私と三人息子は発達障害です。何か? ②

この本の概略はこのようです。

「笹森家は、著者本人ばかりか3人息子も全員が発達障害。イジメにあったり、学校や病院での無理解に泣 いたり、でもわが子の意外な反応に思わず笑っちゃったり。そんなリアルな体験をもとに、世間の誤解を上手にかわし、子どもの潜在能力を伸ばすノウハウを、全国各地で講演中。そのエッセンスを一冊に集約。」

具体的には三人兄弟の長男、次男の関係が我が家と似ています。

知的がある自閉症なのも同じです。

笹森家はドラえもんに例えるなら長男がのび太で次男がジャイアンだそうです。

次男はストレスをのんびりタイプの長男にぶつけるそうです。

我が家も同じです。

次男は自傷行為やパニックになりやすいそうです。

お母さん(作者)は子供を見ることが苦手で、「障害受容」には時間がかかったそうです。

この子はこの子で良いという、障害を受け入れることです。

大切なのは子供の未来を信じて3年後5年後を意識しながら精一杯頑張る。

学校の先生の対応や理解

見た目が分からない発達障害者を特別扱いするのも、他の生徒が分かったという言葉がでるまで先生が説明する。テクニックだけではダメだそうです。

みんなで考える。先生が発達障害の子の存在を消さない事が大切。

不登校の親について

不登校の親は孤独。

価値ある不登校にする。

すぐに怒らない。

人として認める。

困っていればさりげなく助ける。

家にいるとゲームや動画、漫画ばかり読んでいるのは、やることがないからするだけ。作業している。本当はしんどい

失敗する勉強(リカバリー)

失敗しても良いよ。折れることの勉強。

長男は違うと思ってもうんとしかいえない。

次男は折り合いをつける。物事でひくことができる

総合的に

真っ正面からは話しにくいので遊びから入る

そだちを見守る。待つ。

自己選択できるようにする

自己肯定感を高める。

たくましさ。

助けを求める人を助けることができるように。

自分のことを知ることができるように。

最後に「お母さんのせいでこうなった。」泣き叫ぶ子供をたくさん見てきたそうです。

心配しすぎ、気にしすぎはNGです。

快適で安心できる環境を作ることが大切。

以上、この講演会で気になることのメモです。

これから3年間不登校(入院期間1年含めて)になるのですが、参考になりました。

私の次男は結果、統合失調症になりました。

いろんな原因が考えられますが、次男は二次障害だったと考えられます。

二次障害を防げなかったのは親の責任かもしれません。

でも、次男は今立ち直り前を向き始めています。

私と三人息子は発達障害です。何か?

育つ力と育てる力 私と三人息子は発達障害です。何か?  笹森 理絵 (著)

次男が不登校になって4ケ月がたち、小学校5年生も一学期も終わろうとしていました。

不登校の状況ではありますが、次男の家での様子は日に日に悪くなるばかりでした。

医師からは「発達障害」などのこれという診断もなく、どうしてなのか?どう対応したらよいのか?という疑問ばかりで解決方法の糸口もありませんでした。

私自身も当時は「発達障害」や「統合失調症」などの診断名はどうでもよく、不登校でも日々落ち着いて過ごしてほしい。元気で生活してほしいという願いでした。

医師やSSTの臨床心理士からの具体的なアドバイスもなく、学校からは面談を求められプレッシャーをかけられるという事に嫌気がさしていました。

私は長男が「自閉症・広汎性発達障害」と診断を受けていましたので、次男も発達障害がベースにあるのではないか?

医師では判断しづらい、グレーの部分があると思っていました。

当時は自分でも、もっと発達障害について勉強しなければいけないと思い、ネットで調べたり、著書を読んだりしていました。

この時、ちょうど表題の著書である笹森 理絵 先生の講演会があることを聞いた私は会場まで向きました。

笹森さんは・・・

当事者、母親、社会福祉士、精神保健福祉士、睡眠健康指導士の多様な視点を
活かしての多様性(ダイバーシティ)、発達障害ダイバーシティサポーターと
して、保護者などの親の会、一般の方々、教育、福祉、医療、行政などの専門
職、援助職の方々に向けて、講演会や研修会の講師や委託でピアカウンセラー
をさせていただいております。発達障害の特性について、日常生活に即した具
体的な話や不登校についてのお話、私の歩んできた経験、発達障害三人息子の
子育てなど希望にそってお伝えできます。  

(ブログより引用)

発達障害は精神障害同様に目には見えない障害ですので、昨今メディアでも多く特集などで取り上げられています。

教員や行政機関、医療機関、福祉関係の方など多くの方がいるようでした。

私もこの講演会を聞いて,次男とも重なることも多かったのを覚えています。

当時この講演会を聞いたり、表題の著書を読んで思うこと、そして今「統合失調症」と診断されて、親として思う事をこの講演内容を元に考えたいと思います。

セカオワ

5月25日付のサカオワの記事をみました。

「2020年9月5日(土)から2020年9月17日(木)までの開催を予定しておりました、SEKAI NO OWARI DOME TOUR 2020「Du Gara Di Du」は、新型コロナウィルス感染拡大による国内・国外の情勢を受け、ご来場予定のお客様、及び出演者、関係スタッフの健康・安全面を第一に考慮した結果、大変残念ながら全5公演を中止とさせていただくことを決定いたしました。」

私がセカオワに興味を持ったのは、以前、セカオワfukaseことボーカルの深瀬慧(ふかせさとし)さんがテレビで発達障害の過去を語っていた事です。

深瀬慧さんの壮絶な過去は次男とも重なる事が多いのです

「先天的な精神疾患を煩っており小さい頃から学校の勉強が苦手で成績は良くなかった模様。

深瀬はこの精神疾患とは今もつき合って生きているようで、今に至るまでに相当病気で苦労している。

先天的な精神疾患とは発達障害の「ADHD」だそうです。

中学生時代はひどい虐めにっており、不登校になってしまいました。

深瀬慧さんは中学の頃、集団リンチにあい、学校に行かなくなりました。
ヤンキーであったとも言われていますが、髪は茶髪であることが写真からもわかります。
中学時代を不登校で過ごし、その後、高校に進学しますが1年で中退。
アメリカンスクールに通い始め、留学するもパニック障害に陥り、2週間で帰国。
そして、精神病棟に入院することとなります。

現在も精神安定剤を服用されているそうです。

次男は上級生から暴行を受け小学校、中学校と不登校になっています

その後、閉鎖病棟で精神病院に1年間入院します。


自分が入院したことで、精神医療の現場を目の当たりにした深瀬慧さん。
カウンセラーになるべく、大学受験を目指したこともあったとか。
しかし、予備校からの帰り道がわからなくなってしまうほどの現実から、
その道も断たれてしまいました。

飲んでも副作用の強い薬・・・
飲まなくとも吐き気や目まい等の症状に悩まされていたそうです。

副作用で勉強した内容も忘れてしまうと言っていました。

私も次男が処方されている薬を調べましたが相当強い薬を飲んでいました。

病気になる前の直前にIQテストがありましたが、得意なものと苦手なものの差がかなりありましたが総合的には100以上はありました。

次男は不登校になってからの4年後の中学二年生から特別支援学校に通えるようになりました。

特別支援学校の高等部は療育手帳が必要になるため再びIQテストを受けますが、60まで落ちていました。薬の影響は当然あると思います。

もう学歴も、得意なことも何にもない、そんな状態で自分に残ったものは、病気と、強い薬と、出られない――閉鎖された病棟っていう。」

れまで大して音楽はやったことがなかったといいますからこれも驚きです。

その後仲間を集めて「clubEARTH」の建設に着手。この時のモチベーションを聞かれても、「もうこれしかない」という気持ちしかなかったと言います。

残された道が音楽だけだった。
次男と同じような境遇の人がその音楽の世界で大成功し、今では超人気グループになりました。

次男にも希望を持ってほしいと思います。

麒麟が来る

長男はこだわりでNHKしか見ません。

特に大河ドラマの「麒麟が来る」は大好きで欠かさず見ています。

私も歴史が好きで、その中でも戦国時代が好きなので見ています。

前回は美濃の当主でもある斉藤道三の息子と斎藤道三とで戦いをします。

息子の方が優勢なのですが、ドラマでは最後に親子で一騎打ちをします。

その時、道三は息子にむかって

「父の名をもうせ!」とすごい形相で言い放ちます。

長男にはよっぽどインパクトがあったらしく、よくこのものまねをして私たちを笑わします。

今日は麒麟がくるの19話の放映でした。

前回は織田信長は自分を殺そうとした弟、信勝を殺害するところで終わりました。

今回は信長と母と面会するところからはじまります。

幼き頃から非常識な行動とだらしがない格好で「うつけ者」と呼ばれていた少年時代の織田信長。

信長の母は弟の信勝を溺愛していました。

母の大事にしていた鳥を逃がし、大切にした壺を壊し、信長のことが嫌いだった事を伝えます。

そんな信長は、キレやすくもあり発達障害であったという書籍があります。

昔の次男のようです。

一時的には周りと軋轢を生じて不適応を起こすように見えても、長い人類の歴史から見ればなくてはならない存在だったのではないでしょうか?

見えない障害と生きる。

ふと、テレビを見ていると、部屋が片付けられない女性のCMが流れていました。

その女性は結婚して家庭もありましたが、ご主人に部屋が片付けられない事が理由で離婚になったそうです。

部屋が片付けられない女性は、ご主人に理解してもらえなかったと話すのですがとても明るいのです。

発達障害って、見た目ではわかりにくいです。

けれどもどこか憎めません。

こんな、ストレートな「発達障害」がテーマのテレビCMがあるのだと驚き、ネットで調べてみました。

一昨年発表された東海テレビの公共キャンペーン・スポット「見えない障害と生きる。」は、部屋が片付けられない女性、文字の読めない教師、自閉症のラッパーなど、見た目では分からないさまざまな発達障害を抱える6人が登場するドキュメンタリーCMだそうです。

YouTubeにアップされるやいなや大きな注目を集め、今年1月にはJAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクールで経済産業大臣賞に選出されたそうです。

初めて見たのですが、結構前から放送されていました。

私は普段テレビをほとんど見ません。

長男がテレビを見ない為です。

唯一見ていいのはNHKだけです。

長男は耳はいいのですが「聴覚過敏」というわけではなく、「こだわり」です。

長男は、この「こだわり」が強いのです。

毎日決まったルーティーンがあります。

同じ物を飽きずに好みます。

発達障害の特徴です。

以前私は、次男が施設から外泊する週末は、次男と一緒に私の実家に宿泊していました。

新型コロナウイルスでの緊急事態宣言が発令され、次男は外泊できないので、実家に宿泊する理由もないので自分の家に泊まっても良いのですがそれを長男は嫌います。

月曜日から始まる就労支援施設に行く事に支障がでるといいます。

別に、長男は私が嫌いでは無く、いつもいない人が家にいることが苦痛なのです。

家ではテレビはNHKしか見れないので、この「発達障害」のCMも実家でみることができました。

こだわりは年を重ねたり、成長するにつれ緩和されると、発達障害の診断を受けたときに医師から聞きましたが、長男は19才になりますがほとんど変わりません。

大変な事もたくさんあります。

でも、素直で嘘をつくことができない長男には、うれしい事や愛しいと思う事も多いのです。

療育手帳

先日、長男宛に療育手帳の更新の案内がきました。

療育手帳は、主に知的障害のある人が取得できる障害者手帳です。

知的障害のある人が支援や相談などのサービスを受けやすくすることを目的としています。

長男は保育園の6歳の時に、子供相談センターにて療育手帳を取得しました。

療育手帳には、障がいの程度によりA1(最重度)、A2(重度)、B1(中度)、B2(軽度)の区分があります。

その時の長男の判定は軽度のB2でした。

知的障がいとは、具体的に聞くとIQが75以下だそうです。

その時、改めて長男は知的障がいを持っていると実感した事を覚えています。

それから、今までは2年に1度、子供相談センターにて、療育手帳の判定がありました。

18才からの判定は知的障害者更生相談所になるのそうで、判定は子供相談センターではなく市役所になります。

市役所にて係の方から説明を受けた後、判定員の方との面談が始まりました。

日頃の細かい生活面を聞かれます。

気持ちの波が激しい事、病院への通院、薬の処方など30分ほど話しました。

長男が返答に困るときは私が代理で答えますが、聞かれた事に対して、大体は自分の事を話せました。

他人の大人の方と話すのを聞くと長男が成長していると実感します。

その後、私は退室し、次男と判定員の方と二人でIQ検査をします。

一時間程度たったあと、判定員の方に呼ばれれました。

判定の結果をききますと、

「療育手帳の判定はB1になります。」

B1は中度障がいになります。知能指数(IQ)がおおむね35から49で、何らかの援助のもとに社会生活が可能です。

例えば、ごく簡単な読み書き計算ができますが、それを生活場面で実際に使うのは困難です。

具体的な事柄についての理解や簡単な日常会話はできますが、日常生活では声かけなどの配慮が必要です。

「B2の時と比べると支援の幅が広がりますので確認してください」

市役所をでると長男が

「全然できなかった」と少しがっかりしていました。

「漢字の読み書きや計算でも、昔はできていたのに忘れてしまった」

「学校にちゃんと行けばよかった」

私は、障がいの程度が重くなりましたが、支援の幅が広がることに対して、少し安心しました。

次回の療育手帳の判定は10年後だそうです。

早いもので長男ももうすぐ19歳になります。

長男もまだまだ手がかかります。

少しづつで良いのですが、自立できるようになってほしいものです。