99%不登校は直る

以前、「私と三人息子は発達障害です。何か? 」とう本の紹介をしました。

私はは講演会を聞いたて、内容も著書と同じだったので、併せて紹介をさせていただきました。

今書いている「統合失調症忘備録㉝」の頃は、「統合失調症」や「発達障害」などの診断名はありませんでした。

今思えば、医師もどう診断したらよいか分からなかったのかもしれません。

次男の対応に困っていた私は、医師や臨床心理士のアドバイスに従うことしかできませんでした。

しかし、いっこうに良くならない為、病院もかえました。

そうるすしか方法がありませんでした。

長男も発達障害だったので、なにかしら発達障害の関係ではないかという思いもあり、関連する本もよく読みました。

その中でも、参考になった本や、次男にはあてはまらなかったけれども、不登校についての本、親はどうしたらよいのか?などを要約してご紹介させていただきたいと思います。

お子様が不登校や発達障害で悩んでいる方の参考になれば幸いです。

今回は森田直樹著「99%不登校は直る」という本です。

「不登校で苦しむ家族の希望の書! 不登校になってしまった原因は追及せず、1日3分の家族の働きかけにより、子どもの心のコップを満たしていくことで、必ず再登校が実現します。豊富な成功事例が全国で注目の的です。」

残りの1%は何?、不登校は直るという表現でいいのか?と思いましたが、すごい自信の本だと購入をしました。

人には心のコップがある。それは自信の事をいっています。コップの大小はあるけれども、その自信を満たせば不登校は直る。ということです。以下要約になります。

・子供の良さを三つ以上見つけて、気持ちを込めて伝える。

 うれしい。楽しい。子供の持っている良さ。資質。なによりも愛情が大切

 例えば、

「あなたのおはようの声を聴くと元気だと分かるからうれしい」

「足音を聞くと本当にうれしくなる」

 子供に無視されても当然。気にしない。

 「本当にそう思うんだよ」

 それ以上の事は言わない

・親子のふれあいが必要(散歩や買物)

・子育てはお母さんの心次第で決まる。

・しつけはする。悪い事をすれば諭す

・ネットの使い方については約束する。

 ペナルティや使用禁止などを決める

・ちょっとした声掛けが必要

 「ごはんできたよ」「おやつあるよ」

・少しでも良いところを見つけて褒める。

・子供の要求を100%受け入れる

子どもの要求を100%受け入れるのは、要求がだんだんとエスカレートしないか心配だと思います。

筆者は、子供は劣等感や優越感を感じ、愛情を与えた親を信じると言っています。

私も分かるような気がします。

次男も反抗的な態度で何度も私を困らせました。

自分の事を考えてくれるか試し、愛情を確かめているかは分かりませんが、今はきちんと話を聞いてくれる子供になったと思います。

学校再開、不登校生徒は?

新型コロナウイルスの感染拡大に伴う緊急事態宣言が今月末まで延長されました。

ニュースでは感染者の少ない一部地域の学校で11日から授業が再開されていました。

休校が続く地域でも、子どもたちの学習や感染予防に注意を払いながら、登校日を設けるなど、学校再開に向けて動いています。

おそくても全国的に6月から学校が再開されそうですね。

学校再開まで残り3週間というわけです。

我が家は長男は数か月単位で不登校になり、又次男は約5年間不登校になっていました。

子供たちのケアも大変ですが、なかでも三食の食事は大変でした。

二人とも男の子ですし、体は健康なものですから育ちざかりでもありよく食べます。

昼食だけですが、学校給食のありがたみが本当によく分かります。

新型コロナウイルスにより学校が約3ケ月間休みになり、私の会社のお母さん達もなにより食事の準備が大変だと言っていました。

特にお昼も含めて食事を作らないといけないのは大変だったと思います。

ようやくお母さんは苦労から解放されまね。

これからは学校によってオンライン授業や時間差登校などあるかもしれません。

しかし、生活のリズムは不安定だと思います。

6月までの約3週間の過ごし方が重要ですね。

不登校の子にとってはこの3ケ月の休養はストレスを減らすためには必要なこと
だったと思います。

学校へ戻れるかどうかも、この6月までの残りの日数に掛かっています。

これから規則正しい生活をしなければいけません。

しかし、新年度も2ケ月遅れのスタートです。その分授業日程も詰まってくると思います

少し休むと、授業の抜けが大きくなり戻ったとしても、授業が理解できず、また学校を欠席する可能性もあります。

次男は特別支援学校なので小規模クラスでありこのような心配はないのですが、普通学校の生徒は大変だと思います。

夏休み返上かも?という心配な声も聞こえてきます。

この逆風をなんとか追い風にしたいものですね。

ひきこもりのTV・回復した娘

ひきこもることも大切だと思います。

テレビ番組「NEWSな2人 」~【10年ひきこもり女性を直撃!小山が説得…久々の外出で驚き結末】(再放送)をみました。

下記概略を引用。

「渡邉美智子さんは娘の真美子さんやひきこもりになっていると語り、10年経つという。娘の首を絞めて一緒に心中をしようと考えたこともあると答えた。スナックを経営しながら二人の娘を育てた美智子さん。長女の真美子さんは23歳頃からひきこもりになった。美智子さんは仕事をして欲しいと訴え、その真美子さんの元へ訪れた。真美子さんは部屋の中でテレビを見たりし、10時に起床している。

渡邉真美子さんはひきこもりになった理由に太り始めて友人に陰口を言われたことがきっかけと答えた。さらに距離を縮めようと小山慶一郎はゲームを提案し、真美子さんは面白かったと答えた。ここで小山は真美子さんが変われるようにジムに行かないか?と提案し2年ぶりに外へ出た。」

渡辺さんは、友達に陰口をいわれ、自分に自信を無くしてしまい、ひきこもってしまったようです。

私の場合は長男、次男ともひきこもり、不登校になっています。

長男の場合は、中学三年生の時の三学期に3ケ月と特別支援学校の高等部三年生の時に5ケ月。

次男の場合は、小学校4年生の3月から中学校2年生になるまでの4年間と少し。

長男は発達障害です。先を見通すことが苦手で対人不安が強い為、卒業が近くなると未来の不安が強くなりひきこもってしまいます。

そのため卒業式が終わり次の進路に進むと環境の変化に慣れれば適応していきます。親としてはなかなか理解の難しいところでしたが直近の高等部の不登校で分かってきました。

昼間は家にひきこもりですが、夜は外に出る事ができました。

近年のひきこもり はコミュニケーション障害を有している発達障害、あるいは発達障害の傾向を持たれている人も多いようです。

次男はテレビのケースと似ています。学級崩壊とイジメでひきこもりになっています。長男の時と違い障害はあまり関係ないようです。

ただし、統合失調症になるくらいのダメージを受け入ています。

次男のひきこもりは、まったく家から出れません。部屋からも出れません。トイレにも行くことができませんでした。

ゴミ箱におしっこをしたりするので、おまるを準備したほどです。幻聴、幻覚、暴力、暴言と大変でした。

ひきこもりも十人十色、ひとりひとりの背景も様々だと思います。

テレビのひきこもりの方は、「背中を押してくれる」人と「自信の回復」が大きいのだと思います。

つまり「自己肯定感」です。

長男、次男とも今はひきこもりから回復しています。

ひきこもりは日本に115万人以上いると言われています。

このテレビのお母さんは娘の首を絞めて一緒に心中をしようと考えたこともあると答えていました。

もし少しでも参考になるところがあれるのであれば、苦しかった過去ですが振り返ってみようかと思いました。

スーパー校長先生がきた。

学級崩壊は深刻な問題です

次男とスーパー校長先生とは一度も会ったことがありません。

私は定期的に校長先生とはお会いし、子供の近況や先の見えない状況をお話ししました。校長先生はいつも

「トライ&エラー」ですよ。

といつも励ましてくれました。

小学校卒業時、校長先生からお手紙をいただきました。

当時の次男は、入院する前で幻聴、幻覚がひどく、部屋から全くでれない状態でした。

校長先生から手紙をもらったことは伝えたのですが、読む気力がありません。

私はいつか、渡すタイミングがきらた渡そうと思っていました。

そして特別支援学校の中学部を卒業した時、渡しました。

「小学校卒業した時の校長先生の手紙や、読んでみて」

次男は一度も会ったことがないので「?」という感じでした。

「いい校長先生やったよ。最後まで心配してたし」

次男は読み終わると

「本当や。この手紙もらっていい?」

自分のリュックの中にしまいました。

このような事が書いてありました・・・・・抜粋です。

「逆風も、振り返れば追い風になる」

人生にはいろいろな事があります。

風当たりが強く、なかなか前に進めない。自分だけが上手くいかず、周りから取り残されて苦しい思いをしているなどと感じることがあったならば、この言葉を思い出してほしい。

「どんなに辛くとも、自分の味方や進むべき方向に柔軟性をもたせれば、さっきまで逆風だった風も、一瞬にして追い風となり自分の味方になることもある」

よく悩み苦しみました。そしてよく自分の事を、家族のことを考えました。それは絶対に無駄な時間ではありません。いつの日か

「あの二年間があったからこそ・・・」

と思える生き方をすればよいだけです。焦ることも、慌てる必要もありません。誰の人生でもなく君の人生なのですから、君は、君のペースで進めばよいのです。

まずは、しつかりと療養をして、再び元気な心を取り戻してください。そして、この先のことを考えられるようになった時に、もう一度この手紙を読んでくれると嬉しいです。

では、読んでくれてありがとう。さようなら・・・

私、自身も励まされたのでした。

学級崩壊

小学校卒業時、校長先生からいただいたことば。

私は次男が病気になる前からPTAの役員をしていました。

当時、次男の学年は、「学級崩壊」をしていました。

PTAへも保護者より苦情が来たため、何度か授業を参観しました。二人のお子さんにより授業ができない状態でした。

二人のお子さんは、授業中ウロウロするのは日常で、先生に関係ない事を話しかけたり、寝転がったり、水槽で遊んだり、騒いだりと・・それに何人かつられて他のお子さんも騒いだりとすごい状態でした。

一緒に参観した保護者の方は

「まるで動物園だ」

と言っていました。

担任の先生も授業ができないので完全無視をしていました。

ですが、ある日倒れてしまい、ノイローゼになってしまいました。

教育委員会の方が何度も来たり、個別授業をしたりしていました。

その中で何人かの他のお子さんに異変がでてきました。

そのうちの一人が次男です。日々イライラが強くなってきました。授業を受けたくないと出て行ってしまうこともしばしばありました。

授業を受けたくないというお子さんは数名いたのですが、あるお子さんは我慢ができず転校してしまいました。

PTAからも学級崩壊をしているお子さんの保護者にもお願いをしたのですが、一人のお子さんが学校のせいの一点ばりで、全く受け入れず手づまりになっていました。

今思うと保護者の方もどうすればいいのか分からなかったと思います。

学校側もデリケートな問題なようで、そのお子さんを別授業にするなどできないようです。

私は長男が発達障害なので、自分なりに勉強していました。

「おそらく、ADHDなんだろうな」

ADHDとは注意欠陥多動性障害の事です。

障がいのの一つで本人が悪いとか、保護者の育て方が悪いとかではないことも分かっていました。

ですが、学校も校長先生も、PTAもどうしたらよいか分からず一日一日が過ぎていってしまいました。

PTA会長がある日、

「来年、スーパー校長がくるんだって」

教育委員会にいる先生なのですが、学校がピンチ?の状態になると学校に派遣される校長先生の事だそうです。

私たちは、スーパー校長に期待していました。

ですが、新年度になる前の3月、スーパー校長先生がくる寸前に、次男は上級生から暴行を受けて不登校になってしまうのでした。

つづく・・・・

誰もいない卒業式会場にて

(イメージ)コロナの為席の間隔もっと広いです

支援学校に着くと先生が玄関まで迎えに来てくれました。

 先生「無理でしたか・・・・

担任の先生には、長男も行けたら一緒にきます!

と伝えていました。

長男も行こうか悩んでいましたが

「就労支援の施設にいくことに迷いがでるかもしれない」

から来ないことを伝えました。

先生は悲しい顔をしていました。

高等部の一年生の時から三年間お世話になった先生

でした。気持ちの波が大きい長男の事を

いつも気にかけてくれたやさしい先生です。

私も先生になんと言ったらよいのか分からず、

「先生のことや学校が嫌じゃないので」

「次男の行事で学校にくる事があったら

 先生にも会いたいと言ってました」

と慰めにもならないような事を言ってしまい、後悔しました。

教室に先生とむかうと、

机が5つと黒板には、先生の手書きで

「卒業おめでとう」

長男へのメッセージ

「三年間陸上がんばったね」

涙がこみ上げてきました。

それもつかの間、大量の荷物を一度に持てず

三階の教室から駐車場まで三往復し

とても疲れました(笑)

教室に戻り私は先生に

「他の生徒さんにもよろしくお伝えください」と言うと

担任の先生は

「卒業証書も一緒にお渡ししますね。

明日来てもいいように、体育館のステージの上の机に準備してあるので」

と感謝をしながら、

一緒に体育館までいきました。

卒業する生徒の数は約30名

コロナの影響で

来賓席もなく

卒業生の席と保護者の席と若干名の先生方の席のみ

(保護者は卒業生一人につき一人までらしい・・)

一人づつの席の間隔が、体育館いっぱいに

離れています。

ステージまで行くと

    担任の先生 「卒業証書、読み上げましょうか」

    私「お気持ちだけで・・・」

やんわりと断りました。

私はステージの上から

誰もいない卒業式の会場を見渡し

長男の気持ちも分かってはいるものの

「卒業式でれればいいのになぁ」

複雑な気持ちになったのでした。

卒業式にはでれないけれど

誰もいない教室には明日の卒業式のメッセージが手書で・・・ちょっと切ないです

今日は長男と一緒に福祉センターへ行く日です。

就労支援B型の施設を利用する説明を受ける為です。

就労支援B型とは正しくは就労継続支援B型といいます。

年齢や体力などの面で雇用契約を結んで働くことが困難な方が、

軽作業などの就労訓練を行うことができる福祉サービスです。

以前は日中は外へ出ることができませんでした。

本人の中で

「学校に行かない罪悪感」

があり人と会うのを避けていました。

でも卒業が近くなるにつれ、以前は頓服の

リスペリドン( 抗精神病薬 )を一日の上限まで飲んでいましたが

卒業式が近くなるにつれ、薬の量も少なくなってきました。

11月より、不登校の長男ですが、

学校側はいつ来てもいいように

荷物など必要な学品はそのままにしてもらってます。

しかし、いつまでもそのままにしていただくこともできないので

卒業式の前日にいままでのお礼を兼ねて、長男の荷物を

取りに行く事にしました。

荷物を取りに学校へ行く日と

福祉センターへ行く日を合わせて

調子が少しづつ良くなってきた長男に、

「福祉センターの帰りに、学校に行ってみるか?」

打診してみました。

長男は少しなやみましたが、

「就労支援施設に行く気持ちが下がるかもしれないからやめておく」

私も

「学校にはいきたいけど行けない」

「卒様式に出たいけどでれない」

気持ちを分かっているのでそれ以上の事はいいませんでした。

福祉センターへ行った後、長男を家に送り

私一人で卒業式を明日に迎えた

特別支援学校へ荷物を取りにいきました。

(一人で荷物を持って帰れるかと・・・・)

学校には、もういかない。

    長男の課題・・・・・・・

長男は昨年の11月から不登校になっています。

今、ひきこもっている長男は

5歳の保育園の時に発達障害(自閉症スペクトラム)

と診断されています。

(この時のエピソードはまた後日)

発達障害の長男の苦手な特徴を簡単にいうと

「自分の気持ちを伝えることが苦手」

「人と接することが苦手」

「マイナス思考」

本人も自分の事を「心配障がい者」というくらいです(笑)

3月に支援学校の高等部を卒業します・・・・が、

「学校には、もういかない」

と言っています。

中学生の時も卒業まじかに、

二か月くらい不登校になりました。

思い当たることはあるのですが、

特に人生の転機になると、色々悩むようなのです。

長男は小学校の3年生までは普通学級。

4年生からは支援学級で過ごし

中学校も支援学級でした。

その後、特別支援学校に進学しています。

中学校の時は卒業直前で不登校になったのですが

最後は学校にいきました。

でも卒業式はでませんでした。

卒業式は校長室でしてもらい、卒業証書を手渡しでもらいました。

現在の高等部では、

「学校にはもう、いかない」

と言っていますし、

もちろん卒様式もでません。

長男は外出もほとんどしないので家でひきこもっています。

ただ、ひきこもっているだけでなく

本人も悩みや不安から

二階の部屋で暴れたり、大きな声をだしたりと

精神不安定になります。

私の基本スタンスは、

「今までよく頑張ったな」

「行きたくなければ、いかなくてもいいよ」

「行きたくなったら、行けばいいさ」

で、あくまでも「無理はさせない」のですが

(かかりつけのドクターの指示も同じです)

でも、親としての願望が

「そこまで悩まなくても・・・」

「学生最後くらいはけじめとして学校にいってほしいな」

という思いがちょこちょこででてきてしまうだめな親です。

「不登校は背中を押してやった方がいいんじゃないの」

という人もいますが、

不登校よりも一番心配しているのは

「二次障がい」なのです。

これは次男の時に、大変家族が苦しみました。

二度とない、学生生活を後悔しないかは心配ですが

これからの人生が長いのです。

長男は「卒業すればがんばれる」と言っています。

就労支援B型を利用しますが

行けるかどうかわかりませんが

焦らず、無理をさせず。

こどもを信じて見守るだけですね。