帰省③

次男は二ヶ月振りに私の実家に来ました。

久々に会うおじいちゃんとおばあちゃんでしたが様子の変化もなく、落ち着いて過ごしていました。

翌日、施設に戻る前に私と次男は書店に行く事にしました。

最初に学習関係の売り場に行きました。

次男「どれが良いの?」

私「計算のドリルとかは?」

次男「ドリルはたくさんやったから別のがいい。」

次男は熱心に物色していました。

じっくり時間をかけて選んでいたので私は何も言わずしばらく待ちました。

選んだのは意外にも、社会のドリルでした。

「いいんじゃない。」

次男はうれしそうな顔をしていました。

私は施設へ次男を送ったあと、家に戻りました。

長男が居間にいて、携帯電話の動画を見ていました。

私「支援学校ってどんな勉強をするの?」

長男「普通に勉強するけど、弟は重複障がいのクラスだから、自立学習しかしないよ。一般的な勉強はしないよ。」

次男は精神障害の1級手帳と療育手帳を持っています。

だから次男は勉強の事を心配をしていたのか・・・

私は担任の先生と話しもしたことがなかったのもあり担任の先生に電話しました。

私「学校が始まりましたけれども、次男の様子はどうですか?」

担任「落ち着いて授業を受けています」

私「次男は勉強の事を何かいっていませんでしたか?」

担任「自分は5年生から勉強していないので、少しでも勉強がしたいと言っていました」

私「A組は一般的な勉強をではなく、自立勉強しかしないと聞いたのですが、そうなのですか?」

担任「いえ、その子にあった学習をしますよ。来週から教科が始まります。」

「病院分校からの引継ぎで、生活面を重視ということを聞いているのですが、授業も落ち着いていますし、お父さんはどのようにお考えですか?」

私「5年生から勉強をしていないので、皆より遅れていると大変不安を持っています。

慌てなくてよい事を教えて頂きたいです」

担任「宿題はどうしましょうか?毎日だしても良いですか?」

私「宿題が簡単だと言っています。宿題の量も次男と相談していただければ助かります」

私はこれからお世話になることをお願いして電話を切りました。

若い男性の先生ですが、物分かりも良く頼りになる先生でした。

帰省②

過去の事を忘れてしまったのは、強いクスリの副作用かもしれません。

私は次男の質問に順番に答えました。

「精神病院に入院したのは、病気で幻聴や幻覚がひどくなって、直すために入院したんだよ。」

「病院を退院してから、普通の中学校に行けなかったのは、まだ病気がしっかり直っていなかったから。子供への恐怖もあって大人数の中学校へは行く事ができなかったから。」

「支援学校の病院の分校に行ったのは、ハンディがあったり、配慮が必要な生徒について細かく対応してくれるから。自分のペースにあった授業もしてくれたでしょう。」

「障がい者入所施設で暮らすことになったのは、家で落ち着かない時は、施設の静かな場所で落ち着いて過ごせるようになったから。

週末は家に帰るし、住む場所が二か所もあると考えればすごい事だど思うよ。医者の先生とも相談して決めたんだよ。」

「思い出した?」

次男は何となく思い出したようでした。続いて

「勉強がしたいのだけども、施設の職員さんもあまり教えてくれないし、支援学校の先生も教えてくれないしどうしたら良い?」

新型コロナウイルスの為、施設に缶詰め状態だった次男は再三、施設の職員さんにも勉強についてお願いをしたそうです。

「施設には何十人も子供たちが利用しているから、中学校の授業みたいに一対一で勉強を教えることは難しいよ。」

「数名の職員さんで皆の服を選択したり、食事の準備をしたり、子供達を入浴させたりするのは大変だよ。」

「担任の先生も、入学式だけしてから、新型コロナウイルスで授業ができなかったし、学校が再開してもすぐ授業はできないと思うよ。色々クラスの決め事もあるし。それが終わってから授業をすると思うよ」

次男は小学校4年生の三学期から不登校になり、1年の入院生活も入れ三年間は勉強ができる状態ではありませんでした。

病院を退院して、支援学校の中学部2年生から登校できるようになりましたが、当初は週に一日登校できれば良く。一日の授業も一時間のみからスタートしました。

学校にいけるようになる事から少しづつ始めていったのです。

次に次男は、どのように勉強をすれば良いかと質問をしました。

私「小学校からの算数や漢字のドリルとかはどう?」

次男「ドリルはたくさんやったから、他にはないの?」

私「勉強の動画をパソコンでみたりするのはどう?」

次男「施設にはパソコン無いし、家に戻った時やってみる。俺は働くことができるのかな?」

次男はとても不安な顔をしていました。

以前から、勉強をしていないので、自分は皆と比べて遅れているという不安が強かったのでした。

「まだ卒業までは三年もあるし、焦らなくても大丈夫。学校の勉強も大事だけども漫画でも良いから本を読むことはとても大切だと思うよ。」

「どんな本でも、漢字の読み方、言葉の使い方を学べぶ事ができるし色々な知識も覚えることができるし。」

次男は納得したかは分かりませんが、「勉強がしたい」なんていう言葉を聞くことができ、とてもうれしく思いました。

帰省①

政府は4月16日、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐための緊急事態宣言の対象をこれまでの7都府県から全国に広げることを決めました。

期間は当初5月6日まででしたが、5月25日までに延長になりました。

その間、次男は障がい者入所施設から外出ができなくなり、関係者以外は施設にも入る事ができませんでした。

ニュースでは、他の入所施設でクラスターが発生して、集団感染した例もありますからやむを得ません。

ようやく緊急事態宣言も解除され、次男も6月5日より帰省ができるようになりました。

次男とは何回か電話で話しはしたものの、約2ケ月振りに会います。

施設の中に入ると、私は廊下よりすぐ次男を発見しました。

次男の部屋は一階に移動していました。とても目立つ部屋です。

以前、施設を脱走したため、職員さんのすぐ目に付く部屋に移動をさせられていました。

入所してからは落ち着いて過ごす事ができるという事で二階の角部屋を利用させてもらっていました。

この部屋は騒がしくなく、窓からの景色も野原が広がっていて快適に過ごす事ができました。

今回の移動した一階の部屋はとても騒がしいのです。

施設で食事をしたり、皆でテレビを見たり、お風呂に入ったりする生活の場が一階です。その隣が次男の部屋です。

施設の利用者は小学生も多い為騒がしくてにぎやかなのです。

次男も私を見つけ、手を振り近寄ってきました。

久々に会う次男は明らかに様子が違っていました。

とてもイライラした感じで険しい顔をしています。

私は次男が脱走したという話を聞いてからとても心配をしていました。

外泊の手続きをすませると、私と次男は車に乗りました。

次男は

「部屋が落ち着かないから元の部屋にしてほしい」

私は、

「すぐにはできないかもしれないが至急、施設の方にお願いをする」

そう伝えた後、次男からの質問攻撃が始まりました。

「どうして、障がい者入所施設に入れたの?」

「どうして普通の中学校に行かせなかったの?」

「どうして支援学校の病院の分校に入れたの?」

「どうして1年も精神病院に入院させたの?」

私は驚きました。

「覚えてないの?」

次男「忘れた」

私はひとつづつ説明をしました。  つづく

脱走②

夕方、入所施設から電話がありました。

次男の担当職員ではなく施設の責任者からでした。

施設園長の次に偉い方なのですが私はこの人は好きでありません。

次男が施設に入所する前は、短期ショートステイという方法で施設を利用をしていました。

子供相談センターを通じこの入所施設で一時保護するという方法です。

家では落ち着かないため、施設でみていただくという事です。

精神病院の隔離病棟から退院したばかりで不安定な状況でした。

そのときに対応していただいたのがこのno2でした。

今でも忘れませんが私に

「頻繁にショートステイばかり利用されると施設の経営が大変なんです」

短期入所は一ヶ月の間15日しか利用ができないので、この為に一部屋確保しなければいけなくて効率が悪いという事です。

「他の利用者に迷惑をかけたら、すぐ入院してもらいます」

言っている事は分かりますが、追い詰められた私に耳を疑うような言葉を言い放った人です。

私が次男の担当職員にいった

「今週末に日帰りでも良いので外出の許可をだしてもらえないか?」

の返答が

「こういう事をすれば外出できるという癖がつきますから外出はできません」

予想外のことばでした。

私は怒りを抑えて

「ご存じだと思いますが、次男は病気なんです。」

「この病気には何が一番良くないか分かりますか?」

「統合失調症にとってストレスは良くありません。」

「先程、次男の担当職員さんにもいいましたが、次男は学校が始まらなくてあせっているのです。」

「不登校が長く、職員さんから様子を聞くと、勉強もみんなと比べかなり遅れているという焦りがあります」

「このあせる気持ちは本人にとって大きなストレスになります。」

「統合失調症は再発しやすい病気です。いったん症状が落ち着いても長期にわたって治療を続ける必要があります。」 

no2は理解してもらえたか分かりませんが、次男と一度話してくださいと言われ、それに応じました。

「大丈夫か?」

次男は大丈夫だと答えました。

私は無理をしてはいけないことと、脱走のことは聞かずに、イライラすると思うけども小さいことでも職員さんに相談するように伝えました。

次男は自分から脱走について話してくれました。イライラして施設を飛び出してしまった事。

すぐ我に返り、施設に戻り職員さんに謝ったことなを話してくれました。

私は明後日から学校も始まるし、来週には帰省もできるからというと

いつもの様子で「大丈夫だから」

私は電話では、次男の異変は感じられませんでしたので、no2に変わってもらいました。

私は、電話では大丈夫そうなので、しばらく様子をみていただくようお願いし電話を切りました。

仕事が終わってから、次男の施設に向かいました。

子供には会うことはできませんが、no2と話すことができました。

私は次男へのジュースの差し入れを渡し、その後様子の変化が無いか聞きましたが、変わりなく過ごしているようです。

全国的にも学校が少しづつ再開されますが、先が見えない休校の中で次男のように不安定な子もいたのではないでしょうか?

この不安定な子が不登校になってしまうのではないかと思います。

コロナの影響を子供達も強く受けないか心配ですね。

脱走

障がい者入所施設の職員さんから携帯に電話がありました。

私は仕事中だったので出れませんでしたが留守電にメッセージが残っていました。

「お子さんが施設を脱走されました。」

「すぐ戻ってきたので大丈夫なのですが、お伝えしたい事があります」

私は、昨日施設にいったばかりという事もあって驚きました。

27日から学校再開します。

6月15日までは分散登校にて午前と午後と分かれての登校です。

私は、まだ封も開けていない体操服や作業服などを届けたばかりでした。

次男には会うことができないので、職員さんに次男の様子を聞きました。

次男は

「学校にいつから行けるのか?」

「卒業まで3年しかない、このままで働くことができるのか?」

と何回も聞くそうで、焦っている様子でした。

私は職員さんに

「次男は不登校の期間が長く、皆より遅れているという意識が強い。」

「学校再開のことや外泊の日時を具体的に話してほしい。」

と伝えたばかりだったのです。

担当職員さんが今年度から変わった為、引継ぎはしていると思いますが、次男の事がまだ分からない部分も多いのです。

私は施設へあわてて電話をしました。

朝方、リュックを背負った次男を職員さんがみかけたそうです。

次男に「どうしたの?」とたずねると

「なんでもないです」と強い口調で答えたそうです。

その後、脱走しました。

でも10分程度で戻ってきました。

反省した様子で、謝ったそうです。

私はまずい状況になっていると思い

「統合失調症にとってストレスは良くありません。あせる気持ちは本人にとって大きなストレスになります。」

「統合失調症は再発しやすい病気です。いったん症状が落ち着いても長期にわたって治療を続ける必要があります。」 

「外出できるのは6月5日からの決まりですが、今週末から外泊できませんでしょうか?」

「家でも外出しませんし、もちろん家族もしませんので・・・・」

施設でも検討していただけるそうです。

次男の事が気がかりです・・・・・・・・・・。

緊急事態宣言延長による次男の変化

施設の職員さんがたよりです。

緊急事態措置を実施すべき期間が5月6日から5月31日まで延長になりました。

全ての都道府県が対象ですね。

同様に、次男の特別支援学校も休校が延長になりました。

最初に緊急事態宣言がでた4月13日から障がい者入所施設から外出が自粛になり、実家の家には戻っていません。

 5月4日に施設の職員さんから連絡がありました。

「緊急事態宣言延長になり、施設からの外出や外泊ができない事も延長になりました。」

又、4月13日から施設へ訪問も控えるように言われていました。

部外者を完全にシャットアウトする事で感染を遮断する目的です。

集団で生活する施設では、クラスター感染で拡大する例がたくさんありますので、当然の事だと思います。

職員さんは、その事を次男にはなし、

「家に戻れないので残念がっていましたが、大丈夫です。」

「グランドでみんなと元気に走り回っていますよ」

施設は女子棟と男子棟があり、ちょうど建物がロの字になっていて、その真ん中がグランドになっています。

外部からの接触もできないようになっており、外へ出ることもできません。

又、道路を挟んだ向かいに自立棟と呼ばれる別棟があります。

ここは主に高等部の生徒が住みます。自立棟は名前のとおり食事以外は自分で生活をしなければいけません。

今年、次男と一緒に高等部の1年生になった生徒が1名この自立棟で生活をしています。

次男は中学1年生の時は病院で1年入院をしていました。

病院では身の回りの事は自分でやらなければいけません。洗濯なども自分でしていました。

高等部に上がる時、職員さんから

「自立棟にいくか?」と話がありました。

でも次男は「みんなといたい」と残りました。

次男は不登校になってから、ずっとひとりでした。

中学部では肢体不自由児の方が多く、同級生もいないので、ひとりでした。

みんなといたい気持ちは良くわかります。

ただ、自立棟にいる同級生の事も気になっているようで、職員さんに

「どうやったら友達になれるのか?」

と聞いたそうです。

一人が長かった次男は大人とは接しているものの、同年代とは接していないので、接し方が分からないと思います。

 また他者に対して、自分の事を聞くとこができた事をうれしく思いました

次男からは、直接電話も無いので心配な部分もあるのですが、

「便りが無いのが元気な証拠」

という事で、きっと元気でやっていると思います。

明日から5月です。

次男の待機も2ケ月たちました。

今日で4月が終わります。

新型コロナウイルスの影響で次男の特別支援学校も5月6日までの休校が5月末日までの休校に決まりました。

次男は現在、障がい者入所施設で過ごしています。

外出は禁止で、保護者が訪問や面談することもできません。

用事や何かわたす物があっても、玄関先で職員さんに渡すことになっています。

次男の様子が心配ですが、何かあれ電話があるはずです。

 先日1度だけ電話がありました。

何かと思えば、先日買ってあげたポケットWi-Fiが速度制限がかかったという電話でした。

私の説明不足だったのですが、5ギガまでなので、大好きなユーチューブを絶え間なく見ているとすぐ速度制限がかかります。

電話で速度制限の解除はできます。

1ギガ1000円と割高ですがやむをえません。

そんな電話だけで、元気そうでした。

私の取り越し苦労で、次男は小学校6年〜中学校1年まで約1年間、一人離れて入院していましたので慣れたものです。

 長男の就労継続支援の施設はお休みではないので助かっています。

利用者全員が午前中までなので、長男も今のところ問題なく通っています。

調子が良いのか、

「ゴールデンウィークが終わったら1日働こうかなぁ」

と言っています。

施設のお弁当が食べたいというので、1日いけるようになれば、お金だしてあげるよと伝えると喜んでいました。

家で食べるとどうしても食が偏ってしまうので私たちとしてもありがたいです。

でも、1日利用できるのはまだ先のようです。

 妻の宝くじ売り場も接客業なので休業して自宅にいます。

家では時間がれば、私が教えたフリマアプリにはまり、不用品の売買に悪戦苦闘しています。

 私が家に帰ると、このフリマアプリの話題で盛り上がるので、「コロナ離婚」とかは大丈夫そうです。

家族それぞれ、新型コロナウイルスの影響もここまできたら、なるようにしかなりません。

せっかくの自宅待機と考えて、1日1日を大切にして過ごしていきたいと思います。

緊急事態宣言による子供達の変化(次男)

まだ携帯電話を持たせて無いので良かったです。

緊急事態宣言がでてから二週間程度がたちました。

次男は新型コロナウイルスの為、障がい者入所施設から外出できないという指示がありました。

今までの生活スタイルは、平日は学校に行くので障がい者入所施設で過ごし、週末は私の実家で私と一緒に過ごすようにしていました。

次男は週末に私の実家で過ごす事を楽しみにしていました。

次男の休日の楽しみはパソコンです。ゲームの情報を検索したり、特にユーチューブが大好きで、人気のヒカキンの動画をみたり、ゲームの実況中継を見たりしています。

施設ではWi-Fiの環境がないのでインターネットができません。

携帯電話はまだ本人には必要が無いので持たせていません。

次男は外出できなくて、私の実家にも行くことができない事にとてもがっかりしました。

私は次男の病気にはストレスが良くないと思っていますので、この環境を少しでも改善できないか考えました。

次男はゲーム機のPlayStation Vita を持っています。

このゲーム機ならポケットWi-Fiでインターネットが可能です。ユーチューブを見る事ぐらいはできますので持たせることにしました。

 私は先週末に様子を見るために施設に行きました。

施設の玄関はいつもと違い、必ず除菌をするようにと消毒液が置いてあります。

マスク着用と来所者の氏名記入と来場・退場の時間記入をするようにとありました。

「外部の人間がくるのもあまり良くないよな」

私はマスクはいつもしていますので、消毒液で手を洗い短時間で退散することにしました。

次男は思ったより、とても元気そうでした。

入所して三年目になるのますし、得に問題もなさそうです。

早速ゲーム機のPlayStation VitaでWi-Fiの設定をすると、とれもうれしそうな顔をしました。

ですが、あまり長い時間いることができない事を話すと途端に寂しそうな顔をしました。

 私は3年前の事を思い出しました。

週末になると児童精神科に入院していた次男の様子を見にいった時のことです。

あの頃は、地元には児童が入院できる精神科病院が無く、隣県の国立病院に1年間入院をしていました。

私は金曜日の夜に仕事が終わると車で病院へ向かいました。片道3時間かかります。

病院の近くのネットカフェで宿泊して翌日、次男の病院に行く事を毎週繰り返しました。

私は温泉が好きなのでネットカフェで宿泊する前に近くの温泉施設で入浴をして、時にはマッサージをしてもらうことが楽しみでした。

大変でしたが苦ではありませんでした。次男には病気が良くなる希望を持っていましたので。

 次男も特別支援学校の高等部へ登校したのは、入学式の1日だけです。

大変ですが、施設には色々な障がいを持った仲間がいます。

今のこの環境にいることができる事をとても心強く思います。

精神科病院退院から施設の入所へ

特別支援学校の病院分校の体育館。中学部の卒業生は次男のひとりだけ

次男は小学校を卒業後入院しました。

その後、症状が少しづつ改善され二学期の後半から入院先の病院内にある支援学校の訪問中学部へ転校。

地元の支援学校の分校へ転校後は私の実家で過ごし通学する事になりました。

この支援学校の分校は病院に隣接をしていて、主に肢体不自由児の方が通学されています。

全校生徒は8名、次男の中学部二年生は次男一人です。

学校は行くものの、家に帰ると以前ほどではないですが荒れていました。

幻聴による暴言、ものを投げる、壊す・・・など

「また再現か・・・・・」

私の実家には私の父と母がおります。

私が仕事で不在の時は父と母が面倒をみてくれますが

次男の荒れように高齢の父母も限界でした。

再入院も何度も考えました。

ですが病院のケースワーカーの方も

「再度入院しても前にはすすみませんよ」

「大変だと思いますが頑張ってください」

と、いうとこはわかるのですが、現実問題、実家で次男と暮らす事は難しく

どうしたらよいのか・・・

ある日、父より電話がありました。

「暴れて手の付けようがない。今すぐきてくれ」

実家に戻ると大変なことになっていました。

戸が破壊され、物が散乱、障子はビリビリ

もうめちゃくちゃでした。

「一時保護しかないな。」

以前相談した、児童相談所に連絡し一晩相談所で過ごしました。

こんなことが何回かつづきました。

これでは私ももたない。

地元の精神病院で大人と一緒に入院させるか・・

私も精神科に通っていて、処方してもらった薬も強くなっていました。

児童相談所より、ためしに障がい者入所施設で短期入所をしてみますか。

すぐ返事をしました。

障がい者入所施設の方は

「何か問題をおこしたらすぐ精神科で隔離します」

厳しい言葉でした。

「分かりました。」

当初は入所施設で少々荒れたこともありましたが、他の利用者に迷惑をかけることもなく、気持ちの波はあるものの比較的落ち着いて過ごせました。

ただし障がい者入所施設を一か月に利用できるのは15日までです。

「落ち着くと家に戻る。」

「支援学校にいくと不安定になる。」

「障がい者入所施設で短期利用する」

その繰り返しでした。

6月になると障がい者施設の方から

「落ち着いて過ごせるようですので入所しましようか?」

本人もこの環境で過ごす事に自信がでてきたようで、入所をしながら支援学校に通うこととなったのでした。

つづく・・

児童養護施設で育った元AKBアイドル

     仲川遥香 さん

爆報!THE フライデー

【芸能人の衝撃事件SP&元AKBアイドル貧困問題】

児童養護施設で育った元AKBアイドルが海外で芸能活動をしていた!

これまで隠してきた衝撃の生い立ちをカミングアウト!

JKT48で活躍した仲川遥香 さんですが、

幼いころからお姉さんと児童養護施設で暮らしていたそうです。

インドネシアで活動中突然、

お姉ちゃんが子供3人を残して死んでしまったそうです

身寄りがない姉の子どもの為に、海外での芸能活動をやめて

日本へ帰国するかと 思いましたが、

「子どもたちを施設に入れて自分は海外で芸能活動をします」と宣言。

ちょっと驚きました。

「児童養護施設へ行くことは悪い事じゃない」

「養護施設で育った私でもアイドルになれるという夢を持ってほしい」

(確かこのようなことをいっていたと思います)

状況はちょっと違いますが、次男も障がい児入所施設にいます。

(この事は又改めて書きたいと思います)

幼児〜18歳までが過ごす施設です。

半分は障がい児ですが、半分は親がいなくて

天涯孤独な子たちも多いようです。

次男は入所して二年たとうとしています。

なにしろ人に対して不信感をもっていたのが和らいでいます。

人に対してやさしい気持ちも持てるようになりました。

次男も入所することで、

障がいを持ている子供や同じ境遇の子供と

共同生活をすることで色々学べたのではないか?

自分を見つめなおす事ができたのではないか?

分かりませんが、

家に落ち着いていることもできず

外に出ることもできず

まして学校にもいくことができない。

統合失調症という心の病ですが

少しづつ癒されていったのではないか?

そんな事を重ねてしまいました。