統合失調症忘備録⑳「普通or支援学級」

子供にあった教育を。

学校の先生より、次男の来年度についてどうするか?という話がありました。

在籍クラスをこのまま普通学級で行くのか?

それとも、特別支援学級に変更するのか?という事です。

 長男の場合は3年生から支援学級に在籍しました。

それまでは普通学級で週2回、通級として、支援学級で授業を受けていました。

長男は早期に「自閉症スペクトラム」診断を受けていました。

当時の担任の先生は皆と学力の差は無いため、このまま普通学級でもいけるとの事でした。

しかし、長男は言葉の理解でできるものの、表現力が乏しく、自分の意見や考えを伝えることがとても苦手です。

なので皆と同じように生活することにストレスを感じていました。

私たち親も自分の子供にあった教育を受けることができる支援学級にとても賛成しました。

 次男の場合は違います。

私は親の意見より、こどもが思う事をさせてやりたいと思っています。

ただ、自己肯定感が低下している次男には、支援学級の事を聞くことができませんでした。

なぜなら「自分はダメだからいくんだ。」と更に自己肯定感が低下する可能性があるからです。

現状の個別指導は教務主任の先生や教頭、校長先生など時間があいた先生方が交代で次男に授業をしていただいています。

かなりご無理をいただいているのもわかります。

保護者のなかには

「同じ生徒なのに、特別扱いはおかしい」と苦情を学校に言う親もいました。

申し訳ない気持ちもありましたが、個別対応が必要だからやむえないのです。

私は問題児A君B君C君のように「加配」の先生がつけれないのかお願いしました。

現在「加配」の先生が4名います。主にクラスの問題ある生徒をみているのですが、余力があるときは次男の事もみていただていいます。

加配の先生については、学校側で相談していただける事になりました。

学校生活において親ができることは少ないです。

丸投げするつもりは無いのですが、親は先生の決めたことに従っていくしかないのです。

統合失調症忘備録⑲「自己肯定感を高める方法」

自分のことを好きですか?

先生から「自己肯定感が低い」と話があり、私は書籍などで勉強をして次男への対応の仕方を考え直しました。

・自分だけ個別授業が恥ずかしい

・自分のクラスにはもう戻れない

・自分は嫌われている。

・寂しい。以前のように友人とも遊べない。行事にも皆と一緒に参加できない。

・皆が自分を変な目で見てくる。目が嫌だ。

・自分は何もできない。

次男と話しをした時このような事を言っていました。

個別授業をするにあたり、次男は強制では無く納得して参加しました。

嫌だったかもしれません。自分の状態に向き合おうとしていたと思います。なのに行事には参加できない。

ジレンマだったと思います。

そのジレンマと自分の力ではどうにもできない無力感、虚無感みたいなものが自己肯定感の低さにつながっていたかもしれません。怒られ続けたからだけが原因ではなかったかもしれません。

もちろん私は励ますのですが、「自分はダメな子」と思わせないように些細なことでも誉めるように心がけました。

例えば、同級生や上級生とトラブルがあった時

「あなたはお友達と〇〇なトラブルがあったけど、自分の悪いところを素直に認めて謝ることができる。そんなところがすごく良いよ」

ダメなところもあるけど、こんないい部分もあるよ。と気づかせてやる事が大切だと思いました。

又家でお手伝いをしてもらった時ほめる。何でもよいからほめました。

当たり前の中にもありがたい事が沢山あります。

スキンシップも心がけました。

朝学校に行くときには肩を触っていってらっしゃいをいう。

手を握って世界で一番好きと伝える。

甘やかす事と甘えさせる事は別ですね。

私は基本的としまして、トラブルや問題があった時、動揺せず、怒るのもダメ。

手出し口出しをせず否定的な言動はつつしむ。

でも間違ったことをした際は責任は必ず本人に取らせるという方針を心がけました。

このやり方が正解なのか?どうなのか?は分かりません。

この数日後、次男には不登校になる決定的な事がおこるのです。

統合失調症忘備録⑱「自己肯定感」

「自己肯定感」持っていますか?

この頃は、先生から次男は「自己肯定感が低い」という事を言われます。

「自己肯定感とは、自己価値に関する感覚であり、自分が自分についてどう考え、どう感じているかによって決まる感覚です。

そのままの自分を認め受け入れ、自分を尊重し、自己価値を感じて自らの全存在を肯定する「自己肯定感」の感覚は、何ができるか、何を持っているか、人と比べて優れているかどうかで自分を評価するのではなく、そのままの自分を認める感覚であり、「自分は大切な存在だ」「自分はかけがえのない存在」だと思える心の状態が土台となります。

この感覚を持てると、自分を尊重するように、他者や周りも尊重できます。すると他者からも尊重され、お互いに尊重し合える関係が作れます。

自分は尊重するが、相手や周りは、尊重しない、自分の価値は認めるが、相手の価値は認められない、どちらかというと自分さえよければいいと身勝手な思考、行動をとりやすい傾向の人は「自己肯定感」が高いとは言えません。

又、自己肯定感が高いことは、今の自分に妥協して成長を止めたり、傲慢になることではなく、どんな自分であっても、今の自分を受け入れることで、恐れや不安や自己否定からではない、安心感をベースにした真の意欲とともに、前に進む力を与えてくれるものです。

どんな自分も受け入れ、肯定することで、外側からの評価で揺らされることなく、自分軸で自分の価値を感じ、自己承認できる力のことを当協会では「自己肯定力」といいます。自己肯定力が高まると感情が安定し、物事を肯定的に捉え、何事にも意欲的になれます。「自己肯定力」は自己を信頼できる自信の源となります。

自己肯定感は、高い、低いと表現されますが、自己肯定感が高いから良い、低いから悪いということではありません。この感覚は人の優劣を決めるものではありませんが、この感覚が高いか、低いかが人の人生に与える影響は大きくなります。」

         以上 一般社団法人日本セルフエスティーム普及協会 HP引用

以前、PTA役員と校長先生との話の中で、問題児のA君の対応に関して、

悪い事をしているのに怒らず、褒めてのばすという事を聞きました。

「怒り方のも注意がいります。しかるのは効率が良くありません。」

「でも、命にかかわる事はしかります」

この学校対応はA君の自己肯定感を下げないことにありました。

大人たちやまわりの子どもたちに、否定され、けなされる。

私は、そんな状況が長く長く続くことによって、自己肯定感が知らずしらずにくずれてしまったり、失われたりすることにその時気づきます。

次男は、発達障害があったのか?どうなのか?は今でも分かりません。

本来の障害とは質や程度の異なる問題が生じてくることを「二次障害」と呼びます。

次男の統合失調症の原因のひとつは、「自己肯定感の低下」だと思うのです。

統合失調症忘備録⑰「幻聴の始まり」

幻聴は統合失調症を代表する症状です。

年明けをした1月、投薬とソーシャルスキルトレーングを開始して2ケ月になりましたが相変わらず学校ではトラブルや暴言は収まりません。

更に家でもイライラや暴言が始まってきて、次男の状態は悪くなるばかりでした。

医師がいうには、ストラテラも服用開始2週間くらいから徐々に効き始め、6~8週目で効果が安定してくるそうです。

そして、一日をとおし途切れることなく効果が持続するそうですが、今となっては、おそらくADHDの発達障害ではない次男には効かなかったのでしょう。

 「聴覚過敏の対応」について、当時の次男の記録ノートに切り抜きが貼ってありましたので紹介します。

「聴覚過敏の場合、色々な音が1度に聞こえてしまい大事な音だけ絞れません。

情報過多なのです。例えるなら教室の雑然さと先生の声と水道の水の滴る音が同量のボリュームで聞こえ何をいわれているのかわからない等。

なので伝えたいことは静かな場所で暗めな場所、口の動きが見える視線をあわせて静かにゆっくりと簡潔に指示を出します。

家庭ではキレルパターンをメモ書きします。

いつどこでどんな時に癇癪をおこすか。

すると

お子さん自身の意見が通らない時とパターンがみえてくるのでそれが分かったらその前に話をかえしたりして切り替え行動をします。

お子さんの悪い行動はやめさせたいので躾ますがお子さん自体が得する行動なんだと伝えます。

通常みんなの迷惑をかけないようにと躾すると思いますが共感力が弱いと伝わりづらく自己肯定感も低いです。伝え方を変えるといいです。」

当時はこのような事に取り組んでいました。

「自己肯定感が低い」は、これからの次男のキーワードになります。

この頃の事を次男に尋ねると、なぜイライラしたり暴言を吐いたりしたのか自分でも分からないといいます。

今は特に音に対して嫌がる事などは言いません。

でも、当時は嫌な人の声が聞こえたそうです。

具体的には分かりませんが、「聴覚過敏」ではなく「統合失調症」の特徴のひとつ「幻聴」のだったのかもしれません。

統合失調症忘備録⑯「反抗期」

反抗期でもまだかわいい時期です。

病院でのソーシャルスキルトレーニングと投薬を初めて一ケ月がたちました。

相変わらず、授業も個別で受けているのですが、同級生とのトラブルや先生に対しての暴言など以前よりひどくなっていました。

実は私は「ソーシャルスキルトレーニング」について少し違和感を持っていました。

ソーシャルスキルトレーングとは簡単にいうと、人同士の距離感の勉強だと思っています。発達障害の子は空気を読んだり、人とのあいまいな関係や事柄が苦手です。

長男のように幼児期に発達障害の診断を受けて、人同士の距離感の勉強するのなら分かりますが、次男の場合は幼児期は元気が良かっただけで特にみんなと揉めたり、指摘を受ける事はありませんでした。

発達障害の長男をみている私は余計に疑問を持ちました。

だからといって、次男については解決策もわからないので医師のすすめをやってみる方法しかみつかりませんでした。

そのうちに、「ただの反抗期なのではないか?」と思うようになりました。

小学生も10歳頃になると「ギャングエイジ」と呼ばれるそうです

この時期は仲間とのつながりができ、グループで行動する時期になります。

これができないと、思春期のステップを踏み外しやすいそうです。

心と身体がアンバランスな時期であり、

「うるせー、てめー」と暴言を吐いたり、壊す、割る、殴るなどものに当たることも多くなります。

私たち親にもに口答えが多くなるのが特徴ですが、成長の表れと言えるので、異常というわけではありません。

自分にも思い当たる節があります。

次男はイライラがつのり、それを発散するために一番身近な人に当たるのではないか?

親の子供への反抗期の対処法は、子供と向き合うことだそうです。

子供を信頼して受け止めてあげる事。

反抗期でなくても重要なこどですよね。

結局、次男の場合は反抗期が原因ではなかったのですが。

 ですが例えば、発達障害の子供がただの反抗期と勘違いされると大変な事になると思います。

特徴も似ているので誤解されやすいのではないでしょうか。

反抗期だからと放っておいたり、誤った対応をすると、大きくなった時にもっと酷い状態になるのではないか思います。

統合失調症忘備録⑮「ソーシャルスキルトレーニング」

悪気があるわけではありません。

当時の私は次男の学校での生活が「聴覚過敏」の対応では上手くいかず、先生方に迷惑をかけてしまう事もあり、セカンドオピニオンの先生が言われる、ADHD用の対応をやってみようと思いましました。

うまくいかなければ、またやり直せばいいと思っていました。

週に1~2日に1時間程度、「ソーシャルスキルトレーニング」として、作業療法士の先生のもとに通うことになりました。

ソーシャルスキルトレーニング(SST)とは、対人関係の促進を目的としています。

SSTの方法や内容は対象児の年齢や性別やタイプを考慮して考案されますが、周囲の人の視線や表情への気付き、場にふさわしい適切な言動、自分の感情や考えの表現方法などのスキルを獲得し、日常生活において他者と相互に関わる能力を高めることが共通の目標です。

この時点で次男の通院などは私が主で行い、長男のことは妻がすることになっていました。

最初に作業療法士の先生と10分程度の面談をします。

その後、次男と先生だけになります。そしてゲームをするそうです。

例えば、怒りの表情のカードがあります。

同じ、怒りでも5種類あります。イライラから仕返ししたいまで5段階でいくつかの事柄をその5段階のカードを並べ先生と考えてみます。

そして各々の「怒りレベル」になるのは具体的にどのような場面なのかをシートに記入します。

これは感情をコントロールする方法を学び、自分の感情を適切に認識・表現できるようにするそうです。

 次男はゲームというものの、面白くないと言っていました。

不登校になる3月まで約4ケ月間、週一回のペースで続けるのですが、この時期でのSSTは遅かったのかもしれません。

又短かったからかもしれませんが、次男には効果が出ませんでした。

統合失調症忘備録⑭「セカンドオピニオン」

別の医師の意見を聞くとこも必要です。

次男は「聴覚過敏」と診断されて、個別授業をする事となったのですが、依然離席や同級生や上級生とのトラブルが続きました。

病院から処方されてた漢方薬も飲んでいるのですが、学校でのイライラが収まりません。

イヤーマフ(防音用のヘッドホン)も考えましたが、個別授業の部屋は静かなので意味がありません。

学校では安心できる場所を提供してもらっているにも関わらず、次男の状況はひどくなっている。

私は病院の先生からは「聴覚過敏」という診断を受けましたが、他の要素もあるのではないか?

「ひょっとするとADHDなのか?」

という疑いを持ち始めていました。

ですが、ADHDなら乳児から今までの間で発達障害の指摘があるはずです。病院のドクターもそう言っていました。

次男は発達障害の指摘やそのような話も今まで一度も受けたことがありません。

「今まで分かりにくかっただけではないのか?」

長男は幼児の頃に発達障害の「自閉症スペクトラム」を診断受けていますので、兄弟なら次男も発達障害の可能性も全く否定はできません。

 私は別の精神科病院を受診することにしました。

完全予約制の個人経営の精神科病院です。

受診時、今までの学校の様子や他の病院で「聴覚過敏」の診断を受けたことを話しました。

私はストレートに

「ADHDなのでしょうか?」と質問しました。

先生はしばらく考えた後、

「分かりませんが、否定はできません。」

あいまいな返答でした。

どうしたらよいのか聞くと、しばらくして

「ADHD用の薬を試してみましょうか?」

どのような薬かを聞くと

「ストラテラという薬です。ADHDの場合、薬だけで治るものではないということをお伝えしたいと思います。」

「ADHDの薬物治療はあくまでも、患者さんが日常生活を不便なく行えるようにするための補助的な役割にすぎません。」

「また、薬に限らず、ADHDは治療だけでは症状を完全になくすことが難しいものです。」

「ソーシャルスキルトレーニング(SST)などの「行動療法」を用いて、ADHD症状の緩和を図ることも重要です。」

ただ私は小学生の次男が薬を飲むことについて少し抵抗がありました。

副作用などのことも聞きました。

「ストラテラは、1日2回(朝・夕)の服用が必要です。1日2回の服用により、ほぼ1日(24時間)効果が持続します。他の薬と比べ、副作用の程度が低いといわれます。」

「具体的には、食欲低下、吐き気、腹痛、眠気があり場合があります。」

これで私は落ち着いて勉強ができるのであればと思いました。もしだめなら又かんがえればいいと。

又行動療法も大切だと聞きましたので「ソーシャルスキルトレーニング」を実施している病院も紹介をしてもらい、実施する事にしたのでした。

統合失調症忘備録⑬「学校対応」

学校も問題児と保護者の間に挟まれて・・・

もう一人のPTA役員は、校長先生に対してなぜ問題児の親子に気を使うのか?

今まで保護者に黙っていたのか?質問をしました。

実際、A君は何もしない子に手を出したり、バットや木の棒を学校に持ってきています。

A君の親も、この事を子供から聞いた保護者がA君の親に言うと逆に悪口などのストレスを受けるて大変な事も言いました。

校長先生は、

「A君の親の様子も承知しています。当初は学校内で対応していました。」

「本来ですとまず保護者の学級委員さんと相談をしたかったのですが、A君から学級委員さんのお子さんが標的になる事を恐れたからなのです」

「ですが、今は学校だけでは対応できなくなり、まだ相談の段階なのですが学級委員さんにも伝えています」

つづいて今後の学校側の対応を聞きました。

「授業は保険相談員をもう一人増やし、4名体制にします。妨害や暴力には細心の注意を払います」

「A君の親には教育委員会などの第三者の介入も考えています」

「保護者の方にも希望者があれば授業を見学できる体制があります」

今振り返りますと、学校側の対応は最大限以上だったと思います。

加配の先生も障害児2名につき1名が妥当なのに4名も先生がついてくれるのはすごい事ですね。

A君の親はと言えば、子供の障害を受け入れず、学校のせいにしたり、他の保護者が何かいうと攻撃して何も言わせなくしたりと当時は問題があったと思います。

ですが、今の私が思うことは・・・

自分の子供だけに対してなら、これが最善策だったのではないか思います。

なぜならば、

A君の親はいわば、自分の子供を他の保護者や学校から守ったとも言えるのではないでしょうか?

結果的にA君はその後、運動会の団長をしたり、野球部で活躍して表彰されたりと立ち直ったのですから。

私は子供の現状を受け入れ、他の保護者や学校の意見も受け入れてしまいました。

そして次男にも強要してしまいました。

そしてそれが、統合失調症の原因の一つになってしまったと思いますから。

統合失調症忘備録⑫「加配」

長男が保育園の時、加配先生に甘えていました。

学級懇談会の後、私は保護者の意見をまとめ、次男のクラスの参観をしました。

私とPTAのもう一人の役員とで参観をしましたが、予想よりもはるかにひどく、まるで動物園のような状況に驚きました。

(統合失調症忘備録⑤「学級崩壊」参照)

その後、校長先生と私ともう一人のPTA役員とで懇談をしました。

「いつもは、学校だけの対応では難しいので保険相談員が3名入って学習の妨げにならないようにしている。」

保険相談員とはいわゆる「加配」のことです。

発達に障害がある子が幼稚園・保育所・小学校に通うための「加配制度」があることは知っていました。

障害のある子の保育には、その子どもの特性に合わせた支援が必要不可欠です。発達障害を含め、障害のある子を受け入れる認可保育所や認定こども園などで、特別な支援のための保育士を追加で配置することを「加配」といいます。

障害のある子も障害のない子とともに生活できるように、加配保育士はお着替えや食事、集団行動時など困りごとに合わせたサポートをします。多くの自治体では、発達支援に理解の深い専門家が施設を巡回しており、専門家の助言にもとづいた支援をしています。

加配の基準は自治体ごとだそうです。

加配基準は市町村にゆだねられているので、自治体によって対応はさまざまです。内閣府が行った調査では、半数の市町村が障害児3人もしくは2人に対して1人の加配保育士を配置する基準を設けていると報告しています。

校長先生はつづいて、

「学校はできる事の最大限の対応している。A君の親を含め、保護者に理解していただけないのは辛い」

現在の問題児童は2名なので加配の先生は1名が妥当なところです。

加配の先生が3名もつくとは、学校側の最大限の対応は理解できます。逆に3名も加配の先生がつくこと自体が異常ともいえます。

つづいて、問題児への対応の仕方を聞きました。

「できることは大いに褒めてのばします」

もう一人のPTA役員は、悪い事をしているのに怒らないのか聞くと

「怒り方のも注意がいります。しかるのは効率が良くありません。」

「でも、命にかかわる事はしかります」

校長先生もA君やA君の保護者の悪口は一言もいわず、むしろかばっている感じを受けました。

もう一人のPTA役員は釈然としていません。

A君の親は学校側に歩み寄ろうとせず、問題行動を担任の先生せいで子供がおかしくなったの一点張りなので学校側も対応が大変だと思います。

もう一人のPTA役員が釈然としないのも分かります。

私はおそらくADHDと思っていました。学校対応としては調べた限り間違っていないと思います。

学校側も生まれもった障がいの一つだから、子供が悪いとか親が悪いとか言えないのでしょう。学校側も辛いところですね。

釈然としないもう一人のPTA役員は、なぜそんなに問題児の親子に気を使うのか校長先生に再度質問しました。

(次回につづきます)

統合失調症忘備録⑪「学級懇談会」

「皆でがんばろう」が目的です。

統合失調症忘備録⑨で一番の問題児のA君は学校から離れた「適応指導教室」に行く事になりました。

次男はその年の4年生の3月で不登校になっていますのでその後A君がどうなったか?は詳しく分かりませんが、そのまま地域の中学校にあがりました。

そして中学校での運動会では応援団長になったり、野球部に所属して大会で活躍をして表彰されるまでになったそうです。

先生方やご家族の努力ももちろんあったと思いますが、以前A君の親の対応にも少しふれましたが、A君はなぜ立ち直る事ができたのか?

その時の学校やA君の親の対応を振り返ってみたいと思います。

 4年生の一学期は担任の先生が倒れる事態がおきました。

うわさ、誤解などが学級崩壊で荒れたクラスの親たちから、現状の説明をしてほしいという声が高まりました。

しかし学校側からは改めて説明を行うという事で今回はPTAの役員で進行し、意見をまとめる事となりました。

学校側からは問題児の保護者が孤立しないようにしてほしいとの事でした。

皮肉ながら私が進行役となりました(この時は次男の異変はまだおきていません)学校からの要望があった、あくまでも追及の場や文句の場にしない事を伝えました。

今回は二人の親は出席をしませんでした。

理由としては「つるし上げをされるから」との事です。

そもそもA君はどのような子なのか?というところから、A君をよく知るお母さんから説明をしてもらいました。

「野球部に所属している。野球をしているときは素直。ただし授業の時は別人。親によるストレスかも?親が敵とみなした人にはA君も豹変する。精神的なストレスではないか?二重人格かも?」

私的な意見もありましたが、つづきて、A君のお母さんから協力を得られないのか聞くと

「大きな壁をつくっている。一筋縄ではいかない。学校もお手上げ。子供の話をすると豹変する。A君から危害を加えられるし親からも攻撃されるので話ができない。」

尚、その他の保護者の意見が下記になります。

・A君の親は意見を言った親にひとりひとり家に電話をかける。学校の文句を言う。感情的になり攻撃的になるのでストレスがたまる。こういう事はやめてほしい。

・以前A君が学校にバットやエアガンを持ってきた。子供が何をされるかわからない。

・子供たちは授業を受ける権利がある。授業をちゃんとやってほしい

・自分の子や他の子も情緒不安定でおかしくなっている。

・A君のやりたい放題にしているのではないか?

・A君に児童が注意すると手を出す。あざができた女子もいる。

・学校外部の人からも心配されている。同じクラスは、はずかしい。

・親が逃げてもなにの解決にもならない。

私ともう一人のPTAの本部役員は、授業の参観をして現状を把握し、学校と話し合いをすることになります。

統合失調症忘備録⑩「個別授業」

自己険悪・・・・・・・・・

「個別授業」が始まりましたが、しばらくたつと、何度も担任から電話や呼び出しがあったのです。

次男は家では比較的落ち着いているので分からなかったのですが、学校では同級生や上級生とトラブルが多くなっていました。

今まで暴言は先生だけだったのが、クラスメイトや上級生にだったり、こちらからけんかをしかけたり、イタズラをしたり、物を隠したり・・・・。

理由を次男に聞いても答えようとしません。言い訳もしようとしません。

4年生にもなると友達関係が難しくなる年ごろだと聞きます。

私はしつけのひとつとして、トラブルになった児童の家へ次男といき謝るべきだと考えました。

いい悪いの分別がまだつかないのではないか?やってはいけない事だという認識がうすいのではないか?

親としてなぜやってはダメなのか。根気よく教えることが大切ではないのか?

私は他の児童とトラブルになるたびに、夜嫌がる次男をつれて謝りに行きました。

「子供同士のことなので・・大丈夫ですよ」という親もいれば

はげしく罵倒し「今度やったら警察にいう」という親もいました。

それも次男が悪いので仕方ありません。

しかし、しつけの一つとして私が考えて事が今思うと良くなかったのかもしれません。

自己肯定感の低下をまねき、精神を病んでしまい最終的には「統合失調症」になってしまったのですから。。。。

でも当時はこれが当然だと思いました。悪いことをしたら誠心誠意謝るべきだとおもっていましたから。

しかしかなり後になって次男は理由を教えてくれました。

・個別授業で特別扱いをバカにされたこと

・長男の障がいをバカにされたこと

・仲間はずれにされたこと

・嫌なあだ名をつけられたこと

私は涙を流しました。

PTAの本部役員ということで学校の先生と近い立場だったので、子供の様子が良く耳に入ってきました。

相手の自宅まで行って謝るほどの事だったのか?

怪我をさせた訳ではないのにやりすぎたのではないか?

しっかりとした親とみられたいだけだったのではないか?

結局子供のしつけといって、単に自己満足だったのではないか?

次男は先生や友達にも怒られたはずなのにクラスのお母さんまで怒られたのは過酷だったよな。

とても反省をし、親として失格でした。。。。。。。。。

統合失調症忘備録⑨「聴覚過敏」

この時は個別授業が良い転機になると思ったのですが

次男は「聴覚過敏」と診断され、毎朝イライラが緩和される漢方薬を飲んで登校しました。

家では落ち着いて過ごしていますので、学校で、騒がしさから離席して外に出てしまうことは多少、やむえないのかと思っていました。

薬が効いてくれれば落ち着くだろう。そう思っていました。

そうしてしばらくすると、学校での通常のPTAの会合があり、終わってから担任の先生から話があると呼ばれました。

「相変わらず、離席が多いです。注意をすると暴言をいい授業を拒否します。」

「最近は授業中に、他の児童と文句をいうので授業がストップしてしまします」

薬の効果はないのか・・・とがっかりすると

「離席は聴覚過敏が原因なので個別授業をしたらどうかと思います。個別でも先生がついて授業をします。」

私は学校から、そのような提案をしてもらえるとは思いませんでした。

ただ様子がおかしくなっている児童は次男以外にもいる話は同級生のPTAの役員から聞いていました。この学級崩壊が原因で転校した児童もいました。

教育委員会でもいろいろ対策を考えている話も聞いていました。

私は、学級崩壊の一番の原因である児童の対応はどうするのかを担任に聞きました。

「一人は適応指導教室に行きます」

「あとの二人は個別授業をを同じようにします」

私は、適応指導教室と個別授業の違いを聞きました。

「適応指導教室は少し離れたところにある施設です。カリキュラムに沿って子供一人ひとりにあった学習支援をしています。また、地域の協力を得ながら、軽スポーツや野外活動、野菜作り、調理等の経験をお推して、人とかかわる楽しさを経験しています。」

担任は名前は言わなかったが、おそらくリーダー格のA君だろう。運動会の時に負けるように、次男にリレーバトンを落とせと命令した児童だ。

「個別授業は授業中、他の児童の邪魔をしたり、迷惑になることをしたら、落ち着くまで別の教室で勉強をします。落ち着いて教室で学習ができる様子になったら戻ります。」

次男どう思うだろうか。心配性だから、自分だけ特別扱いになるから嫌がるかもしれないな。

私は心配しながら家に帰りました。

次男はいつも学校の事を聞いても話そうとしません。ただ担任の先生が大嫌いという事だけは知ってていました。

担任の先生から聞いた「個別授業」のことを話すと

やはり複雑そうな顔でしたが、ホットしているような感じも受けました。

私も「聴覚過敏」が原因ののだからか、イライラすることなく落ち着いてできるのであれば、これで良いと思いました。

しかし、この「個別授業」が更なる病気の悪化の一途をたどるのでした。

統合失調症忘備録⑧「ADHD」

脳の障がいのひとつです。育て方は関係ありません

保健師の先生から、病院で相談してみてはと言われるとその指示に従いました。

「モンスター親子のようにはなってはいけない」

「次男もこのままでは、問題のある児童と一緒になってしまう。他の児童の教育を受ける権利を邪魔してはいけない。」

私は次男が、発達障害やADHDではないと思っていました。発達障害なら脳の障害なので、幼児期に必ず健診などで指摘を受けるはずと知っていたからです。

次男は幼児期の発達検査などで、今まで何も引っ掛かった事はありません。

注意欠陥多動性障害(ADHD:Attention deficit hyperactivity disorder)とは、不注意(集中力のなさ)、多動性(落ち着きのなさ)、衝動性(順番待ちができないなど)の3つの特性を中心とした発達障害のことを指します。また、注意欠如多動性障害と訳される場合もあります。

ADHDは7歳までに発症し、幼稚園や学校生活のさまざまな場面で、3つの特性から来る行動が確認されます。ADHDに関連した症状は短期間で消失するものではないため、学業や友人関係の構築に困難を覚えることがあります。

以上、メディカルノート抜粋

今の次男にあてはまることと言えば、

・不注意  忘れ物が多い、字が乱れる、不器用

・多動性  授業中立ち歩く

・衝動性  先生のいうことにすぐ反抗する。

最近になってこのような事が目立ちます。発達障害やADHDは急に発病するものではありませんが、今まで目立たなかっただけなのかもしれないと心配になりました。

学校から、紹介文を書いてもらい総合病院の児童科を受診しました。

・授業がうるさすぎて教室にいられず離席して外にでてしまうこと。

・いつもイライラしていること。

・先生に注意されても激しく反抗すること。

・長男が広汎性発達障害だということ。

以上をドクターに伝えました。

診断は「聴覚過敏」でした。

聴覚過敏は、感覚過敏のひとつです。 周囲の音が我慢できないほど大きく感じられたり、非常に気になってしまう状態のことです。 特定の音のみが不快に感じる場合も、周囲の音すべてが苦痛に感じる場合もあります。

確かに妻をはじめ長男も次男も私以外は耳が良いのは分かっていました。

「我慢できないほどうるさかったのか。」

病院からはイライラが緩和される「漢方薬」を処方されました。

「結局、ADHDではなかった。」

しかし、この時私は「統合失調症」の前兆だとは思いもしなかったのでした。

統合失調症忘備録⑦「モンペア対処法?」

学校側の対応も一苦労です。

モンスターペアレントの対処法を考える。

次男が「統合失調症」になったきっかけのひとつは、この年にかぎってモンスター親子がまざっていたことだったと思います。

 当時、私はPTAの本部役員として荒れている教室をみましたが、本来保護者も現状をみてもらって、親に自覚してもらった方が良いと思っていました。

学校側に親に教室をみてもらう話をしたのですが、以前より授業の参観を親が拒否をしているそうです。

それどころか、授業参観の話をすると、この状況を学校の責任にして逆上し、手が付けられなくなるようです。

学校側もなすすべがないとのことでした。

本来なら、現状を認めて学校と一緒に対策を考えるのがベストだと思います。

自宅でしつけ直すにしても、ADHDにしても、やり方があるはずです。

ただ学校もADHDかもしれないと分かっていても、医者ではないので保護者には言えない部分はあるかと思います。

まして、お子さんが障害をもっているとは言えないるはずもないです。

保護者も突然、障がいを持っていると言われても、困惑するのも分かりますし、人のせいにしたい気持ちも分からなくはないです。

保護者にもよると思いますが、このようなデリケートな問題の時は、学校側も細心の注意を払って、保護者の気持ちに寄り添い、今後の対応を考えていくことが「学級崩壊」の終息に大きく影響されると思います。「学級崩壊」が自然と終息される事はないと思いますので。

又、このような時は、学校側は医者を紹介して相談を促します。

 長男の場合ですが、保育園の時に、園長先生から医者を紹介してもらいました。

医者から「広汎性発達障害」と言われた時はショックを受けたのを覚えています

広汎性発達障害とは、対人関係およびコミュニケーション能力の障害やパターン化した行動、強いこだわりなどの特徴がみられる障害の分類のことです

長男には身体的な不自由さは感じていませんでしたが、育てにくさはとても感じていました。

赤ちゃんの頃から夜泣きがひどい、ハイハイができない、かんしゃくがひどい・・・などでした。

私と妻は何か育て方が間違っていたのじゃないか?と悩んだ時期でした。

障害があると分かった時はショックはうけましたが、心のどこかでほっとした部分もあったのです。育て方ではなく生まれ持ったものだったのだと。

 次男の方は先生が病欠になり教育委員会も動いていました。一大事と認識はされているはずです。

先生は病欠になり、そのかわりに、非常勤の講師が2~3名入りました。

次男は4年生の3月から不登校になりましたので、その後の学校の様子は分かりません。

5年生になると、担任の先生は転勤でいなくなりました。

統合失調症忘備録⑥「モンスターペアレント」

モンスターペアレントの対処法は?

私の地域は、夏休みが終わるとすぐ9月に運動会があります。

次男は足が速くリレーの選手に選ばれました。

そして問題があるA君もリレー選手に選ばれていました。

運動会は赤組と白組に分かれます。次男とA君はそれぞれ別の組でした。

運動会当日A君は次男にこう言ったそうです。

「バトンをおとせ」

「やらないと分かっているな?」

ですが、次男は気にすることなくバトンを落としませんでした。

このことは後から次男から聞いたのですが、それから嫌がらせが始まったそうです。

 授業の方は相変わらず、先生は騒がしい中、一人で授業をしている状況でした。

授業が成立せず、複数の生徒が廊下を走り回り騒ぐ・・・

そして問題がある児童が一人増えて3名になっていました。

 この頃になると、A君のおかあさんは保護者からモンスターペアレントとして恐れらていました。

A君のおかあさんに数名が苦言をいった話を聞きました。

すると、もそすごい攻撃にあったそうです。

まず、学校のせいにして逆上します。自分は被害者だと・・・

そして苦言を言った人の人格否定をします。

彼女から攻撃されてストレスで具合が悪くなった人まで出てきました。

それだけに限らず、彼女は子供が批判された「うわさ」を聞くと、その保護者の家まで出向き攻撃をするのです。

そのうち、おかあさんの保護者は誰も苦言を言う人がいなくなりました。

A君のおかあさん以外にも、学校や担任の先生のせいにしたり、指導力不足を強烈に批判する保護者が数名でてきました。。

もちろんA君のおかあさんは担任の先生や学校にも攻撃していることは想定内であり、ついに先生はモンスターペアレントと問題がある児童3名で精神を病んで休職・・・・

 次男は10月に入ってから目に見えて、様子がおかしくなりました。

授業中の離席が始まったのです。

先生が何度、注意をしても授業中に出て行ってしまいます。

次男に聞くと「うるさくて我慢ができない」と

このころから、イライラが強くなって、先生に注意されると強い口調で言い返す事が頻繁にでてきました。

こんなことがつづき、保健師の先生は念のためと病院の受診を勧められたのでした。

(次につづきます)

統合失調症忘備録⑤「学級崩壊」

この頃はギャングエイジと呼ばれていました。

「学級崩壊」の原因

統合失調症は、およそ100人に1人弱がかかる頻度の高い病気です。

一般的に主に思春期〜青年期の若い方が発症しやすいといわれています。

前回、「統合失調症 忘備録④」で次男が「統合失調症」になったと考えられる原因のもとを考えてみました。

遺伝という病気になりやすい「もろさ」と耐え難い「環境」が重なり統合失調症になったと推測されます。

今回は、改善の余地があったかもしれない「環境」について考えてみたいと思います。

不登校になる前の話です。

当時、小学校3年生頃から二人の児童により授業が騒がしかったようです。

小学校4年生に入ると、数名の親から

「子供が授業がうるさくてできない」と言っている。

そういった声が多く聞こえ始め、騒ぎが広がりました。

その当時、私はPTAの本部役員をしていました。

ある同学年の子供がいるPTA役員から話がでました。

「問題にのある児童がいて授業ができないそうですが、学校側は対策はないのか?」

しかし学校側は消極的でした。その時は事実を話そうとはしませんでした。

やがて、学級懇談会でも話し合いになり、実際の授業風景をPTA役員の私ともう一人で見る事になりました。

以前、授業参観したときの記事を書きましたが

二人のお子さんは、授業中ウロウロするのは日常で、先生に関係ない事を話しかけたり、寝転がったり、水槽で遊んだり、騒いだりと・・それに何人かつられて他のお子さんも騒いだりとすごい状態でした。

一緒に参観した保護者の方は

「まるで動物園だ」

と言っていました。

私は長男が発達障害なので、自分なりに勉強していました。

「おそらく、ADHDなんだろうな」

ADHDとは注意欠陥多動性障害の事です。

障がいのの一つで本人が悪いとか、保護者の育て方が悪いとかではありません。

おそらく学校側も発達障がいの事実をあまり広げたくなかった配慮だったのかもしれません。

それともう一つ学校が配慮した理由が、二人の子供のうち一人の母親はかなりのモンスターペアレントだったからです。

子供に何かあると先生を罵倒したり、校長先生に苦情をいったりと学校のせいにしていました。校長先生もかなり疲弊していたようです。

きっとその母親も子供が発達障害という事を受け入れられなかったかもしれません。

学校側もデリケートな問題なようで、そのお子さんを一緒に授業をうけさせないことができないようです。

学校が表立って何も対策をしないまま、長い夏休みが始まりました。

「学級崩壊」問題については一旦、先送りです。

夏休みが終わるとすぐ「運動会」があります。

この運動会で次男とADHDと思われる児童との問題がおき、次男が崩れてしまうことになるのでした。

(次につづきます)

統合失調症忘備録④「環境?」

安心して学校に通わせたかったです。

統合失調症はなぜ起こるのか(❹環境)

環境の影響は?〜ストレスフルな環境は改善しましょう〜

かつて養育環境の悪さが発病の主因と考えられたことがありましたが、現在ではこの考え方は支持されていません。養育環境はあくまでも発症の1つの要因にすぎません。しかし、養育環境を含めたストレスフルな環境は統合失調症の発病に影響すると考えられています。

以上、統合失調症ナビ引用

次男についてはこの❹の環境が統合失調症の大きな原因だったと考えていました。

「学級崩壊」と「いじめ」という大きなストレスが影響された事は間違いありません。

統合失調症ナビでも、

統合失調症の発症については、1つの原因に起因するものではなく、いくつかの危険因子が重なって発症するというストレス・脆弱性モデルが考えられています。病気になりやすい“もろさ”(脆弱性)があるところに、周囲のストレスフルな環境や重大なライフイベントなどのさまざまなストレスがかかることが発症の引き金となるという考え方です。

とあります。

これを次男にあてはめると、

「遺伝というもろさ」

「耐え難い環境」

により、小学生ではあまり例がない「統合失調症」を発症したのではないかと思います。

もちろん、遺伝については変えることはできません。しかしこれを踏まえた上でもっと次男に配慮ができたのではないかと思うと悔やんでも悔やみきれません。

もう一つの耐え難い環境の改善についても、力不足だったかもしれませんが、何もしなかった訳ではありません。

この次男が耐え難い環境だった「学級崩壊」と「いじめ」についても振り返ってみたいと思います。

統合失調症忘備録③「脳の変化・性格?」

統合失調症の決定的要因はないようですね。

統合失調症はなぜ起こるのか(❷脳の変化)

脳の変化とは?〜妊娠期・出生時の障害の影響も原因の1つにすぎません〜

いくつかの統合失調症の患者さんの脳について調べた研究では、脳の萎縮がみられること、前頭葉や側頭葉という部位が小さいこと、海馬や扁桃体という部位がとくに左側で小さいこと、前頭葉の機能が低下していることなどが報告されていますが、これらが発症にどのように関与しているのかについてはまだわかっていません。
また、お腹の中にいるとき(胎児期)のウイルス感染や栄養不良、出生時の無酸素状態などで脳の機能的な障害が生じ、成長期の神経系の発達や成熟に影響を与えてしまった場合に、発症の原因になるのではないかと考えられています。したがって、これら妊娠期や周産期の障害があったからといって発症するわけではなく、危険因子の1つにすぎません。

以上 統合失調症ナビ引用

次男は、脳の検査はしてもらっていません。

病気の原因が分からない為、検査をした方が良いのか?迷った事もありましたが、 仮に 脳の萎縮 があったとしても 、結果論になりますし、 発症にどのように関与しているのかについてはまだわかっていません。

当時は直すことを前提としていた為検査をしませんでした。

また、お腹の中にいるときや、出生時に何らかの影響があった場合のことですが、これは当時、病院からは特に指摘がありませんでした。こちらは関係ないようです。

統合失調症はなぜ起こるのか(❸性格)

性格は関係するの?〜よくみられる気質・性格があるといわれています〜

統合失調症の人には一定の性格傾向があることが知られています。たとえば、内気でおとなしく、控えめ、神経質なところがあるかと思えば無頓着であったり、傷つきやすいなどの気質です。人と交わるのが苦手で、一人でいることを好む傾向もしばしば見られます。これらはすべての人に当てはまるわけではありませんが、発症と何らかの影響があるのではないかと考えられています。

以上 統合失調症ナビ引用

次男は病気になるまでは活発でした。友達も多く学校が休みの時はほとんど自転車で出かけていました。内気でおとなしくはないのですが、とても神経質で傷つきやすいのです。

最近「HSP」という言葉よ良く耳にします

英語では、Highly Sensitive Person(ハイリー・センシティブ・パーソン)といい、「ひといちばい繊細な人」という意味で、この頭文字を取ってHSP(エイチエスピー)と言います。

人の気質を表す言葉だそうですが、「妻も私の事だ」と言いっています。

私も妻は人の言動に動揺しやすかったり、人の感情に自分の気持ちも左右されてしまったり、します。

毎日「生きにくい」だろうなと思っていました。

長男もこれにあてはまりますし、次男も当てはまります。

次男は傷つきやすいのですが、その事を人に言うことができません。我慢をしてしまいます。

以前「名前の苗字を変えてほしい」ということをいわれました。

なぜかと聞くと

「嫌なあだ名をつけられるから」と言っていました。

苗字は変えることはできないよ。とあまり深く考えなかったのですが、本人からすると深刻な問題だったかもしれません。

それに、いじめの前兆だったかもしれない事を考えると後悔しています。

統合失調症忘備録②「遺伝?」

良い遺伝ならよいのですが・・・

統合失調症はなぜ起こるのか?(❶遺伝)

次男が「統合失調症」と診断されたのは、児童精神科の病棟に入院する前の小学校六年生の三学期です。精神障害者手帳の1級も取得しています。

それまでは、特に診断名というものは無く、ある医者は「聴覚過敏?」別の医者は「ADHD?」 (注意欠陥多動性障害) といったあいまいな感じでした。

次男はこれまでの小児検診でも特に発達障害関係の指摘がなく「ADHD」 (注意欠陥多動性障害) は違うかな?と思っていました。

長男の場合は幼児の時に、発達障害の「自閉症スペクトラム」と診断されています。

発達障害は生まれ持った障がいなので、急になる病気などではありません。

次男は4年生までは特に発達障害の指摘はありませんでした。

小学生で統合失調症になる事例は少ないようです。

では、「統合失調症」はなぜ起こるのか?

原因は十人十色だと思いますが、そこから次男が統合失調症になった原因なども考えてみたいと思います。

一般的に統合失調症になる原因はまだはっきりとわかっていないようです。


現在のところ、ストレス・脆弱性(ぜいじゃくせい)モデルの考え方から、原因は1つではなく、さまざまな原因が複雑にからみ合って発症すると考えられています。

①遺伝が原因?〜遺伝はあくまでも原因の1つにすぎません〜

統合失調症では遺伝的な要素があると考えられていますが、あくまでも原因のうちの1つに過ぎません。たとえば全く同じ遺伝子をもった一卵性双生児が2人とも発症するわけではなく、その割合は50%程度です。また、統合失調症の患者さんの家族を調べても、両親の約9割は統合失調症ではなく、兄弟を含めてもその割合は約8割とされており、さらに甥や姪まで調べても約6割とされていますから、遺伝は発症の原因の1つでしかないことがわかります。病気が遺伝するのではなく、病気のなりやすさが遺伝すると捉えることが大切です。

(以上 統合失調症ナビ 引用)

妻の父は妻が小さいころ、精神を病み自殺をしています。

妻の家は昔、地元では名のある名家でした。妻のおじいちゃんがやり手で手広く事業をしていました。妻の両親は晩婚で父は婿養子ですぐ社長になりました。

いきなり社長になったので、かなりのプレッシャーがあったことは推測されます。その時、精神病あるいは統合失調症だったかは分かりません。

(その後は妻の母が社長を継ぎました。私も結婚後しばらくして、今の会社を辞め手伝うこととなります。理由は跡継ぎの妻の実家の長男が、次に書きますが病気になったからです。ですがその後すぐ事業がうまくいかなくなり私が手伝いに入ってから4年で倒産してしまうのです。又機会があれば経緯などは書きたいと思います)

妻には双子の兄がいます。実は兄は「統合失調症」で今も入院をしています。

妻の双子の兄は、高校時代からバンドを組み、ミュージシャンをめざし上京しました。

私が結婚して2年後くらいに様子がおかしくなり地元に帰ってきました。

幻聴や幻覚になやまされ服薬していました。

幻聴、幻覚が日に日にひどくなり、「人の声が聞こえる」と、急にいなくなったりすることが多くなりました。

警察にもお世話になる事も多々あった為、入院をしました。

原因は聞いていません。かなり後になりますが「統合失調症」と聞きました。

妻の家系では次男に近いところで統合失調症になっています。

「統合失調症」への病気のなりやすさが遺伝したかもしれません。

統合失調症忘備録①「プロローグ」

「統合失調症」になった過程を振り返ります。

プロローグ

以前、「ひきこもりTV,回復した娘」という記事を書きました。

このテレビのお母さんは娘の首を絞めて一緒に心中をしようと考えたこともあると答えていました。

私も同じように次男がひきこもりの時に何度も考えた事があります。

私もどうしたらよいか分からない時、ネットの記事を見たり同じような境遇の方を参考にしました。

良いと思ったことは試しては失敗の繰り返し、試行錯誤、トライ&エラーで何とか5年間、落ち着いた生活ができるようまでなりました。

ここまでこれたのは、学校の先生方、病院の先生方、病棟の職員の方、福祉施設の職員の方、行政の方などのお力があったことに対して大変感謝をしております。

ですが私自身、あの時ああすれば良かった、このようにすれば良かったと思う事がたくさんあります。

次男は「統合失調症」になるほど傷つきました。

親としても、このような時にどうしたら良いか分からず、先が見えず、行き詰ってしまう事があった時、好転する何かのきっかけになればと思い、資料など残っていますので整理しながら振り返ってみたいと思います。

一番辛い思いをしたのは次男です。

このようなお子さんがいなくなりますように。