統合失調症防備録㉕「フラッシュバック」

不登校になって二週間がたった頃です。

日に日にイライラが募り、突然キレル事が多くなってきました。

医師が言うには、暴行を受けた時の事の「フラッシュバック」がありイライラするようです。

フラッシュバック (flashback) とは、強いトラウマ体験(心的外傷)を受けた場合に、後になってその記憶が、突然かつ非常に鮮明に思い出されたり、同様に夢に見たりする現象。 心的外傷後ストレス障害(PTSD)や急性ストレス障害の特徴的な症状のうちの1つです。

家では長男が次男を見て、ビクビクして落ち着きません。

この状況をどうすればよいか?

原因となった出来事を思い出させるきっかけに触れると、つらい記憶が突然鮮明によみがえる「フラッシュバック」が起こる。

家にいては学校の事も思い出すでしょうし、なにせイジメた児童たちも近所にいます。

家族で相談をして次男と私は、車で30分離れた私の実家を拠点にして生活する事にしました。

 長男は次男と離れることで、安心をしていました。

私も平日は仕事へ行くため、私の両親には迷惑をかけますが、次男の面倒を見てもらいます。

 両親は男を心配して、車で連れ出してくれました。

最初は外にでたがりませんでしたが、大型商業施設では食事や買物をしました。

そのあと以前から良く遊んでいた遊園地に行きましたが、春休みという事もあり子供達が多くいました。

次男は車から降りることができませんでした。

子どもに対する恐怖だったのかもしれません。

大人は大丈夫なのですが、全く知らない子供でも抵抗がありました。

 私の実家での生活が数日たちましたが、拠点を変えても次男の状態は良くなりませんでした。

処方された薬もちゃんと飲んでいるのですが、キレルだけではなく、物に当たったり、私の両親に暴言を吐いたりと悪くなる一方です。

小学校の時と同じように、物を隠したりして、イタズラもし始めました。

キレる以外にも不安定でした。

「自分はこれからどうしたら良いのか?」

「大人になって働くことができるのか?」

私は、まだ小学生だから大丈夫と励ますのですが、気持ちの波があります。

私の両親には、高齢なのに大変苦労をかけることになってしまいました。

自分の気持ちを言葉にする事が苦手②

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何より私自身、旅行業に職種を変えたのは、このままではだめだ。自分を変えたいという気持ちが強くなったからでした。

専門学校では頑張って、友達にあわせようとしても、深入りまではしませんでした。

無理をすると、頭では分かっていても拒絶してしまい、相手に嫌な思いをさせたり、どうしても夜ぐったりと疲れてしまうのです。

私はお金の余裕も無いので、アルバイトをしました。

最初は新聞配達です。

でも自分をかえたいと二年間、親に無理をいっているので、新聞配達は意味が無いと思い、接客のアルバイトに変えました。

イベントスタッフとフードコートの店員です。完全に接客の仕事でした。

あとは旅行会社に入社するためにスキーツアーの添乗員もしました。

私は人と接する事は嫌いでは無くなりました。昔から嫌いではないのです。

ただ、自分の気持ちを言葉にして話す事が苦手なだけなのです。

私は地元に帰り旅行会社に入社しました。

訓練の成果があったか分かりませんが、なんとか営業の仕事もできました。

こんな私ですが、営業の仕事は合っていました。

営業は広く浅くが基本なので、会話のパターンもだいたい決まっています。

旅行の熱意はあるので、「数打ちゃ当たる」で成績は良いのです。

でも今は管理職なので後輩の指導や数字の管理はきつい時もあります。

上司には営業を主にさせてもらい、プレーイングマネージャーとして働いています。

営業は数字が命なので、数字がよければ、ある程度わがままを聞いてもらえるのでありがたく思います。

ただ新型コロナウイルスの影響は相当なものなので、今後の挽回はかなり厳しいものはになるでしょう。

私は長男のように、「自閉症スペクトラム」診断や次男のように、診断名はありませんが「発達障害」という医師の診断はありませんが二人の子供達をみていると自分も何かグレーの部分があるのではないかと思います。

確かに生きにくさは感じました。でもこれは私の個性ともいえます。

今は年も年ですので、昔みたいに悩む事もありませんが、障害も人それぞれの個性です。

私は次男に、今までどんなに暴言を吐かれたり、物を投げられたり、辛いことがあったりしても、もちろん自分の子供だからという事もあるのですが、昔の自分と重ねあわせて、とても愛おしく思うのです。

気持ちを言葉にする事が苦手

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前回はSSTの先生から次男が言われた「気持ちを言葉にする事が苦手」の記事を書きました。

思えば、自分も当てはまりまるのです。

私の仕事は営業なので、この「気持ちを言葉にする事が苦手」であれば、そもそも仕事として成り立ちません。

特にこの「気持ちを言葉にする事が苦手」と思い始めたのは中学校~高校の時代です。

小学校の時は、特に何も感じていなかったと思います。

多動ではありませんでしたが、先生からは落ち着きがないと通信簿に良く書かれていたのを覚えています。良く言えば、活発な子でとおっていました。

中学校になり、中学三年生頃から少しづつ、おかしいと感じていました。

自分で思うことを言葉として、何と言えばよいのか分からないのです。

おそらく小学校の頃は思ったことを何も考えず話をして、そして何も感じてなかったのでしょう。

中学校になり、思春期をむかえ話す言葉に責任を持たなければいけなくなってから、言葉のチョイスが分からなくなってしまうのです。

自分は「言語障害」の一種なのではないか?と思っていました。

言葉のボキャブラリーが少ないからなのか?と思いこの頃から小説を読み始めます。

こういうときはこう話したら良いのか?と

気になった会話や表現をノートに書きとめました。

しかし、だんだんと人と接する事が億劫になってきました。

会話もひとつひとつ考えないと言葉がでてこないのです。

高校進路を考えるに当たり、私は地元の工業高校へ進学することにしました。

私の父がコンピューター系の会社に勤めていたのも、私も将来は人と接する仕事は合わないと思ったのが大きな要因です。

高校入学当初は友達をつくる事に頑張っていたのですが、結局億劫になって疲れてしまうのです。その後はひとりで行動する事が多くなりました。

ただ学校生活は友達グループに属さないと仲間はずれやイジメに合う確率も高くなるのは分かるので、疲れるのですが皆に合わすことを考えていました。

孤独が好きとかではなく、一人でいた方が気が楽なのです。

しかし、これでは社会人として通用しないのは良く分かっていました。

当時は今みたいにインターネットも無いので、一人で仕事ができる事も限られていました。

高校三年生になり、皆進路が決まります。工業高校なので8割は就職します。

私の今の現状では就職しても、すぐ辞めてしまうことが目に見えていたので、進学を考えていました。

それも工業系ではなく、旅行の専門学校です。

私の両親の実家は九州と東北で冠婚葬祭で帰省するたびに、旅行でした。

当時は寝台特急に乗ったり、何時間も車で走ったりと帰省が長旅で楽しかったことを良く覚えています。

単純ですが旅行が好きだったからなのです。

学校や親からは反対をされました。

学校の先生は大手企業に何人就職したなどが実績や自慢になります。

それが旅行の専門学校なら話になりません。

私は旅行の専門学校を自分で探して受験をしました。

両親も反対でした。私の性格を分かっているからです。

私はこのまま就職しても辞めてしまう事を話し、短期大学も併修できる専門学校なら良いという条件と寮に入り、卒業したら地元も戻るという条件で学費などを出してくれる事に渋々了承してくれるのでした。

(つづきます)

統合失調症忘備録㉔「気持ちを言葉にする事が苦手」

私も実は苦手でした。

不登校になって二週間が過ぎました。

SST(ソーシャルスキルトレーニング)の通院する日だったので一緒に出かけました。

イジメについて話すと医師は驚いていました。

前回の通院はイジメにあったばかりで気持ちの整理がつかずSST(ソーシャルスキルトレーニング)を休みました。

最初に次男と先生でトレーニングをしたあと、私一人で先生と話しました。

今までの訓練での次男の様子と、これからどうしていけば良いのか聞きました。

次男は、

「気持ちを言葉にすることが苦手」

「分かるものもありますが、複雑なものが苦手」

例えば

「友達と約束したあと、先生に頼まれました。先生には何といえば良いか?」

という質問にとっさに答えることができません」ヒントをだすとできます。

(答え:友達と約束があるのでできません)

医師が前回病院を休んだ理由を聞くと

次男「忘れた」

「困っているときに、困っていると言えない」

「だから周りも分からない。これがイライラの原因ではないか?」

「時間をかけて表現することを教える事が大事です。」

人の目が気になることについて

「大丈夫と言ってはだめ。否定されたと思われるから。」

どうすると良いのか聞いてみると

「その人に聞いてみたらどうか?」

親はどうしたらよいのか?聞くと、

「一緒に考えてくれる事が本人に分かるだけで良い」

「人の目が気になる=味方がいない。自分の事を分かってくれる人がいない」

「先生にもお願いした方が良い。」

「社会のルールは理解している。」

「自分の気持ちと葛藤している。成長と共に分かってくる。」

今、思えばもう少し「気持ちを言葉にすることが苦手」という事が早く分かっていれば、親や学校も対応ができ次男も今みたいに苦しまなくても済んだのではないか?

私はまた振り返りをして、後悔をしたのでした。

緊急事態宣言延長による次男の変化

施設の職員さんがたよりです。

緊急事態措置を実施すべき期間が5月6日から5月31日まで延長になりました。

全ての都道府県が対象ですね。

同様に、次男の特別支援学校も休校が延長になりました。

最初に緊急事態宣言がでた4月13日から障がい者入所施設から外出が自粛になり、実家の家には戻っていません。

 5月4日に施設の職員さんから連絡がありました。

「緊急事態宣言延長になり、施設からの外出や外泊ができない事も延長になりました。」

又、4月13日から施設へ訪問も控えるように言われていました。

部外者を完全にシャットアウトする事で感染を遮断する目的です。

集団で生活する施設では、クラスター感染で拡大する例がたくさんありますので、当然の事だと思います。

職員さんは、その事を次男にはなし、

「家に戻れないので残念がっていましたが、大丈夫です。」

「グランドでみんなと元気に走り回っていますよ」

施設は女子棟と男子棟があり、ちょうど建物がロの字になっていて、その真ん中がグランドになっています。

外部からの接触もできないようになっており、外へ出ることもできません。

又、道路を挟んだ向かいに自立棟と呼ばれる別棟があります。

ここは主に高等部の生徒が住みます。自立棟は名前のとおり食事以外は自分で生活をしなければいけません。

今年、次男と一緒に高等部の1年生になった生徒が1名この自立棟で生活をしています。

次男は中学1年生の時は病院で1年入院をしていました。

病院では身の回りの事は自分でやらなければいけません。洗濯なども自分でしていました。

高等部に上がる時、職員さんから

「自立棟にいくか?」と話がありました。

でも次男は「みんなといたい」と残りました。

次男は不登校になってから、ずっとひとりでした。

中学部では肢体不自由児の方が多く、同級生もいないので、ひとりでした。

みんなといたい気持ちは良くわかります。

ただ、自立棟にいる同級生の事も気になっているようで、職員さんに

「どうやったら友達になれるのか?」

と聞いたそうです。

一人が長かった次男は大人とは接しているものの、同年代とは接していないので、接し方が分からないと思います。

 また他者に対して、自分の事を聞くとこができた事をうれしく思いました

次男からは、直接電話も無いので心配な部分もあるのですが、

「便りが無いのが元気な証拠」

という事で、きっと元気でやっていると思います。

統合失調症防備録㉓「ADHDは被害者・加害者になりやすい?」

カーテンは締め切り真っ暗にしていました。

翌週も次男は学校へ行くことができませんでした。

担任は「短時間でも」と言うのですが、外へ出ることも抵抗しました。

学校の話をすると嫌がり、イライラが強くなり、キレてしまうことがしばしばでてきた時期です。

私はこの時点でで、「このままだと、ひきこもりになってしまわないか」

とても心配をしていました。

来月から新年度で5年生に進級になります。

登校できるタイミングは区切りの新年度だと思っていました。

「新たにスタートができなければ、登校も難しいのではないか?」

と親としても焦りもありました。

「次男が自主的に学校に行けるようになるまで待つ方が良いのか?」

医師に聞いたところ、

「怒らない程度に学校に行く話はした方が良い」

とのことでした・・・・・。

ここで、イジメについてもう少し考えてみたいと思います。

「ADHDの子供は、いじめの被害者にも加害者にもなりやすい」

という事を聞いたことがあります。

次男の場合は言葉や暴力、仲間はずれにされました。

不安が強く、恥ずかしがりで、社交性が低いのでいじめの被害を受けやすかっのかもしれません。

ただ暴行を受けるまでの次男はいじめる側でした。

イジメというよりは「ちょっかいをだす」「意地悪をする」という表現の方があっていると思います。

クラスの問題児のA君、B君も上記の表現に置き換えた方が、確かにそうだなと思います。

次男は「ソーシャルスキルトレーニング」を始めたばかりでした。

学校側の見極めは難しいところではありますが、こういった衝動性を抑えるための支援が「発達障害やグレー」な子には、もう少し早い段階で必要にだったのかもしれません。

統合失調症忘備録㉒「不登校の始まり」

不登校・ひきこもりは充電期間です。

私はイジメの真意を知りたかったので、電話で担任に事の成り行きを話し、改めて学校へ向かいました。

暴行を受けた事実はありましたが、次男も最近は上級生や同級生とトラブルがよくありました。

次男も悪い部分があったのかもしれません。

 学校の校長室で校長・教頭と担任とでの話し合いをしました。

私はPTAの本部役員を2年しており、学校の行事などで直接校長、教頭と良く話しをよくしていました。

普通は親と担任のラインのみだと思いますが、この点はPTA役員をやっていてよかったのかもしれません。そのかわり次男について苦言も良く言われましたが・・

担任は事前に暴行をした4名から話しを聞いていてくれました。

主犯格の子供は、次男がぶつかってきたと言い、蹴った。そのうち面白くなった。

そのほかの子供は、以前に文句を言われた事への仕返し、生意気だったからなど。

特にこれはという原因はないようだった。

次男は個別授業をしていたり、トラブルなど先生にも目をつけられていましたので、良くも悪くも目立った存在だったかもしれません。

担任はそれぞれの児童の親へ連絡をするとの事だった。

 今までは次男がトラブルを起こすと学校から連絡があり、私はお詫びをしたり迷惑をかけた家庭に伺ったりしていました。

しかしイジメが起きてしまった以上、親のお詫びとかはどうでも良いことで、これから次男の心のケアをどうしていくのか?

 学校については親は何もできないので、とにかく学校に再発しないよう、目をかけていただくようお願いをしました。

担任の先生は夕方、直接次男に会いたいと言い、家を訪問しました。

担任の先生はやさしく

「安心して学校で勉強できる事を約束するから、大丈夫」

そして、打撲のあとを見せ明日は学校にくる約束をしました。

 よく朝になると「今日も休ませてほしい。」

イジメのトラウマがあるのでやむえない部分もあります。

あまり学校のの事は言わないようにしていました。

イジメた子達は近所の上級生なので、家にいることもトラウマやフラッシュバックにつながると思い、私は30分ほど離れた実家に気分転換に連れて行きました。

そうして1週間学校t校を休みました。

決まって学校に行く前日は「明日は学校に行く」と言いますが、朝になると休ませてほしいの繰り返しです。

担任の先生も夕方なるとに毎日家に訪問にきてくれました。

週末になると「来週は学校に行く」と担任と約束をしました。

しかし、翌週の月曜日の朝になると「学校を休ませてほしい」

家では、漫画を見たり、ゲームをしたて過ごしています。

私は夜、気分転換のドライブに誘いました。

学校に行き一週しました。

職員室は電気がついていますが、児童はもちろん誰もいません。

「中に入ってみるか?」と言い駐車場に車をとました。

駐車場に車をとめるものの、なかなか学校には入れず1時間程度駐車場で話しをしました。

誰もいなのですが、人の目を気にして入れません。

こうして3年弱の不登校生活が始まりました。

統合失調症忘備録㉑「いじめ」

なぜなくならないのでしょうか??

あれは忘れもしません。

平成27年3月10日のことです。

次男が朝、「今日は学校には行きたくない」と言いました。

「明日は行くから・・・・」

今まで「学校が嫌だ」ど言う事はありましたが、学校を休むことはありませんでした。

実は前日、ケガをして帰ってきたのです。それも服が一部破れていました。

妻が何があったか、聞いても次男は何も言いませんでした。

妻はとても心配をしていましたが、本人は落ち着いていたので、私は仕事から帰ってきてから話を聞くとこにしました。

夜、次男の部屋へ行き、昨日何があったのか聞きました。

最初は渋っていたのですが、少しづつ話してくれました。

放課後に上級生4人からいじめ、暴行を受けていたのです。

主犯格の子供が「先生に言うとボコボコにする。絶対に言うな」と言われていたためいえなかったようです。

ことの様子はこのようでした。

まず主犯格の子供が「生意気だ」といきなりケリとキックをされ、

もう一人の子が顔にパンチ、キックとジャンバーの帽子を引っ張り、服が破れた。

後の2名の子が髪を引っ張ったり、パンチをしたり・・・・・

次男はトイレに逃げ込んだようですが、その後見つかり

何度も暴力を振るわれたようです。

一方的な暴力なようで私の子供はおなかと手に打撲をしていました。

次男は抵抗しなかったと言っていました。

1対4では抵抗したくてもできないでしょう。

名前を聞くと、私も知っているいろいろと有名な近所の子供たちでした。

この様子を目撃している子供たちの多かったようです。

本人もなぜ暴行を受けたか分からないと言っていました。

このいじめは今回だけではなく、夏ぐらいから下校中に暴言や暴行を受けていたようです。

 次の日も次男は学校を休みました。「明日はいくから」と

私はこの事実を電話ではなく、直接先生に話すべきだと思い学校へ向かいました。

統合失調症忘備録⑳「普通or支援学級」

子供にあった教育を。

学校の先生より、次男の来年度についてどうするか?という話がありました。

在籍クラスをこのまま普通学級で行くのか?

それとも、特別支援学級に変更するのか?という事です。

 長男の場合は3年生から支援学級に在籍しました。

それまでは普通学級で週2回、通級として、支援学級で授業を受けていました。

長男は早期に「自閉症スペクトラム」診断を受けていました。

当時の担任の先生は皆と学力の差は無いため、このまま普通学級でもいけるとの事でした。

しかし、長男は言葉の理解でできるものの、表現力が乏しく、自分の意見や考えを伝えることがとても苦手です。

なので皆と同じように生活することにストレスを感じていました。

私たち親も自分の子供にあった教育を受けることができる支援学級にとても賛成しました。

 次男の場合は違います。

私は親の意見より、こどもが思う事をさせてやりたいと思っています。

ただ、自己肯定感が低下している次男には、支援学級の事を聞くことができませんでした。

なぜなら「自分はダメだからいくんだ。」と更に自己肯定感が低下する可能性があるからです。

現状の個別指導は教務主任の先生や教頭、校長先生など時間があいた先生方が交代で次男に授業をしていただいています。

かなりご無理をいただいているのもわかります。

保護者のなかには

「同じ生徒なのに、特別扱いはおかしい」と苦情を学校に言う親もいました。

申し訳ない気持ちもありましたが、個別対応が必要だからやむえないのです。

私は問題児A君B君C君のように「加配」の先生がつけれないのかお願いしました。

現在「加配」の先生が4名います。主にクラスの問題ある生徒をみているのですが、余力があるときは次男の事もみていただていいます。

加配の先生については、学校側で相談していただける事になりました。

学校生活において親ができることは少ないです。

丸投げするつもりは無いのですが、親は先生の決めたことに従っていくしかないのです。

統合失調症忘備録⑲「自己肯定感を高める方法」

自分のことを好きですか?

先生から「自己肯定感が低い」と話があり、私は書籍などで勉強をして次男への対応の仕方を考え直しました。

・自分だけ個別授業が恥ずかしい

・自分のクラスにはもう戻れない

・自分は嫌われている。

・寂しい。以前のように友人とも遊べない。行事にも皆と一緒に参加できない。

・皆が自分を変な目で見てくる。目が嫌だ。

・自分は何もできない。

次男と話しをした時このような事を言っていました。

個別授業をするにあたり、次男は強制では無く納得して参加しました。

嫌だったかもしれません。自分の状態に向き合おうとしていたと思います。なのに行事には参加できない。

ジレンマだったと思います。

そのジレンマと自分の力ではどうにもできない無力感、虚無感みたいなものが自己肯定感の低さにつながっていたかもしれません。怒られ続けたからだけが原因ではなかったかもしれません。

もちろん私は励ますのですが、「自分はダメな子」と思わせないように些細なことでも誉めるように心がけました。

例えば、同級生や上級生とトラブルがあった時

「あなたはお友達と〇〇なトラブルがあったけど、自分の悪いところを素直に認めて謝ることができる。そんなところがすごく良いよ」

ダメなところもあるけど、こんないい部分もあるよ。と気づかせてやる事が大切だと思いました。

又家でお手伝いをしてもらった時ほめる。何でもよいからほめました。

当たり前の中にもありがたい事が沢山あります。

スキンシップも心がけました。

朝学校に行くときには肩を触っていってらっしゃいをいう。

手を握って世界で一番好きと伝える。

甘やかす事と甘えさせる事は別ですね。

私は基本的としまして、トラブルや問題があった時、動揺せず、怒るのもダメ。

手出し口出しをせず否定的な言動はつつしむ。

でも間違ったことをした際は責任は必ず本人に取らせるという方針を心がけました。

このやり方が正解なのか?どうなのか?は分かりません。

この数日後、次男には不登校になる決定的な事がおこるのです。

統合失調症忘備録⑱「自己肯定感」

「自己肯定感」持っていますか?

この頃は、先生から次男は「自己肯定感が低い」という事を言われます。

「自己肯定感とは、自己価値に関する感覚であり、自分が自分についてどう考え、どう感じているかによって決まる感覚です。

そのままの自分を認め受け入れ、自分を尊重し、自己価値を感じて自らの全存在を肯定する「自己肯定感」の感覚は、何ができるか、何を持っているか、人と比べて優れているかどうかで自分を評価するのではなく、そのままの自分を認める感覚であり、「自分は大切な存在だ」「自分はかけがえのない存在」だと思える心の状態が土台となります。

この感覚を持てると、自分を尊重するように、他者や周りも尊重できます。すると他者からも尊重され、お互いに尊重し合える関係が作れます。

自分は尊重するが、相手や周りは、尊重しない、自分の価値は認めるが、相手の価値は認められない、どちらかというと自分さえよければいいと身勝手な思考、行動をとりやすい傾向の人は「自己肯定感」が高いとは言えません。

又、自己肯定感が高いことは、今の自分に妥協して成長を止めたり、傲慢になることではなく、どんな自分であっても、今の自分を受け入れることで、恐れや不安や自己否定からではない、安心感をベースにした真の意欲とともに、前に進む力を与えてくれるものです。

どんな自分も受け入れ、肯定することで、外側からの評価で揺らされることなく、自分軸で自分の価値を感じ、自己承認できる力のことを当協会では「自己肯定力」といいます。自己肯定力が高まると感情が安定し、物事を肯定的に捉え、何事にも意欲的になれます。「自己肯定力」は自己を信頼できる自信の源となります。

自己肯定感は、高い、低いと表現されますが、自己肯定感が高いから良い、低いから悪いということではありません。この感覚は人の優劣を決めるものではありませんが、この感覚が高いか、低いかが人の人生に与える影響は大きくなります。」

         以上 一般社団法人日本セルフエスティーム普及協会 HP引用

以前、PTA役員と校長先生との話の中で、問題児のA君の対応に関して、

悪い事をしているのに怒らず、褒めてのばすという事を聞きました。

「怒り方のも注意がいります。しかるのは効率が良くありません。」

「でも、命にかかわる事はしかります」

この学校対応はA君の自己肯定感を下げないことにありました。

大人たちやまわりの子どもたちに、否定され、けなされる。

私は、そんな状況が長く長く続くことによって、自己肯定感が知らずしらずにくずれてしまったり、失われたりすることにその時気づきます。

次男は、発達障害があったのか?どうなのか?は今でも分かりません。

本来の障害とは質や程度の異なる問題が生じてくることを「二次障害」と呼びます。

次男の統合失調症の原因のひとつは、「自己肯定感の低下」だと思うのです。