特別支援学校 入学式

次男は9年ぶりの入学式です。

次男の特別支援学校の本校入学式はとても天気が良く気持ちが良い日でした。

ですが新型コロナウイルスといえばの影響も終息するどころか、拡大するばかりですね。

次男の特別支援学校の病院分校の卒業式の時も簡略化で短時間でしたが、入学式も同様に簡略化されました。

次男は普段は特別支援学校の本校に隣接する障がい者入所施設で暮らしています。中学部の時は病院分校は障がい者入所施設より車で10分程度離れていましたのでいつも施設の職員さんに学校までの送迎をしてもらっていました。

特別支援学校の本校は、この障がい者入所施設と隣接をしていますので、大変移動が楽です。

次男が私の実家に帰省した時に制服やベルトを合わせました。次男は今まで一度も制服というものを着たことがないので、ベルトの穴が一つ抜けていたりして、少しとまどっていました。

入学式当日は施設にいますので、私が来るまでに制服を一人で着ておくように言い施設に戻る時に制服一式を持たせました。

当日、私は受付の一時間前に施設に向かいました。

ひとりで制服を着れているだろうか?

心配をよそに、次男は制服をちゃんときて待ったいました。

「早いな」

ちょっとウキウキしている感じでした。

不登校になって3年余り、中学部に通えるようにはなりましたが、中学部二年生からの二年間はひとりぼっちでした。全校生徒もわずか11名です。

今回特別支援学校の本校では同級生がいきなり23名。

ですが、私の心配は取り越し苦労でした。

次男と私は一緒に隣接する学校に移動しました。非常食も持参しなければいけないので大変です。特に水2リットル6本の持参はつらいです・・・

体育館に入ると新型コロナウイルス対策で生徒も保護者の席もひとりひとりの間隔が離れています。

そして入口横にはクラス編成がボードに貼られています。

次男はA組です。重複障がい者クラスになります。

次男の「精神障がい者手帳」は小学校の時に取得しています。

ですが特別支援学校に入学するには知的障害の手帳がないとは入学できません。

中学部3年生の時に療育手帳を取得しましたので、障害が二つあることになり、重複クラスになります。

小学部、中学部、高等部の合同の入学式が始まりました。

校長先生のお話などが終わり最後に集合写真となりました。

偶然にもこの写真撮影の方は私の知人でした。この写真屋の息子と次男は小学校の同級生で病気になる前は友人としてよく遊んでいました。

私も仕事柄、修学旅行の添乗員をする時に、卒業アルバムのカメラマンとして一緒に修学旅行に同行することも多かったのです。

私は次男を紹介しました。ちょっと驚いた様子です。

なんと言ったら分からず「なんとか立ち直ってくれて・・・」と伝えると

「大きくなったな。良かったな」と言ってくれました。

病気になる前の同級生は次男のことをどのように聞いていたかは分かりません。

不登校になり転校もしたので昔の同級生とは接点もなくなっていました。妻もあえて以前のように同級生のお母さんとは接触を避けていました。

私も親しい人には心の病気としか伝えていません。

以前の知識のなかった私もそうでしたが「統合失調症」と聞くと、昔の「精神分裂病」のイメージが一人歩きしてしまい、次男が又嫌な思いをしたり精神を病んでしまうことを避けたかったためです。

入学式が何事も無く終わり、施設に戻りました。

ですが又明日から新型コロナウイルスの為に10日休校です。

一般的に長期休みの後は不登校が多くなる傾向がありますが、この施設のおかげで次男はいつもとあまり変わらない生活が遅れていて不登校の心配は大丈夫そうです。

統合失調症忘備録⑧「ADHD」

脳の障がいのひとつです。育て方は関係ありません

保健師の先生から、病院で相談してみてはと言われるとその指示に従いました。

「モンスター親子のようにはなってはいけない」

「次男もこのままでは、問題のある児童と一緒になってしまう。他の児童の教育を受ける権利を邪魔してはいけない。」

私は次男が、発達障害やADHDではないと思っていました。発達障害なら脳の障害なので、幼児期に必ず健診などで指摘を受けるはずと知っていたからです。

次男は幼児期の発達検査などで、今まで何も引っ掛かった事はありません。

注意欠陥多動性障害(ADHD:Attention deficit hyperactivity disorder)とは、不注意(集中力のなさ)、多動性(落ち着きのなさ)、衝動性(順番待ちができないなど)の3つの特性を中心とした発達障害のことを指します。また、注意欠如多動性障害と訳される場合もあります。

ADHDは7歳までに発症し、幼稚園や学校生活のさまざまな場面で、3つの特性から来る行動が確認されます。ADHDに関連した症状は短期間で消失するものではないため、学業や友人関係の構築に困難を覚えることがあります。

以上、メディカルノート抜粋

今の次男にあてはまることと言えば、

・不注意  忘れ物が多い、字が乱れる、不器用

・多動性  授業中立ち歩く

・衝動性  先生のいうことにすぐ反抗する。

最近になってこのような事が目立ちます。発達障害やADHDは急に発病するものではありませんが、今まで目立たなかっただけなのかもしれないと心配になりました。

学校から、紹介文を書いてもらい総合病院の児童科を受診しました。

・授業がうるさすぎて教室にいられず離席して外にでてしまうこと。

・いつもイライラしていること。

・先生に注意されても激しく反抗すること。

・長男が広汎性発達障害だということ。

以上をドクターに伝えました。

診断は「聴覚過敏」でした。

聴覚過敏は、感覚過敏のひとつです。 周囲の音が我慢できないほど大きく感じられたり、非常に気になってしまう状態のことです。 特定の音のみが不快に感じる場合も、周囲の音すべてが苦痛に感じる場合もあります。

確かに妻をはじめ長男も次男も私以外は耳が良いのは分かっていました。

「我慢できないほどうるさかったのか。」

病院からはイライラが緩和される「漢方薬」を処方されました。

「結局、ADHDではなかった。」

しかし、この時私は「統合失調症」の前兆だとは思いもしなかったのでした。

統合失調症忘備録⑦「モンペア対処法?」

学校側の対応も一苦労です。

モンスターペアレントの対処法を考える。

次男が「統合失調症」になったきっかけのひとつは、この年にかぎってモンスター親子がまざっていたことだったと思います。

 当時、私はPTAの本部役員として荒れている教室をみましたが、本来保護者も現状をみてもらって、親に自覚してもらった方が良いと思っていました。

学校側に親に教室をみてもらう話をしたのですが、以前より授業の参観を親が拒否をしているそうです。

それどころか、授業参観の話をすると、この状況を学校の責任にして逆上し、手が付けられなくなるようです。

学校側もなすすべがないとのことでした。

本来なら、現状を認めて学校と一緒に対策を考えるのがベストだと思います。

自宅でしつけ直すにしても、ADHDにしても、やり方があるはずです。

ただ学校もADHDかもしれないと分かっていても、医者ではないので保護者には言えない部分はあるかと思います。

まして、お子さんが障害をもっているとは言えないるはずもないです。

保護者も突然、障がいを持っていると言われても、困惑するのも分かりますし、人のせいにしたい気持ちも分からなくはないです。

保護者にもよると思いますが、このようなデリケートな問題の時は、学校側も細心の注意を払って、保護者の気持ちに寄り添い、今後の対応を考えていくことが「学級崩壊」の終息に大きく影響されると思います。「学級崩壊」が自然と終息される事はないと思いますので。

又、このような時は、学校側は医者を紹介して相談を促します。

 長男の場合ですが、保育園の時に、園長先生から医者を紹介してもらいました。

医者から「広汎性発達障害」と言われた時はショックを受けたのを覚えています

広汎性発達障害とは、対人関係およびコミュニケーション能力の障害やパターン化した行動、強いこだわりなどの特徴がみられる障害の分類のことです

長男には身体的な不自由さは感じていませんでしたが、育てにくさはとても感じていました。

赤ちゃんの頃から夜泣きがひどい、ハイハイができない、かんしゃくがひどい・・・などでした。

私と妻は何か育て方が間違っていたのじゃないか?と悩んだ時期でした。

障害があると分かった時はショックはうけましたが、心のどこかでほっとした部分もあったのです。育て方ではなく生まれ持ったものだったのだと。

 次男の方は先生が病欠になり教育委員会も動いていました。一大事と認識はされているはずです。

先生は病欠になり、そのかわりに、非常勤の講師が2~3名入りました。

次男は4年生の3月から不登校になりましたので、その後の学校の様子は分かりません。

5年生になると、担任の先生は転勤でいなくなりました。

統合失調症忘備録⑥「モンスターペアレント」

モンスターペアレントの対処法は?

私の地域は、夏休みが終わるとすぐ9月に運動会があります。

次男は足が速くリレーの選手に選ばれました。

そして問題があるA君もリレー選手に選ばれていました。

運動会は赤組と白組に分かれます。次男とA君はそれぞれ別の組でした。

運動会当日A君は次男にこう言ったそうです。

「バトンをおとせ」

「やらないと分かっているな?」

ですが、次男は気にすることなくバトンを落としませんでした。

このことは後から次男から聞いたのですが、それから嫌がらせが始まったそうです。

 授業の方は相変わらず、先生は騒がしい中、一人で授業をしている状況でした。

授業が成立せず、複数の生徒が廊下を走り回り騒ぐ・・・

そして問題がある児童が一人増えて3名になっていました。

 この頃になると、A君のおかあさんは保護者からモンスターペアレントとして恐れらていました。

A君のおかあさんに数名が苦言をいった話を聞きました。

すると、もそすごい攻撃にあったそうです。

まず、学校のせいにして逆上します。自分は被害者だと・・・

そして苦言を言った人の人格否定をします。

彼女から攻撃されてストレスで具合が悪くなった人まで出てきました。

それだけに限らず、彼女は子供が批判された「うわさ」を聞くと、その保護者の家まで出向き攻撃をするのです。

そのうち、おかあさんの保護者は誰も苦言を言う人がいなくなりました。

A君のおかあさん以外にも、学校や担任の先生のせいにしたり、指導力不足を強烈に批判する保護者が数名でてきました。。

もちろんA君のおかあさんは担任の先生や学校にも攻撃していることは想定内であり、ついに先生はモンスターペアレントと問題がある児童3名で精神を病んで休職・・・・

 次男は10月に入ってから目に見えて、様子がおかしくなりました。

授業中の離席が始まったのです。

先生が何度、注意をしても授業中に出て行ってしまいます。

次男に聞くと「うるさくて我慢ができない」と

このころから、イライラが強くなって、先生に注意されると強い口調で言い返す事が頻繁にでてきました。

こんなことがつづき、保健師の先生は念のためと病院の受診を勧められたのでした。

(次につづきます)

統合失調症忘備録⑤「学級崩壊」

この頃はギャングエイジと呼ばれていました。

「学級崩壊」の原因

統合失調症は、およそ100人に1人弱がかかる頻度の高い病気です。

一般的に主に思春期〜青年期の若い方が発症しやすいといわれています。

前回、「統合失調症 忘備録④」で次男が「統合失調症」になったと考えられる原因のもとを考えてみました。

遺伝という病気になりやすい「もろさ」と耐え難い「環境」が重なり統合失調症になったと推測されます。

今回は、改善の余地があったかもしれない「環境」について考えてみたいと思います。

不登校になる前の話です。

当時、小学校3年生頃から二人の児童により授業が騒がしかったようです。

小学校4年生に入ると、数名の親から

「子供が授業がうるさくてできない」と言っている。

そういった声が多く聞こえ始め、騒ぎが広がりました。

その当時、私はPTAの本部役員をしていました。

ある同学年の子供がいるPTA役員から話がでました。

「問題にのある児童がいて授業ができないそうですが、学校側は対策はないのか?」

しかし学校側は消極的でした。その時は事実を話そうとはしませんでした。

やがて、学級懇談会でも話し合いになり、実際の授業風景をPTA役員の私ともう一人で見る事になりました。

以前、授業参観したときの記事を書きましたが

二人のお子さんは、授業中ウロウロするのは日常で、先生に関係ない事を話しかけたり、寝転がったり、水槽で遊んだり、騒いだりと・・それに何人かつられて他のお子さんも騒いだりとすごい状態でした。

一緒に参観した保護者の方は

「まるで動物園だ」

と言っていました。

私は長男が発達障害なので、自分なりに勉強していました。

「おそらく、ADHDなんだろうな」

ADHDとは注意欠陥多動性障害の事です。

障がいのの一つで本人が悪いとか、保護者の育て方が悪いとかではありません。

おそらく学校側も発達障がいの事実をあまり広げたくなかった配慮だったのかもしれません。

それともう一つ学校が配慮した理由が、二人の子供のうち一人の母親はかなりのモンスターペアレントだったからです。

子供に何かあると先生を罵倒したり、校長先生に苦情をいったりと学校のせいにしていました。校長先生もかなり疲弊していたようです。

きっとその母親も子供が発達障害という事を受け入れられなかったかもしれません。

学校側もデリケートな問題なようで、そのお子さんを一緒に授業をうけさせないことができないようです。

学校が表立って何も対策をしないまま、長い夏休みが始まりました。

「学級崩壊」問題については一旦、先送りです。

夏休みが終わるとすぐ「運動会」があります。

この運動会で次男とADHDと思われる児童との問題がおき、次男が崩れてしまうことになるのでした。

(次につづきます)

HSP「ハイリー・センシティブ・パーソン」

新学期、新年度がんばりましょう!

妻に言われるまでHSPとういう存在を知りませんでした。

内向的や神経質などネガティブなイメージを持たれやすいし、生きにくさを感じるHSPですが、実はそういう自分もHSPなのかと思い当たるところがあります。

私は旅行会社で営業をしています。営業もしますが、添乗員として一日中お客様と過ごすことがあります。

毎日、人と接する仕事をしているのですが、昔から職場や学校、組織に属するのが息苦しいと思っていました。

中学校まではそこまで気にしなかったのですが、高校に進学してからは人といるのが嫌で、友達もつくらず一人でいる方が好きでした。

こんな自分を変えなければと悩み、旅行会社へ就職しました。

職場や組織に属するのが息苦しく思ったのは人に合わせなければいけないからです。

営業でもお客様に合わせ、会社でも皆に合わせ、毎日疲れてしまっていました。

旅行会社も添乗員が華やかに見えますが、仕事がないと添乗もできません。

主は毎日営業で外回りです。実はこれは自分に合っていました。

会社にいることが嫌いなので、朝からすぐ外へでます。

営業は人と会わなければなりませんが、その場その場で過ぎていくので気づかれしません。

又、その日の成果などを日誌で提出しなければならないのでサボることはできません。ですので営業件数も多く、自然と営業成績が一番になります。

朝いちばんから営業にでて、デスクワークは皆が帰ってから一人でやりたいので必然的に帰宅が遅くなります。皆からは仕事が好きな人と思われていました。

そんなことを一人で毎日しているので、「一匹狼」とレッテルを貼られています。

でも、それでもいいと思います

「人がどう思っても関係ない。自分が良ければいいんじゃない」

そう考えるようになってから随分気が楽になりました。

でも今は立場もあり、部下もいるので疲れます。

ただ救いはプレーイングマネージャなので、外回りの営業もできるので助かります。

私は旅行の仕事は好きなのでどんなに忙しくても辛くありません。なので営業成績は良いです。

会社にもプレーイングマネージャーという立場として、営業もできるように、少しわがままを聞いてもらってます。

もし、会社に毎日いる立場になったらと思うとぞっとします。精神的に無理ですし、無理して勤めても精神的に必ず病みます。

なので、会社を辞めると思います。妻も了承済です。

HSPはネガティブイメージですが、感受性が強く、 高度な共感力を持つなど他の人にはない優れたスキルを備えている人もいるので、有名人や芸能人として活躍している人達もいるそうですね。

自分も子供もそうですが、できるところを伸ばした方が断然良いです。

就労継続支援利用のその後

何事も前向きに生きたいですね。

長男は今日、就労継続支援の施設を休みました。

3月16日から就労支援継続の施設に通っていますが、それから半月がたちました。

通所2日目でいきな休んでからは、毎日通っていました。

施設には若くてやさしい女性の職員さんがいて、いつも気にかけてくれるそうです。

長男もいつもその職員さんの話をしてくれます。

ですが最近の長男は様子がへんなのです。

新型コロナウイルスの事でかなり動揺しています。

家ではニュースは絶対にみません。

それは必ずコロナウイルスの件が流れるからです。

私の住んでいるところは田舎なので、近くではまだ感染の事例はありません。

ですが、最近は「首都閉鎖」とか「緊急事態宣言」などの言葉でかなり、長男はビビッています。

その心配が積もり積もって動揺しているのです。

前日には、その職員さんにも新型コロナの話しをしたそうで、職員さんも

「休むのなら朝電話してね」

と言われたそうです。朝も自分から施設に電話を入れていました。

「今日は休みます。明日は必ず行きます。ご迷惑をおかけしましてすいません」

ちゃんと言えたことに対して感心をしました。

長男も自分の事を

「心配障がい者」

といいます。

つい最近のことですが、妻から

「私も子供もHSPだから」

統合失調症 忘備録③でも触れましたが

「ハイリー・センシティブ・パーソン」の略だそうです。

人の言動に動揺しやすかったり、人の感情に自分の気持ちも左右されてしまったり、周囲の音、光、匂いなどが気になって仕方なかったり。あなたは今、そんな毎日を過ごしながら世の中を「生きにくい」と感じているかもしれません。

職場や学校、組織に属するのが息苦しく、自分を変えなければと悩んでいる方もいるでしょう。

以上 新宿ストレスクリニックHP引用

長男も私がそこまで思わなくてもというところまで心配をします。

妻も昔からかなりの心配性でした。

仕事面では結婚当初は家業を手伝っていたのである程度、融通もきたのですが、家業が倒産したため、他で働くことになりました。

他で働いた事が無いために大変苦労しました。

最初は仕事や人間関係に馴染めず、職業を転々としていた時期がありました。

それとうちの家族は音にもかなり敏感です、人の足音などはいつも察知します。

次男も妻に似たところがあります。耳もかなり良いため、小学校の授業中の離席は聴覚過敏だからだねと診断をされた事がありました。

HSPは繊細で感受性が豊かで、敏感な人を指します。

性格傾向を名称で表したものであり、病気ではありません。

家族は皆、ネガティブ思考なので、何とかポジティブ思考にチェンジできないか思案しています。

統合失調症忘備録④「環境?」

安心して学校に通わせたかったです。

統合失調症はなぜ起こるのか(❹環境)

環境の影響は?〜ストレスフルな環境は改善しましょう〜

かつて養育環境の悪さが発病の主因と考えられたことがありましたが、現在ではこの考え方は支持されていません。養育環境はあくまでも発症の1つの要因にすぎません。しかし、養育環境を含めたストレスフルな環境は統合失調症の発病に影響すると考えられています。

以上、統合失調症ナビ引用

次男についてはこの❹の環境が統合失調症の大きな原因だったと考えていました。

「学級崩壊」と「いじめ」という大きなストレスが影響された事は間違いありません。

統合失調症ナビでも、

統合失調症の発症については、1つの原因に起因するものではなく、いくつかの危険因子が重なって発症するというストレス・脆弱性モデルが考えられています。病気になりやすい“もろさ”(脆弱性)があるところに、周囲のストレスフルな環境や重大なライフイベントなどのさまざまなストレスがかかることが発症の引き金となるという考え方です。

とあります。

これを次男にあてはめると、

「遺伝というもろさ」

「耐え難い環境」

により、小学生ではあまり例がない「統合失調症」を発症したのではないかと思います。

もちろん、遺伝については変えることはできません。しかしこれを踏まえた上でもっと次男に配慮ができたのではないかと思うと悔やんでも悔やみきれません。

もう一つの耐え難い環境の改善についても、力不足だったかもしれませんが、何もしなかった訳ではありません。

この次男が耐え難い環境だった「学級崩壊」と「いじめ」についても振り返ってみたいと思います。

統合失調症忘備録③「脳の変化・性格?」

統合失調症の決定的要因はないようですね。

統合失調症はなぜ起こるのか(❷脳の変化)

脳の変化とは?〜妊娠期・出生時の障害の影響も原因の1つにすぎません〜

いくつかの統合失調症の患者さんの脳について調べた研究では、脳の萎縮がみられること、前頭葉や側頭葉という部位が小さいこと、海馬や扁桃体という部位がとくに左側で小さいこと、前頭葉の機能が低下していることなどが報告されていますが、これらが発症にどのように関与しているのかについてはまだわかっていません。
また、お腹の中にいるとき(胎児期)のウイルス感染や栄養不良、出生時の無酸素状態などで脳の機能的な障害が生じ、成長期の神経系の発達や成熟に影響を与えてしまった場合に、発症の原因になるのではないかと考えられています。したがって、これら妊娠期や周産期の障害があったからといって発症するわけではなく、危険因子の1つにすぎません。

以上 統合失調症ナビ引用

次男は、脳の検査はしてもらっていません。

病気の原因が分からない為、検査をした方が良いのか?迷った事もありましたが、 仮に 脳の萎縮 があったとしても 、結果論になりますし、 発症にどのように関与しているのかについてはまだわかっていません。

当時は直すことを前提としていた為検査をしませんでした。

また、お腹の中にいるときや、出生時に何らかの影響があった場合のことですが、これは当時、病院からは特に指摘がありませんでした。こちらは関係ないようです。

統合失調症はなぜ起こるのか(❸性格)

性格は関係するの?〜よくみられる気質・性格があるといわれています〜

統合失調症の人には一定の性格傾向があることが知られています。たとえば、内気でおとなしく、控えめ、神経質なところがあるかと思えば無頓着であったり、傷つきやすいなどの気質です。人と交わるのが苦手で、一人でいることを好む傾向もしばしば見られます。これらはすべての人に当てはまるわけではありませんが、発症と何らかの影響があるのではないかと考えられています。

以上 統合失調症ナビ引用

次男は病気になるまでは活発でした。友達も多く学校が休みの時はほとんど自転車で出かけていました。内気でおとなしくはないのですが、とても神経質で傷つきやすいのです。

最近「HSP」という言葉よ良く耳にします

英語では、Highly Sensitive Person(ハイリー・センシティブ・パーソン)といい、「ひといちばい繊細な人」という意味で、この頭文字を取ってHSP(エイチエスピー)と言います。

人の気質を表す言葉だそうですが、「妻も私の事だ」と言いっています。

私も妻は人の言動に動揺しやすかったり、人の感情に自分の気持ちも左右されてしまったり、します。

毎日「生きにくい」だろうなと思っていました。

長男もこれにあてはまりますし、次男も当てはまります。

次男は傷つきやすいのですが、その事を人に言うことができません。我慢をしてしまいます。

以前「名前の苗字を変えてほしい」ということをいわれました。

なぜかと聞くと

「嫌なあだ名をつけられるから」と言っていました。

苗字は変えることはできないよ。とあまり深く考えなかったのですが、本人からすると深刻な問題だったかもしれません。

それに、いじめの前兆だったかもしれない事を考えると後悔しています。

統合失調症忘備録②「遺伝?」

良い遺伝ならよいのですが・・・

統合失調症はなぜ起こるのか?(❶遺伝)

次男が「統合失調症」と診断されたのは、児童精神科の病棟に入院する前の小学校六年生の三学期です。精神障害者手帳の1級も取得しています。

それまでは、特に診断名というものは無く、ある医者は「聴覚過敏?」別の医者は「ADHD?」 (注意欠陥多動性障害) といったあいまいな感じでした。

次男はこれまでの小児検診でも特に発達障害関係の指摘がなく「ADHD」 (注意欠陥多動性障害) は違うかな?と思っていました。

長男の場合は幼児の時に、発達障害の「自閉症スペクトラム」と診断されています。

発達障害は生まれ持った障がいなので、急になる病気などではありません。

次男は4年生までは特に発達障害の指摘はありませんでした。

小学生で統合失調症になる事例は少ないようです。

では、「統合失調症」はなぜ起こるのか?

原因は十人十色だと思いますが、そこから次男が統合失調症になった原因なども考えてみたいと思います。

一般的に統合失調症になる原因はまだはっきりとわかっていないようです。


現在のところ、ストレス・脆弱性(ぜいじゃくせい)モデルの考え方から、原因は1つではなく、さまざまな原因が複雑にからみ合って発症すると考えられています。

①遺伝が原因?〜遺伝はあくまでも原因の1つにすぎません〜

統合失調症では遺伝的な要素があると考えられていますが、あくまでも原因のうちの1つに過ぎません。たとえば全く同じ遺伝子をもった一卵性双生児が2人とも発症するわけではなく、その割合は50%程度です。また、統合失調症の患者さんの家族を調べても、両親の約9割は統合失調症ではなく、兄弟を含めてもその割合は約8割とされており、さらに甥や姪まで調べても約6割とされていますから、遺伝は発症の原因の1つでしかないことがわかります。病気が遺伝するのではなく、病気のなりやすさが遺伝すると捉えることが大切です。

(以上 統合失調症ナビ 引用)

妻の父は妻が小さいころ、精神を病み自殺をしています。

妻の家は昔、地元では名のある名家でした。妻のおじいちゃんがやり手で手広く事業をしていました。妻の両親は晩婚で父は婿養子ですぐ社長になりました。

いきなり社長になったので、かなりのプレッシャーがあったことは推測されます。その時、精神病あるいは統合失調症だったかは分かりません。

(その後は妻の母が社長を継ぎました。私も結婚後しばらくして、今の会社を辞め手伝うこととなります。理由は跡継ぎの妻の実家の長男が、次に書きますが病気になったからです。ですがその後すぐ事業がうまくいかなくなり私が手伝いに入ってから4年で倒産してしまうのです。又機会があれば経緯などは書きたいと思います)

妻には双子の兄がいます。実は兄は「統合失調症」で今も入院をしています。

妻の双子の兄は、高校時代からバンドを組み、ミュージシャンをめざし上京しました。

私が結婚して2年後くらいに様子がおかしくなり地元に帰ってきました。

幻聴や幻覚になやまされ服薬していました。

幻聴、幻覚が日に日にひどくなり、「人の声が聞こえる」と、急にいなくなったりすることが多くなりました。

警察にもお世話になる事も多々あった為、入院をしました。

原因は聞いていません。かなり後になりますが「統合失調症」と聞きました。

妻の家系では次男に近いところで統合失調症になっています。

「統合失調症」への病気のなりやすさが遺伝したかもしれません。