です。

一般的に長期休みの後は不登校が多くなる傾向がありますが、この施設のおかげで次男はいつもとあまり変わらない生活が遅れていて不登校の心配は大丈夫そうです。

障がい者の進路・高卒後「就職か施設」

障がい者だって青春を謳歌したい

Yahoo!ニュース で上記の記事を読みました

高卒後の進学「選択肢すらありませんでした」。

以下抜粋。

「東京都内に住む長谷川正人さん(60)の娘、明日菜さん(28)には重度の知的障がいがある。進路選択を迫られたのは、特別支援学校高等部の卒業を控えた10年前のことだ。長谷川さんはそこで、大きな戸惑いを覚えた。

進路面談で、学級担任が『実習に行ったことがある福祉作業所で働きましょう』と言うんです。明日菜の発達段階は幼稚園の年中か年長くらい。働くには早すぎるのではないか、まだ成長するのではないか、と~」 

 以上の理由NPO施設で障がい者の為の大学をオープンさせているそうです。

 もちろん通常の「大学」とは違い制度上は福祉サービスに位置付けられるそうです。

「~知的障がい者が大学に通うと言うと、『大学をなめるな』という意見も受けます。ですが、学士や単位を取らせろというわけではありません。では、何のために通うのか。日本では、(障がい者の)早期就労が良しとされています。働けてよかったね、と。でも、それは差別ではないですか? 障がいがあっても、学んだり、青春を謳歌したり。健常者と同じように選択肢があっていいはずです」

私も長男の時の話で特別支援学校の時に進路の話がありました。

その時も

「一般企業の就職」又は

「就労移行支援、就労継続支援A型かB型」のお話でした。

先生も働く前提のお話で、その時私も高等部を卒業したら働くものと思っていました。

長男の同級生も皆、同じです。進学する人はいません。

「早く自立できるように、働いた方がよいのではないか?」

私もこのように、働いて生きていく力ををつけさせたいと思っていました。

近くにはこのような障がい者の大学は近くにありませんが、学ぶことができるのはすばらしいことだと思います。

長男は今は就労支援継続のB型の施設を利用しています。

仕事をして家に帰る変化のない生活です。

障がい者が学んだり、運動したり、楽しんだりすることが就労継続支援の施設ではできません。

上記のような大学もあれば障がい者の進路の選択の一つになり励みにもなります。

また大学までにないにしろ働きながら障がい者が学んだりできるのうなフリースクール的なものがあればこれもいいと思います。ちょっと考えてみたいです。

涙の卒業式。

次男は初めて卒業証書を手渡しでいただくことができました。

次男が通う特別支援学校の病院分校は「小学部」「中学部」「高等部」があり、病弱者・肢体不自由者を対象としています。全校生徒数は12名です。

卒業式は新型コロナウィルスの関係で、在校生や来賓もなし。

先生も関係者のみ。

式自体も簡略化して40分で終了予定です。もちろんマスクは全員着用。

卒業生は中学部は次男だけ。小学部1名、高等部2名の合計4名です。

次男以外は肢体不自由児で車いすを利用しています。

2月29日から突然の休校なってしまいましたので、久しぶりの学校です。

休みの間、

「卒業すると先生に会えなくなるからさみしい」と言ってました。

病気の時は「さみしい」や「たのしい」などの感情の表現ができませんでした。

じゃあ分校に戻る?」と私が聞くと、

「友達がほしいから、本校でいい」

先日、合格発表がありました。その後にすぐオリエンテーションがあり、おそらく生徒は30名ぐらいいたと思います。オリエンテーションの間も本人も落ち着いていました。病気になる前は友達もたくさんいて良く自転車で遊びに行っていました。

ひとりぼっちの期間が長かったので、以前のようであれば何よりも友達がほしいはずです。

特別支援学校ですが、高等部へ行くにも入試があります。入試の時も私も同行しましたが全くできなかったと言ってました。

次男は4年生から全く勉強をしていません。

中学部も「人に慣れる」ことを目的とし、ストレスがかからない勉強をしていましたので、できなくても当然なのです。ですが受かるかどうかとても心配していました。

先日の合格発表では大変喜んでいました。支援学校ですのでよほどの事が無い限りダメなことはないと思っていたのですが・・・

いよいよ、卒業式が始まりました。

小学部のあと、次男の名前が呼ばれました。

「はい」

大きな声で返事をしました。

校長先生の前へいき、お辞儀をして、卒業証書を受け取りました。

私は涙を流していました。

短い卒業式が終わりました。

先生方にも色々とお礼をしたかったのですが、病弱なお子さんや、呼吸器の関係でマスクのできないお子さんもいるので、早めに退散しなければなりません。

突然の休校もあり、もっとお礼をしたかったのですが、私は次男と先生方に深々とお礼をして二年間お世話になった学校を去りました。

これで、義務教育も終わったのか。

次男も頑張ったけども、父さんも頑張った。

運転をしながら、また目頭が熱くなったのでした。