統合失調症忘備録㉞「サードオピニオン」

不登校になって5ケ月がたちました。

状態が悪くなる次男について手詰まりだった私は両親とも相談し精神科と心療内科を専門で診察している病院に行くことにしました。

家からは少し離れているのですが、完全予約制で小中学生の発達障害を持っている子供達も多く通院しているという病院です。

病院に行くと、ペアレントトレーニングの案内など、発達障害に特化した病院だと分かります。

初めての医師ですので、最初からはなす事が必要です。

・クラスが他の生徒の影響を受け学級崩壊だった事

・聴覚過敏の診断や個別授業の事

・いじめを受けて不登校になった事

以上概略を話しました。

医師は

「まず、先生の家庭訪問や登校刺激はさけてください」

「いじめのフラッシュバックや不安からの脳の働きで、スイッチが入ってしまうかもしれません」

確かに、別人のように暴言を吐いたり、暴れたりする事があるのは、今まで理由が分かりませんでしたが、スイッチが入ると思えば少し理解できます。

診察の時間がなくなっていまし翌週、再度受診しました。

現状の日常の話です。

昼夜逆転について話をすると、医師は

「昼、寝れることはいい事です。」

「いじめがあって興奮しやすいのかもしれません。気が立っていると寝る事ができません。不安定だと寝ていても悪夢をみます。」

また、私は最近の次男の心境の変化について話しました。

特に過去の事や暇という事を良く言うようになったのです。

「どうしてこうなってしまったのか?」

「学校に行っても、今更なぜきたのか思われる。転校しようか?」

「生きる価値がない。死にたい。」

「先生も分かってくれなかった。個別授業がダメだった」

医師は

「不登校の生徒は一般的にこのような事は考えますよ。」

私は対人関係の不安について聞くと、同様に

「不登校の生徒はふつうの行動です。自己防衛で弱い自分を守るという意味もあります。」

「イライラしたり暴れたりするのはストレスの保有限度が低いのかもしれません」

「これも自己防衛のひとつです」

「保有限度を上げるには、逃げ道をつくってあげる事です。ストレスがたまらないようにしてください」

最後に医師は

「今までの生活ペースで良いです。」

「家庭訪問などの登校刺激や適応指導教室に通うのはまだ早いと思います」

私は、学校の先生に連絡をして、医師からのアドバイスを受けた事を話し、翌日からの家庭訪問をやめていただくよう話をしたのでした。

統合失調症忘備録㉝「登校刺激」

不登校になって4ケ月がたち、一学期も終わろうとしていました。

次男の状況は悪くなるばかりです。

処方されたストラテラも効果がないため、増量になりました。

次男は頭がズキズキしたり、陽気になったり、眠れなくなったりと副作用がでてくるようになり心配をしていました。

夜、担任の先生に会うこともストレスです。

次男は

「適応指導教室に行かないので何て言えばいいのか?」

「先生は質問が多いので答えるのが難しい。」

早く終わらせようと嘘をついたり、良く見られようとします。

次男は学校に行く事がはずかしいと言います

「いまさら何しに来たのかと思われる」

「学校を休むことは悪い事」

「二学期から行く」

担任の先生は学校が終わってから、車で30分かけてきてくれます。

毎日授業があって大変なのに、熱心な先生です。

担任の先生は私にも

「登校刺激が必要です」と言います。

この、先生に会うということ良くなかったのかもしれません。

この後しばらくたって、担任の先生には家庭訪問はやめてもらうのですが

今思うと早い段階から「断る勇気」があれば良かったと後悔しています。

この頃になると医師もSSTの臨床心理士の先生も同じことの繰り返しです

「昼夜逆転を治し規則正しい生活をさせましょう」

「成長する力を信じて下さい」

しかし、次男の状態は悪くなるばかりで手詰まりでした。

以前から祖母は

「病院を変えた方がいいのでは?」と言っていました。

「次男の状態が悪くなるのは、今やっていることが良くないかもしれない。」

「別の良い方法があるかもしれない」

私は次男の病院を変えることにしました。

統合失調忘防備録㉜「祖父母の心配」

不登校になって二ヶ月がたとうとしていました。

この頃から頻繁にイライラが強くなり、キレル事も多くなっていました。

昼夜逆転もひどく、朝方まで起きていて就寝し14時~15時に起床することも多くなりました。

週2日のSSTもいけなくなり、私一人で臨床心理士の先生の病院に行き近況を話し面談をしていました。

担任の先生もほぼ毎夜来てくれるのですが、次男の機嫌が悪くなるので悩みのタネでした。

適応指導教室は話をするだけでキレてしまうのでやめました。

ゴールデンウィークでは、久しぶりに昼間に外出しようと誘います。

久しぶりに昼間に外出をしたましたが、人の多いところは怖がり車から降りれませんでした。

私も次男の状態について悩んでいましたが祖父母も悩んでいました。

具体的にいいますと

・最近はパソコンの動画ばかりを見ている。履歴を見ると戦争、ゾンビ、殺害などを好んでみているようだが大丈夫か?。

・朝のハミガキや洗顔を嫌う。薬を飲まない事が多く飲んだふりをするようになった。

・怒らないでと言うが、怒らずにいると、「わがまま」になり「しつけ」ができなくなるのではないか?

・部屋の戸を締めないと怒る。部屋の前を通っただけでも怒る。外部との接触を嫌う。世話ができない。食事も一人で部屋にこもって食べる。

・もってこい。ついてこい。など命令口調で物を頼むようになった。

・入院をさせた方が良いのでは無いか?今の生活習慣は良くない。他人のことは聞くのでは無いか?ストレスの消化ができないのではないか?

・今の病院は合っているのか?別の病院にも見てもらった方が良いのでは?

祖父母の時代は発達障害や自閉症などという言葉が無い時です。

「日々好きなように過ごさせてください」

「本人を尊重し成長する力を信じてください」

SSTの臨床心理士の先生の先生の話をしても、分かってはくれますが理解してもらえない事も多いです。

私自身、半信半疑の部分もあります。

共働きなので昼間に祖父母が次男の面倒をしてくれることは大変助かっています。

祖父母にも次男の面倒を拒否されては困るので祖父母の対応もこの頃の大きな悩みの一つでした。

統合失調症忘備録㉛「適応指導教室」

次男はどんどん寝る時間がずれていき、朝方に寝て昼過ぎに起きるという、完全に昼夜逆転になっていました。

不登校も二か月がたとうとしていました。

学校には定期的に呼び出しがあり、近況を聞かれます。

これがプレッシャーなのです。

本当なら行きたくありません。次男の様子を伝えて、学校から学校に来るようにいわれるだけですから。

ただ私は仕事柄、校長先生や学校の上役の先生方も以前からある程度知っていました。

学校は私にとってお客様なので、学校が不審に思う事もできませんでした。

学校のいうことが無視できれば、次男への対応も変わっていたかもしれないと思うと申し訳なく思います。

校長先生から

「適応指導教室へ行かないか?」と話がありました。

適応指導教室とは様々な要因により不登校及び不登校傾向にあるなど、学校生活に適応することが困難な児童生徒を対象とし、個人や小集団での段階的な各種活動を通して、生きる力を高め、より個に応じた相談活動や援助活動、学習指導を行い、自然な学校復帰ができるなど個々が自立の方向を見出し、自己実現を図ることができるように支援していいる施設です。

以前、問題児のA君が通っていた、学校からは車で20分くらい離れて施設です。

次男に話すと興味はあるようです。

最初はどんなところか見学をする事になりました。

車で適応指導教室のある場所まで行くのですが、私の実家とまったく逆方向なので、車で40分くらいかかります。

最初は素直に見学に行く事に応じていたのですが、近くなるとだんだんとイライラし始めました。

「やっぱり行かない」

戻ることになりました。

送迎だけでも大変なのですが、ずっと家にいるよりはと思い、本人の興味がある限りはこれからの選択肢の一つとして取り組みをする事になったのでした。

統合失調症忘備録㉚「昼夜逆転」

この頃からだんだんと寝るのが遅くなり、朝起きるのも遅くなりました。

ころ頃私はは、学校にいけなくても規則正しい生活だけはと思い、夜9時までには風呂に入り、一緒に寝るように心がけていました

けれども次男は寝れなかったり、途中で目が覚めてしまいます。

寝れないので、パソコンやゲームをして過ごします。

そして普通の昼夜逆転ではなく、どんどん寝る時間がずれていくのです。

もちろん食事の時間もむちゃくちゃ。起きている時間は漫画やゲームばっかりするようになりました。

そのうちゲームだけでは飽き足らなくなり、パソコンに興味を持つようになります。


パソコンにすごい勢いでのめり込み、動画視聴などで一日は過ぎていくようになりました。

絵にかいたような引きこもり生活になりました。

私は次男ににどう接したらいいのか悩みました。

一般的に不登校になると昼夜逆転をして、ゲームやパソコンにのめり込むことが多いようです。

不登校になった子どもは、「学校に行けなくて申し訳ない」と罪悪感でいっぱいな場合が多いです。

そんな子どもにとって、みんなが登校したり、親が仕事に出かけたり、家事を始めたりで「一日が動き出す」朝という時間はとても辛いそうです。

みんなが活動する時間帯は寝て過ごし、世間が静かになる夜の時間に動くようになります。

次男は自分の気持ちを言葉にするのが苦手なので、そういったしんどい気持ちからイライラにつながり暴言になったと思います。

自分でもどうしたら良いのか分からないのです。

次男は当時

「自分は働けるのか?」

と心配をしていました。

次男がゲームやパソコンにのめり込むのは

「いじめにあった現実から逃避したい」という気持ちもあったと思いますが

「これから自分はどうなるんだろう」と不安で苦しんでいたと思います。

そんな不安とまともに向き合うのは、子どもにとっては辛い事です。

そこで、ゲームやパソコンにのめり込むことで気をそらしているのです。

ひきこもりになる理由はそれぞれだと思いますが

私は子どもが安心して過ごせる場所を守り、子どもの成長を信じて待つことが大切だと思います。

統合失調症忘備録㉙「トイレがこわい」

幻覚とは,実際にはないものが感覚として感じられることを言います.

この頃は、まだ「統合失調症」とう診断名がなく、病院の医師もハテナの状態だったと思われます。

今思えば、「統合失調症だった」というエピソードがあります。

ある日、次男の部屋から悪臭が漂ってきたのです。

匂いの元をたどると、洋服のタンスでした。

引き出しを開けるとおしっこのにおいでした。

他、壁の隅・ベッドの下・ゴミ箱にも、おしっこをしていました。

このような事は初めてでした。

「何かがおかしい」と思ってはいたものの、理由は分かりませんでした。

次男は「トイレがこわい」といいます。

ひきこもってから、昼間でもトイレに一人で行く事ができず、家のトイレにも付き添っていました。

次男が今まで特に苦しんでいたのは主に、聴覚についての幻覚,つまり幻聴で,誰もい ないのに人の声が聞こえてくる,他の音に混じって声が聞こえてくる,という幻聴でした。.

「トイレがこわい」とは、声が聞こえたり、本人を監視しているようなことからだったのだと思います.

SSTの臨床心理士の先生に相談すると

「トイレトレーニングが必要では?」

幼児におむつからトイレを習慣づけるトレーニングの事です。

前回の「子供がえり」からトイレトレーニングの話につながったのかもしれません。

いずれにしても、本人とも相談をして、部屋におまるを用意する事にしました。

統合失調症防備録㉘「子供がえり」

新年度が始まった日、新しい担任の先生が夜、実家の家まで挨拶に来てくれました。

次男は会いたくないといい、私が新しい教科書などもらって今後の話を聞きました。

担任の先生は「次男へ声がけだけでも」

二階の次男のいる部屋まで行きました。

次男はおとなしく、会って少しだけ話ができました。

先生が帰ると突然キレ始めました。

もらった連絡帳などをビリビリ破きます。

この日に限らず、キレ方も頻度が増し、物を投げたり、壊したり、暴言を吐いたりと以前より激しくなっていました。

特に障子を破いたりするため、私の両親も手を焼いていました。

薬はしっかり飲ませているのですが、効果が現れず様子はひどくなるばかりです。

処方してもらった「ストラテラ」も二ヶ月がたちます。

病院の医師は

「学校に行かないのなら暴言やキレるのはおかしい」

「薬が合わないのならやめさせるか?」

薬のせいなのか?

手詰まりの状態でした。

SSTの先生は、

「成長がつまづいた時ににおこる、赤ちゃん返りなのでは?」

赤ちゃん返りの原因は、「もっと愛情を注いで欲しい」という気持ちだと言われていまるそうです。


自分を見て欲しい、構って欲しい、可愛がって欲しい、という気持ちです。


そのために、それまでできていたことをやらなくなったり、激しいワガママや自己主張をして、親に強制的に手をかけさせる行動に出るようです。

「幼児退行」などという言葉もありますが、子どもの赤ちゃん返りは、今の自分に必要なもの(愛情・関心)を求めるための大切な行動であり、成長の証であり、とても健全な発達過程だそうです。

次男は世の中が驚異であり、恐ろしい、信用できない、

それでストレスをためている。

エネルギーを貯めるため、子供返りをして、社会へ出るそうです。

でも、次男は違っていたようです・・・・・・。

統合失調症忘備録㉗「ひきこもりの始まり」

新年度、春休みが終わり一学期が始まろうとしていました。

最初の行事は入学式ですが、行くことはできませんでした。

「適応指導教室へも行きたくない」

「家にも戻りたくない」

外出さえも出来なくなっていました。

週一回の病院でのSSTも行けなくなりました。

外出や学校の話にふれると癇癪をおこすようになっていました。

私はひとりで、病院のSSTの臨床心理士の先生を訪ね相談しました。

「日々は好きな事をさせて過ごさせる」

「このままでいいと不登校・本人を受け入れる」

「充電期間と思い、本人を尊重して成長する力を信じてください」

私もこの時点では、無理に学校へ行かせる事は良くないと思っていました。

しかし臨床心理士の先生が言っている事はわかりますが、

「本人の好きな事をさせたり、言うことを聞く事でわがままにならないのか?」

「このまま長期間ひきこもってしまうのではないか?」

とても心配をしていました。

次男の日々と言えば、テレビ・ユーチューブ・マンガを読むことです。

一人でいるときは落ち着いています。

自分の世界にいるときは安心できるのだと思います。

一人で楽しんでいたのを邪魔されると怒ります。感情的な時は何を言ってもだめです。

そして、お風呂も嫌がります。

「顔だけ」とか、「手だけでも」とかと話します。

トイレも一人で行けなくなってしまいました。

学校へ通っていた頃は21時頃には就寝していたのが最近は24~1時の就寝となり、朝の起床も9時とだんだんと夜型に移行しています。

不登校でも生活のリズム、規則正しい生活は大切です。

私は学校に登校することを目標にしていたかもしれません。将来の社会的な自立に向けて支援が必要です。

焦ってはいけない・・。

統合失調症忘備録㉖「不登校の心構え」

新年度に入った春休みの4月、学校で話し合いがありました。

次男は学校に行く事に抵抗があり、私一人で行きました。

暴行を受けてから約一か月たちましたが、家での様子は良くありません。

通院やSSTへは通っていましたが、この時点では「統合失調症」など精神病の疑いは全くありませんでした。

私は、この新年度のタイミングで学校に行けないと不登校が長期化するのではないか?心配をしていましたので、学校に行ける方法がないか模索していました。

次男が学校に行けない理由としては暴行を受けたトラウマもありますが、

・個別授業により自分だけ特別扱いを受け友達が疎遠になった。

・人の目が気になる(じろじろ見られる)

以上の事をとても気にしていました。

特に人の目が気になるというのは、学校で個別授業に行っていた頃よりもかなり気にしていました。

学校に行っていないという負い目もあるようです。

次男と学校での今までの事についての話をしました。

・個別授業はもともと嫌だったけど、仕方がなかった。

・普通学級はがやがやした音がとても苦痛。自分の事をじろじろ見てくる。

次男にはこれからどうしたいのか?聞くと

・支援学級もじろじろ見てくる。馬鹿にされる。

現在、一番の問題児のA君は学校から離れた「適応指導教室」に通っいるようです。

次男もこの「適応指導教室」の事も興味を持ち始めていました。

私は、支援学級でじっくり勉強をするのが理想ですが、本人が嫌がり自己肯定感が低下するのも不安でした。

ならば通常学級で在籍をしながら個別授業を受けて、ダメなら支援学級や適応指導教室はどうなのか?と考えました。

学校は、まずは何とか学校に来てもらう方法は無いか?プレッシャーをかけてきます。

私はSSTの先生とも相談をした事を伝えました。

「次男が自主的に登校できるまで待つことが基本で、登校を促すための適切な働きかけをする」

「行きたくても行けない、という子供の気持ちをまず受け入れ、長い目で対応を考えていく事が大切」

そして、学校側には

「子どもが登校した時の対応で相談室や保健室の利用の確認」と

「安心して登校できる環境づくり」の支援をお願いしました。

人が自分の事をじろじろ見てくるという事をよく言いだしたのがこの頃です。

今思うとこれが、統合失調症の具体的な始まりだったと思います。

統合失調症防備録㉕「フラッシュバック」

不登校になって二週間がたった頃です。

日に日にイライラが募り、突然キレル事が多くなってきました。

医師が言うには、暴行を受けた時の事の「フラッシュバック」がありイライラするようです。

フラッシュバック (flashback) とは、強いトラウマ体験(心的外傷)を受けた場合に、後になってその記憶が、突然かつ非常に鮮明に思い出されたり、同様に夢に見たりする現象。 心的外傷後ストレス障害(PTSD)や急性ストレス障害の特徴的な症状のうちの1つです。

家では長男が次男を見て、ビクビクして落ち着きません。

この状況をどうすればよいか?

原因となった出来事を思い出させるきっかけに触れると、つらい記憶が突然鮮明によみがえる「フラッシュバック」が起こる。

家にいては学校の事も思い出すでしょうし、なにせイジメた児童たちも近所にいます。

家族で相談をして次男と私は、車で30分離れた私の実家を拠点にして生活する事にしました。

 長男は次男と離れることで、安心をしていました。

私も平日は仕事へ行くため、私の両親には迷惑をかけますが、次男の面倒を見てもらいます。

 両親は男を心配して、車で連れ出してくれました。

最初は外にでたがりませんでしたが、大型商業施設では食事や買物をしました。

そのあと以前から良く遊んでいた遊園地に行きましたが、春休みという事もあり子供達が多くいました。

次男は車から降りることができませんでした。

子どもに対する恐怖だったのかもしれません。

大人は大丈夫なのですが、全く知らない子供でも抵抗がありました。

 私の実家での生活が数日たちましたが、拠点を変えても次男の状態は良くなりませんでした。

処方された薬もちゃんと飲んでいるのですが、キレルだけではなく、物に当たったり、私の両親に暴言を吐いたりと悪くなる一方です。

小学校の時と同じように、物を隠したりして、イタズラもし始めました。

キレる以外にも不安定でした。

「自分はこれからどうしたら良いのか?」

「大人になって働くことができるのか?」

私は、まだ小学生だから大丈夫と励ますのですが、気持ちの波があります。

私の両親には、高齢なのに大変苦労をかけることになってしまいました。

統合失調症忘備録㉔「気持ちを言葉にする事が苦手」

私も実は苦手でした。

不登校になって二週間が過ぎました。

SST(ソーシャルスキルトレーニング)の通院する日だったので一緒に出かけました。

イジメについて話すと医師は驚いていました。

前回の通院はイジメにあったばかりで気持ちの整理がつかずSST(ソーシャルスキルトレーニング)を休みました。

最初に次男と先生でトレーニングをしたあと、私一人で先生と話しました。

今までの訓練での次男の様子と、これからどうしていけば良いのか聞きました。

次男は、

「気持ちを言葉にすることが苦手」

「分かるものもありますが、複雑なものが苦手」

例えば

「友達と約束したあと、先生に頼まれました。先生には何といえば良いか?」

という質問にとっさに答えることができません」ヒントをだすとできます。

(答え:友達と約束があるのでできません)

医師が前回病院を休んだ理由を聞くと

次男「忘れた」

「困っているときに、困っていると言えない」

「だから周りも分からない。これがイライラの原因ではないか?」

「時間をかけて表現することを教える事が大事です。」

人の目が気になることについて

「大丈夫と言ってはだめ。否定されたと思われるから。」

どうすると良いのか聞いてみると

「その人に聞いてみたらどうか?」

親はどうしたらよいのか?聞くと、

「一緒に考えてくれる事が本人に分かるだけで良い」

「人の目が気になる=味方がいない。自分の事を分かってくれる人がいない」

「先生にもお願いした方が良い。」

「社会のルールは理解している。」

「自分の気持ちと葛藤している。成長と共に分かってくる。」

今、思えばもう少し「気持ちを言葉にすることが苦手」という事が早く分かっていれば、親や学校も対応ができ次男も今みたいに苦しまなくても済んだのではないか?

私はまた振り返りをして、後悔をしたのでした。

統合失調症防備録㉓「ADHDは被害者・加害者になりやすい?」

カーテンは締め切り真っ暗にしていました。

翌週も次男は学校へ行くことができませんでした。

担任は「短時間でも」と言うのですが、外へ出ることも抵抗しました。

学校の話をすると嫌がり、イライラが強くなり、キレてしまうことがしばしばでてきた時期です。

私はこの時点でで、「このままだと、ひきこもりになってしまわないか」

とても心配をしていました。

来月から新年度で5年生に進級になります。

登校できるタイミングは区切りの新年度だと思っていました。

「新たにスタートができなければ、登校も難しいのではないか?」

と親としても焦りもありました。

「次男が自主的に学校に行けるようになるまで待つ方が良いのか?」

医師に聞いたところ、

「怒らない程度に学校に行く話はした方が良い」

とのことでした・・・・・。

ここで、イジメについてもう少し考えてみたいと思います。

「ADHDの子供は、いじめの被害者にも加害者にもなりやすい」

という事を聞いたことがあります。

次男の場合は言葉や暴力、仲間はずれにされました。

不安が強く、恥ずかしがりで、社交性が低いのでいじめの被害を受けやすかっのかもしれません。

ただ暴行を受けるまでの次男はいじめる側でした。

イジメというよりは「ちょっかいをだす」「意地悪をする」という表現の方があっていると思います。

クラスの問題児のA君、B君も上記の表現に置き換えた方が、確かにそうだなと思います。

次男は「ソーシャルスキルトレーニング」を始めたばかりでした。

学校側の見極めは難しいところではありますが、こういった衝動性を抑えるための支援が「発達障害やグレー」な子には、もう少し早い段階で必要にだったのかもしれません。

統合失調症忘備録㉒「不登校の始まり」

不登校・ひきこもりは充電期間です。

私はイジメの真意を知りたかったので、電話で担任に事の成り行きを話し、改めて学校へ向かいました。

暴行を受けた事実はありましたが、次男も最近は上級生や同級生とトラブルがよくありました。

次男も悪い部分があったのかもしれません。

 学校の校長室で校長・教頭と担任とでの話し合いをしました。

私はPTAの本部役員を2年しており、学校の行事などで直接校長、教頭と良く話しをよくしていました。

普通は親と担任のラインのみだと思いますが、この点はPTA役員をやっていてよかったのかもしれません。そのかわり次男について苦言も良く言われましたが・・

担任は事前に暴行をした4名から話しを聞いていてくれました。

主犯格の子供は、次男がぶつかってきたと言い、蹴った。そのうち面白くなった。

そのほかの子供は、以前に文句を言われた事への仕返し、生意気だったからなど。

特にこれはという原因はないようだった。

次男は個別授業をしていたり、トラブルなど先生にも目をつけられていましたので、良くも悪くも目立った存在だったかもしれません。

担任はそれぞれの児童の親へ連絡をするとの事だった。

 今までは次男がトラブルを起こすと学校から連絡があり、私はお詫びをしたり迷惑をかけた家庭に伺ったりしていました。

しかしイジメが起きてしまった以上、親のお詫びとかはどうでも良いことで、これから次男の心のケアをどうしていくのか?

 学校については親は何もできないので、とにかく学校に再発しないよう、目をかけていただくようお願いをしました。

担任の先生は夕方、直接次男に会いたいと言い、家を訪問しました。

担任の先生はやさしく

「安心して学校で勉強できる事を約束するから、大丈夫」

そして、打撲のあとを見せ明日は学校にくる約束をしました。

 よく朝になると「今日も休ませてほしい。」

イジメのトラウマがあるのでやむえない部分もあります。

あまり学校のの事は言わないようにしていました。

イジメた子達は近所の上級生なので、家にいることもトラウマやフラッシュバックにつながると思い、私は30分ほど離れた実家に気分転換に連れて行きました。

そうして1週間学校t校を休みました。

決まって学校に行く前日は「明日は学校に行く」と言いますが、朝になると休ませてほしいの繰り返しです。

担任の先生も夕方なるとに毎日家に訪問にきてくれました。

週末になると「来週は学校に行く」と担任と約束をしました。

しかし、翌週の月曜日の朝になると「学校を休ませてほしい」

家では、漫画を見たり、ゲームをしたて過ごしています。

私は夜、気分転換のドライブに誘いました。

学校に行き一週しました。

職員室は電気がついていますが、児童はもちろん誰もいません。

「中に入ってみるか?」と言い駐車場に車をとました。

駐車場に車をとめるものの、なかなか学校には入れず1時間程度駐車場で話しをしました。

誰もいなのですが、人の目を気にして入れません。

こうして3年弱の不登校生活が始まりました。

統合失調症忘備録㉑「いじめ」

なぜなくならないのでしょうか??

あれは忘れもしません。

平成27年3月10日のことです。

次男が朝、「今日は学校には行きたくない」と言いました。

「明日は行くから・・・・」

今まで「学校が嫌だ」ど言う事はありましたが、学校を休むことはありませんでした。

実は前日、ケガをして帰ってきたのです。それも服が一部破れていました。

妻が何があったか、聞いても次男は何も言いませんでした。

妻はとても心配をしていましたが、本人は落ち着いていたので、私は仕事から帰ってきてから話を聞くとこにしました。

夜、次男の部屋へ行き、昨日何があったのか聞きました。

最初は渋っていたのですが、少しづつ話してくれました。

放課後に上級生4人からいじめ、暴行を受けていたのです。

主犯格の子供が「先生に言うとボコボコにする。絶対に言うな」と言われていたためいえなかったようです。

ことの様子はこのようでした。

まず主犯格の子供が「生意気だ」といきなりケリとキックをされ、

もう一人の子が顔にパンチ、キックとジャンバーの帽子を引っ張り、服が破れた。

後の2名の子が髪を引っ張ったり、パンチをしたり・・・・・

次男はトイレに逃げ込んだようですが、その後見つかり

何度も暴力を振るわれたようです。

一方的な暴力なようで私の子供はおなかと手に打撲をしていました。

次男は抵抗しなかったと言っていました。

1対4では抵抗したくてもできないでしょう。

名前を聞くと、私も知っているいろいろと有名な近所の子供たちでした。

この様子を目撃している子供たちの多かったようです。

本人もなぜ暴行を受けたか分からないと言っていました。

このいじめは今回だけではなく、夏ぐらいから下校中に暴言や暴行を受けていたようです。

 次の日も次男は学校を休みました。「明日はいくから」と

私はこの事実を電話ではなく、直接先生に話すべきだと思い学校へ向かいました。