旅行業界の今後

明日から6月ですね。

緊急事態宣言も解除され、学校も分散登校が本格的に始まります。

私も長年、旅行業界で働いていますので今後について考えてみたいと思います。

今後、新型コロナウイルスの第二波、第三波がくると言われています。

今は緊急事態宣言が解除になりましたが、感染者数が多くなると、又緊急事態宣言がでるでしょう。

そして宣言とともに感染者数が少なくなれば又宣言の解除になると思います。

この繰り返しが予想されます。

ただ今回のような事はないはずです。

今回の件を学習し、もっと早めに緊急事態宣言がでるはずです。

ですので第二波、第三波の波はだんだんと小さくなっていくと思います。

新型コロナウイルスのワクチンは一年後にできると言われています。

インフルエンザのようにワクチンができれば新型コロナウイルスも特に問題が無くなり旅行の需要も以前のように回復するでしょう。

この新型コロナウイルスのワクチンができるまでの一年間は旅行業界は大変厳しいと思います。

特に私の仕事の旅行業界でも団体旅行は厳しいです。

なぜなら団体旅行は三つの密が多いからです。

・移動は密閉の観光バス

・食事は密室の屋内団体レストラン

・宿泊の食事も密室の屋内宴会場やレストラン

どう考えても三密が避けれません。

しかし感染リスクを回避する努力はしなければいけません。

政府が発表している感染拡大予防ガイドラインの「新しい生活様式」の実践例及び各事業者における新型コロナウイルス感染症対策に関するガイドラインが先般でています。

観光バスなら、乗務員のマスク着用や毎日の検温・健康管理、車内のアルコール消毒はもちろんです。

定期的な換気の実施や荷物の受け渡しや積み下ろしの際の直接接触回避も必要です。

又乗車人員も考えなければいけません。最低1メートルの間隔を保つ為には乗車定員の約半分の人数で乗車する必要があります。

食事施設なら、大皿料理を避け個々の盛り付け料理や従業員の毎日の体温測定・健康チェック・間隔を空けての配席・食事会場の定期的な換気・施設内の定期的なアルコール消毒・入口及び施設内の手指消毒設備の設置・マスクの着用も当然必要です。

食事に集中し、おしゃべりを控えめにお願いするアナウンスによる注意喚起もあると良いです。

宿泊施設なら1部屋当たりの人数を最大限の部屋数を確保した上で調整・定期的な換気。

施設内の定期的なアルコール消毒・入口及び施設内の手指消毒設備の設置・マスクの着用・従業員の毎日の体温測定・健康チェックは食事施設と同様です。

チェックイン時は代表者がまとめてチェックインし、他者は分散して待機させたり、

エレベーター内やボタンの頻繁な清拭消毒や大浴場での入場人数制限、食事会場において参加人数、滞在時間の制限及び席間隔の調整や座布団・座椅子・お膳などは開始前後の消毒徹底しなければいけません。

施設での食事についても大皿料理を避け、個々の盛り付けや客室内での食事の際は、横並び着席の推奨、ビュッフェ料理の場合は、セットメニューへの変更を検討する。

しかしこれらの対応は宿泊施設や食事場所の施設の方々もご苦労されると思います。

新型コロナウイルスの問題が終息すれば必ずお客様は戻ってきます。

それまでは耐えなければいけません。

緊急事態宣言が解除されて次の緊急事態宣言がでるまでの間にお客様を少しでも確保することが今できる最善な策だと思います。

私と三人息子は発達障害です。何か? ②

この本の概略はこのようです。

「笹森家は、著者本人ばかりか3人息子も全員が発達障害。イジメにあったり、学校や病院での無理解に泣 いたり、でもわが子の意外な反応に思わず笑っちゃったり。そんなリアルな体験をもとに、世間の誤解を上手にかわし、子どもの潜在能力を伸ばすノウハウを、全国各地で講演中。そのエッセンスを一冊に集約。」

具体的には三人兄弟の長男、次男の関係が我が家と似ています。

知的がある自閉症なのも同じです。

笹森家はドラえもんに例えるなら長男がのび太で次男がジャイアンだそうです。

次男はストレスをのんびりタイプの長男にぶつけるそうです。

我が家も同じです。

次男は自傷行為やパニックになりやすいそうです。

お母さん(作者)は子供を見ることが苦手で、「障害受容」には時間がかかったそうです。

この子はこの子で良いという、障害を受け入れることです。

大切なのは子供の未来を信じて3年後5年後を意識しながら精一杯頑張る。

学校の先生の対応や理解

見た目が分からない発達障害者を特別扱いするのも、他の生徒が分かったという言葉がでるまで先生が説明する。テクニックだけではダメだそうです。

みんなで考える。先生が発達障害の子の存在を消さない事が大切。

不登校の親について

不登校の親は孤独。

価値ある不登校にする。

すぐに怒らない。

人として認める。

困っていればさりげなく助ける。

家にいるとゲームや動画、漫画ばかり読んでいるのは、やることがないからするだけ。作業している。本当はしんどい

失敗する勉強(リカバリー)

失敗しても良いよ。折れることの勉強。

長男は違うと思ってもうんとしかいえない。

次男は折り合いをつける。物事でひくことができる

総合的に

真っ正面からは話しにくいので遊びから入る

そだちを見守る。待つ。

自己選択できるようにする

自己肯定感を高める。

たくましさ。

助けを求める人を助けることができるように。

自分のことを知ることができるように。

最後に「お母さんのせいでこうなった。」泣き叫ぶ子供をたくさん見てきたそうです。

心配しすぎ、気にしすぎはNGです。

快適で安心できる環境を作ることが大切。

以上、この講演会で気になることのメモです。

これから3年間不登校(入院期間1年含めて)になるのですが、参考になりました。

私の次男は結果、統合失調症になりました。

いろんな原因が考えられますが、次男は二次障害だったと考えられます。

二次障害を防げなかったのは親の責任かもしれません。

でも、次男は今立ち直り前を向き始めています。

私と三人息子は発達障害です。何か?

育つ力と育てる力 私と三人息子は発達障害です。何か?  笹森 理絵 (著)

次男が不登校になって4ケ月がたち、小学校5年生も一学期も終わろうとしていました。

不登校の状況ではありますが、次男の家での様子は日に日に悪くなるばかりでした。

医師からは「発達障害」などのこれという診断もなく、どうしてなのか?どう対応したらよいのか?という疑問ばかりで解決方法の糸口もありませんでした。

私自身も当時は「発達障害」や「統合失調症」などの診断名はどうでもよく、不登校でも日々落ち着いて過ごしてほしい。元気で生活してほしいという願いでした。

医師やSSTの臨床心理士からの具体的なアドバイスもなく、学校からは面談を求められプレッシャーをかけられるという事に嫌気がさしていました。

私は長男が「自閉症・広汎性発達障害」と診断を受けていましたので、次男も発達障害がベースにあるのではないか?

医師では判断しづらい、グレーの部分があると思っていました。

当時は自分でも、もっと発達障害について勉強しなければいけないと思い、ネットで調べたり、著書を読んだりしていました。

この時、ちょうど表題の著書である笹森 理絵 先生の講演会があることを聞いた私は会場まで向きました。

笹森さんは・・・

当事者、母親、社会福祉士、精神保健福祉士、睡眠健康指導士の多様な視点を
活かしての多様性(ダイバーシティ)、発達障害ダイバーシティサポーターと
して、保護者などの親の会、一般の方々、教育、福祉、医療、行政などの専門
職、援助職の方々に向けて、講演会や研修会の講師や委託でピアカウンセラー
をさせていただいております。発達障害の特性について、日常生活に即した具
体的な話や不登校についてのお話、私の歩んできた経験、発達障害三人息子の
子育てなど希望にそってお伝えできます。  

(ブログより引用)

発達障害は精神障害同様に目には見えない障害ですので、昨今メディアでも多く特集などで取り上げられています。

教員や行政機関、医療機関、福祉関係の方など多くの方がいるようでした。

私もこの講演会を聞いて,次男とも重なることも多かったのを覚えています。

当時この講演会を聞いたり、表題の著書を読んで思うこと、そして今「統合失調症」と診断されて、親として思う事をこの講演内容を元に考えたいと思います。

統合失調症忘備録㉝「登校刺激」

不登校になって4ケ月がたち、一学期も終わろうとしていました。

次男の状況は悪くなるばかりです。

処方されたストラテラも効果がないため、増量になりました。

次男は頭がズキズキしたり、陽気になったり、眠れなくなったりと副作用がでてくるようになり心配をしていました。

夜、担任の先生に会うこともストレスです。

次男は

「適応指導教室に行かないので何て言えばいいのか?」

「先生は質問が多いので答えるのが難しい。」

早く終わらせようと嘘をついたり、良く見られようとします。

次男は学校に行く事がはずかしいと言います

「いまさら何しに来たのかと思われる」

「学校を休むことは悪い事」

「二学期から行く」

担任の先生は学校が終わってから、車で30分かけてきてくれます。

毎日授業があって大変なのに、熱心な先生です。

担任の先生は私にも

「登校刺激が必要です」と言います。

この、先生に会うということ良くなかったのかもしれません。

この後しばらくたって、担任の先生には家庭訪問はやめてもらうのですが

今思うと早い段階から「断る勇気」があれば良かったと後悔しています。

この頃になると医師もSSTの臨床心理士の先生も同じことの繰り返しです

「昼夜逆転を治し規則正しい生活をさせましょう」

「成長する力を信じて下さい」

しかし、次男の状態は悪くなるばかりで手詰まりでした。

以前から祖母は

「病院を変えた方がいいのでは?」と言っていました。

「次男の状態が悪くなるのは、今やっていることが良くないかもしれない。」

「別の良い方法があるかもしれない」

私は次男の病院を変えることにしました。

脱走②

夕方、入所施設から電話がありました。

次男の担当職員ではなく施設の責任者からでした。

施設園長の次に偉い方なのですが私はこの人は好きでありません。

次男が施設に入所する前は、短期ショートステイという方法で施設を利用をしていました。

子供相談センターを通じこの入所施設で一時保護するという方法です。

家では落ち着かないため、施設でみていただくという事です。

精神病院の隔離病棟から退院したばかりで不安定な状況でした。

そのときに対応していただいたのがこのno2でした。

今でも忘れませんが私に

「頻繁にショートステイばかり利用されると施設の経営が大変なんです」

短期入所は一ヶ月の間15日しか利用ができないので、この為に一部屋確保しなければいけなくて効率が悪いという事です。

「他の利用者に迷惑をかけたら、すぐ入院してもらいます」

言っている事は分かりますが、追い詰められた私に耳を疑うような言葉を言い放った人です。

私が次男の担当職員にいった

「今週末に日帰りでも良いので外出の許可をだしてもらえないか?」

の返答が

「こういう事をすれば外出できるという癖がつきますから外出はできません」

予想外のことばでした。

私は怒りを抑えて

「ご存じだと思いますが、次男は病気なんです。」

「この病気には何が一番良くないか分かりますか?」

「統合失調症にとってストレスは良くありません。」

「先程、次男の担当職員さんにもいいましたが、次男は学校が始まらなくてあせっているのです。」

「不登校が長く、職員さんから様子を聞くと、勉強もみんなと比べかなり遅れているという焦りがあります」

「このあせる気持ちは本人にとって大きなストレスになります。」

「統合失調症は再発しやすい病気です。いったん症状が落ち着いても長期にわたって治療を続ける必要があります。」 

no2は理解してもらえたか分かりませんが、次男と一度話してくださいと言われ、それに応じました。

「大丈夫か?」

次男は大丈夫だと答えました。

私は無理をしてはいけないことと、脱走のことは聞かずに、イライラすると思うけども小さいことでも職員さんに相談するように伝えました。

次男は自分から脱走について話してくれました。イライラして施設を飛び出してしまった事。

すぐ我に返り、施設に戻り職員さんに謝ったことなを話してくれました。

私は明後日から学校も始まるし、来週には帰省もできるからというと

いつもの様子で「大丈夫だから」

私は電話では、次男の異変は感じられませんでしたので、no2に変わってもらいました。

私は、電話では大丈夫そうなので、しばらく様子をみていただくようお願いし電話を切りました。

仕事が終わってから、次男の施設に向かいました。

子供には会うことはできませんが、no2と話すことができました。

私は次男へのジュースの差し入れを渡し、その後様子の変化が無いか聞きましたが、変わりなく過ごしているようです。

全国的にも学校が少しづつ再開されますが、先が見えない休校の中で次男のように不安定な子もいたのではないでしょうか?

この不安定な子が不登校になってしまうのではないかと思います。

コロナの影響を子供達も強く受けないか心配ですね。

脱走

障がい者入所施設の職員さんから携帯に電話がありました。

私は仕事中だったので出れませんでしたが留守電にメッセージが残っていました。

「お子さんが施設を脱走されました。」

「すぐ戻ってきたので大丈夫なのですが、お伝えしたい事があります」

私は、昨日施設にいったばかりという事もあって驚きました。

27日から学校再開します。

6月15日までは分散登校にて午前と午後と分かれての登校です。

私は、まだ封も開けていない体操服や作業服などを届けたばかりでした。

次男には会うことができないので、職員さんに次男の様子を聞きました。

次男は

「学校にいつから行けるのか?」

「卒業まで3年しかない、このままで働くことができるのか?」

と何回も聞くそうで、焦っている様子でした。

私は職員さんに

「次男は不登校の期間が長く、皆より遅れているという意識が強い。」

「学校再開のことや外泊の日時を具体的に話してほしい。」

と伝えたばかりだったのです。

担当職員さんが今年度から変わった為、引継ぎはしていると思いますが、次男の事がまだ分からない部分も多いのです。

私は施設へあわてて電話をしました。

朝方、リュックを背負った次男を職員さんがみかけたそうです。

次男に「どうしたの?」とたずねると

「なんでもないです」と強い口調で答えたそうです。

その後、脱走しました。

でも10分程度で戻ってきました。

反省した様子で、謝ったそうです。

私はまずい状況になっていると思い

「統合失調症にとってストレスは良くありません。あせる気持ちは本人にとって大きなストレスになります。」

「統合失調症は再発しやすい病気です。いったん症状が落ち着いても長期にわたって治療を続ける必要があります。」 

「外出できるのは6月5日からの決まりですが、今週末から外泊できませんでしょうか?」

「家でも外出しませんし、もちろん家族もしませんので・・・・」

施設でも検討していただけるそうです。

次男の事が気がかりです・・・・・・・・・・。

セカオワ

5月25日付のサカオワの記事をみました。

「2020年9月5日(土)から2020年9月17日(木)までの開催を予定しておりました、SEKAI NO OWARI DOME TOUR 2020「Du Gara Di Du」は、新型コロナウィルス感染拡大による国内・国外の情勢を受け、ご来場予定のお客様、及び出演者、関係スタッフの健康・安全面を第一に考慮した結果、大変残念ながら全5公演を中止とさせていただくことを決定いたしました。」

私がセカオワに興味を持ったのは、以前、セカオワfukaseことボーカルの深瀬慧(ふかせさとし)さんがテレビで発達障害の過去を語っていた事です。

深瀬慧さんの壮絶な過去は次男とも重なる事が多いのです

「先天的な精神疾患を煩っており小さい頃から学校の勉強が苦手で成績は良くなかった模様。

深瀬はこの精神疾患とは今もつき合って生きているようで、今に至るまでに相当病気で苦労している。

先天的な精神疾患とは発達障害の「ADHD」だそうです。

中学生時代はひどい虐めにっており、不登校になってしまいました。

深瀬慧さんは中学の頃、集団リンチにあい、学校に行かなくなりました。
ヤンキーであったとも言われていますが、髪は茶髪であることが写真からもわかります。
中学時代を不登校で過ごし、その後、高校に進学しますが1年で中退。
アメリカンスクールに通い始め、留学するもパニック障害に陥り、2週間で帰国。
そして、精神病棟に入院することとなります。

現在も精神安定剤を服用されているそうです。

次男は上級生から暴行を受け小学校、中学校と不登校になっています

その後、閉鎖病棟で精神病院に1年間入院します。


自分が入院したことで、精神医療の現場を目の当たりにした深瀬慧さん。
カウンセラーになるべく、大学受験を目指したこともあったとか。
しかし、予備校からの帰り道がわからなくなってしまうほどの現実から、
その道も断たれてしまいました。

飲んでも副作用の強い薬・・・
飲まなくとも吐き気や目まい等の症状に悩まされていたそうです。

副作用で勉強した内容も忘れてしまうと言っていました。

私も次男が処方されている薬を調べましたが相当強い薬を飲んでいました。

病気になる前の直前にIQテストがありましたが、得意なものと苦手なものの差がかなりありましたが総合的には100以上はありました。

次男は不登校になってからの4年後の中学二年生から特別支援学校に通えるようになりました。

特別支援学校の高等部は療育手帳が必要になるため再びIQテストを受けますが、60まで落ちていました。薬の影響は当然あると思います。

もう学歴も、得意なことも何にもない、そんな状態で自分に残ったものは、病気と、強い薬と、出られない――閉鎖された病棟っていう。」

れまで大して音楽はやったことがなかったといいますからこれも驚きです。

その後仲間を集めて「clubEARTH」の建設に着手。この時のモチベーションを聞かれても、「もうこれしかない」という気持ちしかなかったと言います。

残された道が音楽だけだった。
次男と同じような境遇の人がその音楽の世界で大成功し、今では超人気グループになりました。

次男にも希望を持ってほしいと思います。

麒麟が来る

長男はこだわりでNHKしか見ません。

特に大河ドラマの「麒麟が来る」は大好きで欠かさず見ています。

私も歴史が好きで、その中でも戦国時代が好きなので見ています。

前回は美濃の当主でもある斉藤道三の息子と斎藤道三とで戦いをします。

息子の方が優勢なのですが、ドラマでは最後に親子で一騎打ちをします。

その時、道三は息子にむかって

「父の名をもうせ!」とすごい形相で言い放ちます。

長男にはよっぽどインパクトがあったらしく、よくこのものまねをして私たちを笑わします。

今日は麒麟がくるの19話の放映でした。

前回は織田信長は自分を殺そうとした弟、信勝を殺害するところで終わりました。

今回は信長と母と面会するところからはじまります。

幼き頃から非常識な行動とだらしがない格好で「うつけ者」と呼ばれていた少年時代の織田信長。

信長の母は弟の信勝を溺愛していました。

母の大事にしていた鳥を逃がし、大切にした壺を壊し、信長のことが嫌いだった事を伝えます。

そんな信長は、キレやすくもあり発達障害であったという書籍があります。

昔の次男のようです。

一時的には周りと軋轢を生じて不適応を起こすように見えても、長い人類の歴史から見ればなくてはならない存在だったのではないでしょうか?

統合失調忘防備録㉜「祖父母の心配」

不登校になって二ヶ月がたとうとしていました。

この頃から頻繁にイライラが強くなり、キレル事も多くなっていました。

昼夜逆転もひどく、朝方まで起きていて就寝し14時~15時に起床することも多くなりました。

週2日のSSTもいけなくなり、私一人で臨床心理士の先生の病院に行き近況を話し面談をしていました。

担任の先生もほぼ毎夜来てくれるのですが、次男の機嫌が悪くなるので悩みのタネでした。

適応指導教室は話をするだけでキレてしまうのでやめました。

ゴールデンウィークでは、久しぶりに昼間に外出しようと誘います。

久しぶりに昼間に外出をしたましたが、人の多いところは怖がり車から降りれませんでした。

私も次男の状態について悩んでいましたが祖父母も悩んでいました。

具体的にいいますと

・最近はパソコンの動画ばかりを見ている。履歴を見ると戦争、ゾンビ、殺害などを好んでみているようだが大丈夫か?。

・朝のハミガキや洗顔を嫌う。薬を飲まない事が多く飲んだふりをするようになった。

・怒らないでと言うが、怒らずにいると、「わがまま」になり「しつけ」ができなくなるのではないか?

・部屋の戸を締めないと怒る。部屋の前を通っただけでも怒る。外部との接触を嫌う。世話ができない。食事も一人で部屋にこもって食べる。

・もってこい。ついてこい。など命令口調で物を頼むようになった。

・入院をさせた方が良いのでは無いか?今の生活習慣は良くない。他人のことは聞くのでは無いか?ストレスの消化ができないのではないか?

・今の病院は合っているのか?別の病院にも見てもらった方が良いのでは?

祖父母の時代は発達障害や自閉症などという言葉が無い時です。

「日々好きなように過ごさせてください」

「本人を尊重し成長する力を信じてください」

SSTの臨床心理士の先生の先生の話をしても、分かってはくれますが理解してもらえない事も多いです。

私自身、半信半疑の部分もあります。

共働きなので昼間に祖父母が次男の面倒をしてくれることは大変助かっています。

祖父母にも次男の面倒を拒否されては困るので祖父母の対応もこの頃の大きな悩みの一つでした。

見えない障害と生きる。

ふと、テレビを見ていると、部屋が片付けられない女性のCMが流れていました。

その女性は結婚して家庭もありましたが、ご主人に部屋が片付けられない事が理由で離婚になったそうです。

部屋が片付けられない女性は、ご主人に理解してもらえなかったと話すのですがとても明るいのです。

発達障害って、見た目ではわかりにくいです。

けれどもどこか憎めません。

こんな、ストレートな「発達障害」がテーマのテレビCMがあるのだと驚き、ネットで調べてみました。

一昨年発表された東海テレビの公共キャンペーン・スポット「見えない障害と生きる。」は、部屋が片付けられない女性、文字の読めない教師、自閉症のラッパーなど、見た目では分からないさまざまな発達障害を抱える6人が登場するドキュメンタリーCMだそうです。

YouTubeにアップされるやいなや大きな注目を集め、今年1月にはJAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクールで経済産業大臣賞に選出されたそうです。

初めて見たのですが、結構前から放送されていました。

私は普段テレビをほとんど見ません。

長男がテレビを見ない為です。

唯一見ていいのはNHKだけです。

長男は耳はいいのですが「聴覚過敏」というわけではなく、「こだわり」です。

長男は、この「こだわり」が強いのです。

毎日決まったルーティーンがあります。

同じ物を飽きずに好みます。

発達障害の特徴です。

以前私は、次男が施設から外泊する週末は、次男と一緒に私の実家に宿泊していました。

新型コロナウイルスでの緊急事態宣言が発令され、次男は外泊できないので、実家に宿泊する理由もないので自分の家に泊まっても良いのですがそれを長男は嫌います。

月曜日から始まる就労支援施設に行く事に支障がでるといいます。

別に、長男は私が嫌いでは無く、いつもいない人が家にいることが苦痛なのです。

家ではテレビはNHKしか見れないので、この「発達障害」のCMも実家でみることができました。

こだわりは年を重ねたり、成長するにつれ緩和されると、発達障害の診断を受けたときに医師から聞きましたが、長男は19才になりますがほとんど変わりません。

大変な事もたくさんあります。

でも、素直で嘘をつくことができない長男には、うれしい事や愛しいと思う事も多いのです。

療育手帳

先日、長男宛に療育手帳の更新の案内がきました。

療育手帳は、主に知的障害のある人が取得できる障害者手帳です。

知的障害のある人が支援や相談などのサービスを受けやすくすることを目的としています。

長男は保育園の6歳の時に、子供相談センターにて療育手帳を取得しました。

療育手帳には、障がいの程度によりA1(最重度)、A2(重度)、B1(中度)、B2(軽度)の区分があります。

その時の長男の判定は軽度のB2でした。

知的障がいとは、具体的に聞くとIQが75以下だそうです。

その時、改めて長男は知的障がいを持っていると実感した事を覚えています。

それから、今までは2年に1度、子供相談センターにて、療育手帳の判定がありました。

18才からの判定は知的障害者更生相談所になるのそうで、判定は子供相談センターではなく市役所になります。

市役所にて係の方から説明を受けた後、判定員の方との面談が始まりました。

日頃の細かい生活面を聞かれます。

気持ちの波が激しい事、病院への通院、薬の処方など30分ほど話しました。

長男が返答に困るときは私が代理で答えますが、聞かれた事に対して、大体は自分の事を話せました。

他人の大人の方と話すのを聞くと長男が成長していると実感します。

その後、私は退室し、次男と判定員の方と二人でIQ検査をします。

一時間程度たったあと、判定員の方に呼ばれれました。

判定の結果をききますと、

「療育手帳の判定はB1になります。」

B1は中度障がいになります。知能指数(IQ)がおおむね35から49で、何らかの援助のもとに社会生活が可能です。

例えば、ごく簡単な読み書き計算ができますが、それを生活場面で実際に使うのは困難です。

具体的な事柄についての理解や簡単な日常会話はできますが、日常生活では声かけなどの配慮が必要です。

「B2の時と比べると支援の幅が広がりますので確認してください」

市役所をでると長男が

「全然できなかった」と少しがっかりしていました。

「漢字の読み書きや計算でも、昔はできていたのに忘れてしまった」

「学校にちゃんと行けばよかった」

私は、障がいの程度が重くなりましたが、支援の幅が広がることに対して、少し安心しました。

次回の療育手帳の判定は10年後だそうです。

早いもので長男ももうすぐ19歳になります。

長男もまだまだ手がかかります。

少しづつで良いのですが、自立できるようになってほしいものです。

統合失調症忘備録㉛「適応指導教室」

次男はどんどん寝る時間がずれていき、朝方に寝て昼過ぎに起きるという、完全に昼夜逆転になっていました。

不登校も二か月がたとうとしていました。

学校には定期的に呼び出しがあり、近況を聞かれます。

これがプレッシャーなのです。

本当なら行きたくありません。次男の様子を伝えて、学校から学校に来るようにいわれるだけですから。

ただ私は仕事柄、校長先生や学校の上役の先生方も以前からある程度知っていました。

学校は私にとってお客様なので、学校が不審に思う事もできませんでした。

学校のいうことが無視できれば、次男への対応も変わっていたかもしれないと思うと申し訳なく思います。

校長先生から

「適応指導教室へ行かないか?」と話がありました。

適応指導教室とは様々な要因により不登校及び不登校傾向にあるなど、学校生活に適応することが困難な児童生徒を対象とし、個人や小集団での段階的な各種活動を通して、生きる力を高め、より個に応じた相談活動や援助活動、学習指導を行い、自然な学校復帰ができるなど個々が自立の方向を見出し、自己実現を図ることができるように支援していいる施設です。

以前、問題児のA君が通っていた、学校からは車で20分くらい離れて施設です。

次男に話すと興味はあるようです。

最初はどんなところか見学をする事になりました。

車で適応指導教室のある場所まで行くのですが、私の実家とまったく逆方向なので、車で40分くらいかかります。

最初は素直に見学に行く事に応じていたのですが、近くなるとだんだんとイライラし始めました。

「やっぱり行かない」

戻ることになりました。

送迎だけでも大変なのですが、ずっと家にいるよりはと思い、本人の興味がある限りはこれからの選択肢の一つとして取り組みをする事になったのでした。

統合失調症忘備録㉚「昼夜逆転」

この頃からだんだんと寝るのが遅くなり、朝起きるのも遅くなりました。

ころ頃私はは、学校にいけなくても規則正しい生活だけはと思い、夜9時までには風呂に入り、一緒に寝るように心がけていました

けれども次男は寝れなかったり、途中で目が覚めてしまいます。

寝れないので、パソコンやゲームをして過ごします。

そして普通の昼夜逆転ではなく、どんどん寝る時間がずれていくのです。

もちろん食事の時間もむちゃくちゃ。起きている時間は漫画やゲームばっかりするようになりました。

そのうちゲームだけでは飽き足らなくなり、パソコンに興味を持つようになります。


パソコンにすごい勢いでのめり込み、動画視聴などで一日は過ぎていくようになりました。

絵にかいたような引きこもり生活になりました。

私は次男ににどう接したらいいのか悩みました。

一般的に不登校になると昼夜逆転をして、ゲームやパソコンにのめり込むことが多いようです。

不登校になった子どもは、「学校に行けなくて申し訳ない」と罪悪感でいっぱいな場合が多いです。

そんな子どもにとって、みんなが登校したり、親が仕事に出かけたり、家事を始めたりで「一日が動き出す」朝という時間はとても辛いそうです。

みんなが活動する時間帯は寝て過ごし、世間が静かになる夜の時間に動くようになります。

次男は自分の気持ちを言葉にするのが苦手なので、そういったしんどい気持ちからイライラにつながり暴言になったと思います。

自分でもどうしたら良いのか分からないのです。

次男は当時

「自分は働けるのか?」

と心配をしていました。

次男がゲームやパソコンにのめり込むのは

「いじめにあった現実から逃避したい」という気持ちもあったと思いますが

「これから自分はどうなるんだろう」と不安で苦しんでいたと思います。

そんな不安とまともに向き合うのは、子どもにとっては辛い事です。

そこで、ゲームやパソコンにのめり込むことで気をそらしているのです。

ひきこもりになる理由はそれぞれだと思いますが

私は子どもが安心して過ごせる場所を守り、子どもの成長を信じて待つことが大切だと思います。

統合失調症忘備録㉙「トイレがこわい」

幻覚とは,実際にはないものが感覚として感じられることを言います.

この頃は、まだ「統合失調症」とう診断名がなく、病院の医師もハテナの状態だったと思われます。

今思えば、「統合失調症だった」というエピソードがあります。

ある日、次男の部屋から悪臭が漂ってきたのです。

匂いの元をたどると、洋服のタンスでした。

引き出しを開けるとおしっこのにおいでした。

他、壁の隅・ベッドの下・ゴミ箱にも、おしっこをしていました。

このような事は初めてでした。

「何かがおかしい」と思ってはいたものの、理由は分かりませんでした。

次男は「トイレがこわい」といいます。

ひきこもってから、昼間でもトイレに一人で行く事ができず、家のトイレにも付き添っていました。

次男が今まで特に苦しんでいたのは主に、聴覚についての幻覚,つまり幻聴で,誰もい ないのに人の声が聞こえてくる,他の音に混じって声が聞こえてくる,という幻聴でした。.

「トイレがこわい」とは、声が聞こえたり、本人を監視しているようなことからだったのだと思います.

SSTの臨床心理士の先生に相談すると

「トイレトレーニングが必要では?」

幼児におむつからトイレを習慣づけるトレーニングの事です。

前回の「子供がえり」からトイレトレーニングの話につながったのかもしれません。

いずれにしても、本人とも相談をして、部屋におまるを用意する事にしました。

統合失調症防備録㉘「子供がえり」

新年度が始まった日、新しい担任の先生が夜、実家の家まで挨拶に来てくれました。

次男は会いたくないといい、私が新しい教科書などもらって今後の話を聞きました。

担任の先生は「次男へ声がけだけでも」

二階の次男のいる部屋まで行きました。

次男はおとなしく、会って少しだけ話ができました。

先生が帰ると突然キレ始めました。

もらった連絡帳などをビリビリ破きます。

この日に限らず、キレ方も頻度が増し、物を投げたり、壊したり、暴言を吐いたりと以前より激しくなっていました。

特に障子を破いたりするため、私の両親も手を焼いていました。

薬はしっかり飲ませているのですが、効果が現れず様子はひどくなるばかりです。

処方してもらった「ストラテラ」も二ヶ月がたちます。

病院の医師は

「学校に行かないのなら暴言やキレるのはおかしい」

「薬が合わないのならやめさせるか?」

薬のせいなのか?

手詰まりの状態でした。

SSTの先生は、

「成長がつまづいた時ににおこる、赤ちゃん返りなのでは?」

赤ちゃん返りの原因は、「もっと愛情を注いで欲しい」という気持ちだと言われていまるそうです。


自分を見て欲しい、構って欲しい、可愛がって欲しい、という気持ちです。


そのために、それまでできていたことをやらなくなったり、激しいワガママや自己主張をして、親に強制的に手をかけさせる行動に出るようです。

「幼児退行」などという言葉もありますが、子どもの赤ちゃん返りは、今の自分に必要なもの(愛情・関心)を求めるための大切な行動であり、成長の証であり、とても健全な発達過程だそうです。

次男は世の中が驚異であり、恐ろしい、信用できない、

それでストレスをためている。

エネルギーを貯めるため、子供返りをして、社会へ出るそうです。

でも、次男は違っていたようです・・・・・・。

緊急事態宣言の解除


5月15日、私の住んでいる県では緊急事態宣言が解除されました。

でも次男の障がい者入所施設では、まだ外出、外泊許可がでていません。

特別支援学校もまだ登校できません。

6月1日(月)から、分散登校を開始し、徐々に通常授業に移れるようです。


高等部については、6月1日(月)の前週に登校日を設けて、5月27日(水)を高等部3年生の登校日、5月28日(木)を高等部1、2年生の登校日となります。

先が見えなくて、苦しんでいる生徒のことを考えますとひとまず良かったと思います。

ニュースでは飲食店も始まり、外出者も増えているようです。


気を緩めれば、必ず感染者が増えるます。

増えたら、また非常事態宣言を出すそうですね。

テレビでが仕事が無く、困窮している映像が多くなりました。

政府は支援策も打ち出していますが、次の感染者増までの間、緊急事態宣言を解除する以外の選択肢はなかったのかもしれません。


新型コロナウイルスは、若者に危機感がないと言われてるのを見ました。

28才の力士の方がなくなりましたが、死者は60歳以上の方です。

この病気は年代によって危機意識が違います。

このコロナウイルスは感染しても発病しない場合もあるウィルスなので、自分が感染しても発病すること無く相手に感染させてしまうかもしれません。

仮に1日1万人のPCR検査ができたとしても、日本の人口が約1億2千万人ですから、自分は検査できないかもしれません。

私の家族は60才以上が3名います。

自分の事は自分で守る。

自分の家族も自分が守るという、危機意識を継続して、対応するしかないと思います。

統合失調症忘備録㉗「ひきこもりの始まり」

新年度、春休みが終わり一学期が始まろうとしていました。

最初の行事は入学式ですが、行くことはできませんでした。

「適応指導教室へも行きたくない」

「家にも戻りたくない」

外出さえも出来なくなっていました。

週一回の病院でのSSTも行けなくなりました。

外出や学校の話にふれると癇癪をおこすようになっていました。

私はひとりで、病院のSSTの臨床心理士の先生を訪ね相談しました。

「日々は好きな事をさせて過ごさせる」

「このままでいいと不登校・本人を受け入れる」

「充電期間と思い、本人を尊重して成長する力を信じてください」

私もこの時点では、無理に学校へ行かせる事は良くないと思っていました。

しかし臨床心理士の先生が言っている事はわかりますが、

「本人の好きな事をさせたり、言うことを聞く事でわがままにならないのか?」

「このまま長期間ひきこもってしまうのではないか?」

とても心配をしていました。

次男の日々と言えば、テレビ・ユーチューブ・マンガを読むことです。

一人でいるときは落ち着いています。

自分の世界にいるときは安心できるのだと思います。

一人で楽しんでいたのを邪魔されると怒ります。感情的な時は何を言ってもだめです。

そして、お風呂も嫌がります。

「顔だけ」とか、「手だけでも」とかと話します。

トイレも一人で行けなくなってしまいました。

学校へ通っていた頃は21時頃には就寝していたのが最近は24~1時の就寝となり、朝の起床も9時とだんだんと夜型に移行しています。

不登校でも生活のリズム、規則正しい生活は大切です。

私は学校に登校することを目標にしていたかもしれません。将来の社会的な自立に向けて支援が必要です。

焦ってはいけない・・。

備えあれば憂いなし

本日39県で緊急事態宣言が解除されそうですね。

宣言がでて約1ヶ月がたとうとしています。

次男から「いつ家に帰れるのか?」連絡があったばかりでした。

先週から感染者が激減しています。

非情事態宣言やステイホームのおかげだと思います。


ただ心配なのは、一部の人はもう安心だと思って、出かけ始めている事です。


専門家は二次感染は必ず起こるといっています。

これではまた同じ事の繰り返しです。

私の周りでも、「もう限界だ」とか、「飲みに行く」など声が聞こえてきますが、気持ちは分からなくもないのですが、ここで解放したならば、専門家が言わなくても二次感染が起こる事は、誰でも予想出来ます。

ここで大切なのは二次感染に備えることだと思います。

私は忘れもしませんが、新型コロナウイルスが出始めた1月の下旬、メディアではたいした事は無いとか、風邪みたいなものだとか言っていました。

今思えば、ワクチンもないのになぜそんなことが言えるのか不思議です。

今はワクチンもでてきましたが、ウイルスが変異したらどうなるでしょう?

また今のようになる可能性はあります。

今大事な事は、新しい新型コロナウィルスがでてきても対応できるようにすることですね。

一時期全く無くなった、マスクや消毒液などもドラックストアーにも並び始めました。

もし使わなくても、これ幸いで保存しておけば問題ありません。

自分の身は自分でしか守れませんし、家族も同じ事です。

備えあれば憂いなしです。

統合失調症忘備録㉖「不登校の心構え」

新年度に入った春休みの4月、学校で話し合いがありました。

次男は学校に行く事に抵抗があり、私一人で行きました。

暴行を受けてから約一か月たちましたが、家での様子は良くありません。

通院やSSTへは通っていましたが、この時点では「統合失調症」など精神病の疑いは全くありませんでした。

私は、この新年度のタイミングで学校に行けないと不登校が長期化するのではないか?心配をしていましたので、学校に行ける方法がないか模索していました。

次男が学校に行けない理由としては暴行を受けたトラウマもありますが、

・個別授業により自分だけ特別扱いを受け友達が疎遠になった。

・人の目が気になる(じろじろ見られる)

以上の事をとても気にしていました。

特に人の目が気になるというのは、学校で個別授業に行っていた頃よりもかなり気にしていました。

学校に行っていないという負い目もあるようです。

次男と学校での今までの事についての話をしました。

・個別授業はもともと嫌だったけど、仕方がなかった。

・普通学級はがやがやした音がとても苦痛。自分の事をじろじろ見てくる。

次男にはこれからどうしたいのか?聞くと

・支援学級もじろじろ見てくる。馬鹿にされる。

現在、一番の問題児のA君は学校から離れた「適応指導教室」に通っいるようです。

次男もこの「適応指導教室」の事も興味を持ち始めていました。

私は、支援学級でじっくり勉強をするのが理想ですが、本人が嫌がり自己肯定感が低下するのも不安でした。

ならば通常学級で在籍をしながら個別授業を受けて、ダメなら支援学級や適応指導教室はどうなのか?と考えました。

学校は、まずは何とか学校に来てもらう方法は無いか?プレッシャーをかけてきます。

私はSSTの先生とも相談をした事を伝えました。

「次男が自主的に登校できるまで待つことが基本で、登校を促すための適切な働きかけをする」

「行きたくても行けない、という子供の気持ちをまず受け入れ、長い目で対応を考えていく事が大切」

そして、学校側には

「子どもが登校した時の対応で相談室や保健室の利用の確認」と

「安心して登校できる環境づくり」の支援をお願いしました。

人が自分の事をじろじろ見てくるという事をよく言いだしたのがこの頃です。

今思うとこれが、統合失調症の具体的な始まりだったと思います。

学校再開、不登校生徒は?

新型コロナウイルスの感染拡大に伴う緊急事態宣言が今月末まで延長されました。

ニュースでは感染者の少ない一部地域の学校で11日から授業が再開されていました。

休校が続く地域でも、子どもたちの学習や感染予防に注意を払いながら、登校日を設けるなど、学校再開に向けて動いています。

おそくても全国的に6月から学校が再開されそうですね。

学校再開まで残り3週間というわけです。

我が家は長男は数か月単位で不登校になり、又次男は約5年間不登校になっていました。

子供たちのケアも大変ですが、なかでも三食の食事は大変でした。

二人とも男の子ですし、体は健康なものですから育ちざかりでもありよく食べます。

昼食だけですが、学校給食のありがたみが本当によく分かります。

新型コロナウイルスにより学校が約3ケ月間休みになり、私の会社のお母さん達もなにより食事の準備が大変だと言っていました。

特にお昼も含めて食事を作らないといけないのは大変だったと思います。

ようやくお母さんは苦労から解放されまね。

これからは学校によってオンライン授業や時間差登校などあるかもしれません。

しかし、生活のリズムは不安定だと思います。

6月までの約3週間の過ごし方が重要ですね。

不登校の子にとってはこの3ケ月の休養はストレスを減らすためには必要なこと
だったと思います。

学校へ戻れるかどうかも、この6月までの残りの日数に掛かっています。

これから規則正しい生活をしなければいけません。

しかし、新年度も2ケ月遅れのスタートです。その分授業日程も詰まってくると思います

少し休むと、授業の抜けが大きくなり戻ったとしても、授業が理解できず、また学校を欠席する可能性もあります。

次男は特別支援学校なので小規模クラスでありこのような心配はないのですが、普通学校の生徒は大変だと思います。

夏休み返上かも?という心配な声も聞こえてきます。

この逆風をなんとか追い風にしたいものですね。