15歳高校生「拳銃自殺」

7月になりました。

新型コロナウイルスによる緊急事態宣言解除により学校が始まりましたが、次男が不安定になり次男の対応でブログの更新が滞ってしまいました。

こちらの記事も事件後すぐ書いたのですが、アップが遅くなってしまいました。

東京都八王子市元八王子町の民家で8日午前、私立高校1年の少年(15)が拳銃自殺を図ったとみられる事件で、少年が不登校状態だったとみられることが、関係者への取材で分かった。  関係者によると、少年は今年4月に都内の私立高校に入学。通信制学級に属していた。週3回は登校することになっていたが、新型コロナウイルスの影響で入学式以降は長らく登校日は設定されていなかった。  緊急事態宣言の解除で6月から学校が再開され、少年も1日に登校。だが、その後は欠席が続いていたという。少年は中学2年の後半くらいから不登校だったという情報もある。

(yahooニュース引用)

15歳の高校生が拳銃自殺をしたという、衝撃的なニュースがありました。

自分の頭を拳銃で撃ち抜き、自殺を図ったというショッキングな出来事です。

注目を集めているのは

「なぜ拳銃自殺だったのか」

「拳銃を高校生がどこから手に入れたのか」

など拳銃にまつわる事です。

なぜこのようなことが起こってしまったのか、

自殺を回避できなかったのか?

15歳という若さで自分から死ぬことを選んだこと。

次男と同じ年でもあり、とても悲しくて仕方ありません。

この場から逃げたい。

死にたい。

私も思った事は何度もあります。

きっと次男も何度も思ったことがあるでしょう。

生きていれば、

きっと多くの人にやってくるのと思います。

自殺しなくても誰でもいつかは死にます。

辛いと思いますが

生きていれば

良かったと思う日が

いつか

きっと

来ると思います。

帰省③

次男は二ヶ月振りに私の実家に来ました。

久々に会うおじいちゃんとおばあちゃんでしたが様子の変化もなく、落ち着いて過ごしていました。

翌日、施設に戻る前に私と次男は書店に行く事にしました。

最初に学習関係の売り場に行きました。

次男「どれが良いの?」

私「計算のドリルとかは?」

次男「ドリルはたくさんやったから別のがいい。」

次男は熱心に物色していました。

じっくり時間をかけて選んでいたので私は何も言わずしばらく待ちました。

選んだのは意外にも、社会のドリルでした。

「いいんじゃない。」

次男はうれしそうな顔をしていました。

私は施設へ次男を送ったあと、家に戻りました。

長男が居間にいて、携帯電話の動画を見ていました。

私「支援学校ってどんな勉強をするの?」

長男「普通に勉強するけど、弟は重複障がいのクラスだから、自立学習しかしないよ。一般的な勉強はしないよ。」

次男は精神障害の1級手帳と療育手帳を持っています。

だから次男は勉強の事を心配をしていたのか・・・

私は担任の先生と話しもしたことがなかったのもあり担任の先生に電話しました。

私「学校が始まりましたけれども、次男の様子はどうですか?」

担任「落ち着いて授業を受けています」

私「次男は勉強の事を何かいっていませんでしたか?」

担任「自分は5年生から勉強していないので、少しでも勉強がしたいと言っていました」

私「A組は一般的な勉強をではなく、自立勉強しかしないと聞いたのですが、そうなのですか?」

担任「いえ、その子にあった学習をしますよ。来週から教科が始まります。」

「病院分校からの引継ぎで、生活面を重視ということを聞いているのですが、授業も落ち着いていますし、お父さんはどのようにお考えですか?」

私「5年生から勉強をしていないので、皆より遅れていると大変不安を持っています。

慌てなくてよい事を教えて頂きたいです」

担任「宿題はどうしましょうか?毎日だしても良いですか?」

私「宿題が簡単だと言っています。宿題の量も次男と相談していただければ助かります」

私はこれからお世話になることをお願いして電話を切りました。

若い男性の先生ですが、物分かりも良く頼りになる先生でした。

帰省②

過去の事を忘れてしまったのは、強いクスリの副作用かもしれません。

私は次男の質問に順番に答えました。

「精神病院に入院したのは、病気で幻聴や幻覚がひどくなって、直すために入院したんだよ。」

「病院を退院してから、普通の中学校に行けなかったのは、まだ病気がしっかり直っていなかったから。子供への恐怖もあって大人数の中学校へは行く事ができなかったから。」

「支援学校の病院の分校に行ったのは、ハンディがあったり、配慮が必要な生徒について細かく対応してくれるから。自分のペースにあった授業もしてくれたでしょう。」

「障がい者入所施設で暮らすことになったのは、家で落ち着かない時は、施設の静かな場所で落ち着いて過ごせるようになったから。

週末は家に帰るし、住む場所が二か所もあると考えればすごい事だど思うよ。医者の先生とも相談して決めたんだよ。」

「思い出した?」

次男は何となく思い出したようでした。続いて

「勉強がしたいのだけども、施設の職員さんもあまり教えてくれないし、支援学校の先生も教えてくれないしどうしたら良い?」

新型コロナウイルスの為、施設に缶詰め状態だった次男は再三、施設の職員さんにも勉強についてお願いをしたそうです。

「施設には何十人も子供たちが利用しているから、中学校の授業みたいに一対一で勉強を教えることは難しいよ。」

「数名の職員さんで皆の服を選択したり、食事の準備をしたり、子供達を入浴させたりするのは大変だよ。」

「担任の先生も、入学式だけしてから、新型コロナウイルスで授業ができなかったし、学校が再開してもすぐ授業はできないと思うよ。色々クラスの決め事もあるし。それが終わってから授業をすると思うよ」

次男は小学校4年生の三学期から不登校になり、1年の入院生活も入れ三年間は勉強ができる状態ではありませんでした。

病院を退院して、支援学校の中学部2年生から登校できるようになりましたが、当初は週に一日登校できれば良く。一日の授業も一時間のみからスタートしました。

学校にいけるようになる事から少しづつ始めていったのです。

次に次男は、どのように勉強をすれば良いかと質問をしました。

私「小学校からの算数や漢字のドリルとかはどう?」

次男「ドリルはたくさんやったから、他にはないの?」

私「勉強の動画をパソコンでみたりするのはどう?」

次男「施設にはパソコン無いし、家に戻った時やってみる。俺は働くことができるのかな?」

次男はとても不安な顔をしていました。

以前から、勉強をしていないので、自分は皆と比べて遅れているという不安が強かったのでした。

「まだ卒業までは三年もあるし、焦らなくても大丈夫。学校の勉強も大事だけども漫画でも良いから本を読むことはとても大切だと思うよ。」

「どんな本でも、漢字の読み方、言葉の使い方を学べぶ事ができるし色々な知識も覚えることができるし。」

次男は納得したかは分かりませんが、「勉強がしたい」なんていう言葉を聞くことができ、とてもうれしく思いました。

帰省①

政府は4月16日、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐための緊急事態宣言の対象をこれまでの7都府県から全国に広げることを決めました。

期間は当初5月6日まででしたが、5月25日までに延長になりました。

その間、次男は障がい者入所施設から外出ができなくなり、関係者以外は施設にも入る事ができませんでした。

ニュースでは、他の入所施設でクラスターが発生して、集団感染した例もありますからやむを得ません。

ようやく緊急事態宣言も解除され、次男も6月5日より帰省ができるようになりました。

次男とは何回か電話で話しはしたものの、約2ケ月振りに会います。

施設の中に入ると、私は廊下よりすぐ次男を発見しました。

次男の部屋は一階に移動していました。とても目立つ部屋です。

以前、施設を脱走したため、職員さんのすぐ目に付く部屋に移動をさせられていました。

入所してからは落ち着いて過ごす事ができるという事で二階の角部屋を利用させてもらっていました。

この部屋は騒がしくなく、窓からの景色も野原が広がっていて快適に過ごす事ができました。

今回の移動した一階の部屋はとても騒がしいのです。

施設で食事をしたり、皆でテレビを見たり、お風呂に入ったりする生活の場が一階です。その隣が次男の部屋です。

施設の利用者は小学生も多い為騒がしくてにぎやかなのです。

次男も私を見つけ、手を振り近寄ってきました。

久々に会う次男は明らかに様子が違っていました。

とてもイライラした感じで険しい顔をしています。

私は次男が脱走したという話を聞いてからとても心配をしていました。

外泊の手続きをすませると、私と次男は車に乗りました。

次男は

「部屋が落ち着かないから元の部屋にしてほしい」

私は、

「すぐにはできないかもしれないが至急、施設の方にお願いをする」

そう伝えた後、次男からの質問攻撃が始まりました。

「どうして、障がい者入所施設に入れたの?」

「どうして普通の中学校に行かせなかったの?」

「どうして支援学校の病院の分校に入れたの?」

「どうして1年も精神病院に入院させたの?」

私は驚きました。

「覚えてないの?」

次男「忘れた」

私はひとつづつ説明をしました。  つづく

99%不登校は直る

以前、「私と三人息子は発達障害です。何か? 」とう本の紹介をしました。

私はは講演会を聞いたて、内容も著書と同じだったので、併せて紹介をさせていただきました。

今書いている「統合失調症忘備録㉝」の頃は、「統合失調症」や「発達障害」などの診断名はありませんでした。

今思えば、医師もどう診断したらよいか分からなかったのかもしれません。

次男の対応に困っていた私は、医師や臨床心理士のアドバイスに従うことしかできませんでした。

しかし、いっこうに良くならない為、病院もかえました。

そうるすしか方法がありませんでした。

長男も発達障害だったので、なにかしら発達障害の関係ではないかという思いもあり、関連する本もよく読みました。

その中でも、参考になった本や、次男にはあてはまらなかったけれども、不登校についての本、親はどうしたらよいのか?などを要約してご紹介させていただきたいと思います。

お子様が不登校や発達障害で悩んでいる方の参考になれば幸いです。

今回は森田直樹著「99%不登校は直る」という本です。

「不登校で苦しむ家族の希望の書! 不登校になってしまった原因は追及せず、1日3分の家族の働きかけにより、子どもの心のコップを満たしていくことで、必ず再登校が実現します。豊富な成功事例が全国で注目の的です。」

残りの1%は何?、不登校は直るという表現でいいのか?と思いましたが、すごい自信の本だと購入をしました。

人には心のコップがある。それは自信の事をいっています。コップの大小はあるけれども、その自信を満たせば不登校は直る。ということです。以下要約になります。

・子供の良さを三つ以上見つけて、気持ちを込めて伝える。

 うれしい。楽しい。子供の持っている良さ。資質。なによりも愛情が大切

 例えば、

「あなたのおはようの声を聴くと元気だと分かるからうれしい」

「足音を聞くと本当にうれしくなる」

 子供に無視されても当然。気にしない。

 「本当にそう思うんだよ」

 それ以上の事は言わない

・親子のふれあいが必要(散歩や買物)

・子育てはお母さんの心次第で決まる。

・しつけはする。悪い事をすれば諭す

・ネットの使い方については約束する。

 ペナルティや使用禁止などを決める

・ちょっとした声掛けが必要

 「ごはんできたよ」「おやつあるよ」

・少しでも良いところを見つけて褒める。

・子供の要求を100%受け入れる

子どもの要求を100%受け入れるのは、要求がだんだんとエスカレートしないか心配だと思います。

筆者は、子供は劣等感や優越感を感じ、愛情を与えた親を信じると言っています。

私も分かるような気がします。

次男も反抗的な態度で何度も私を困らせました。

自分の事を考えてくれるか試し、愛情を確かめているかは分かりませんが、今はきちんと話を聞いてくれる子供になったと思います。

統合失調症忘備録㉞「サードオピニオン」

不登校になって5ケ月がたちました。

状態が悪くなる次男について手詰まりだった私は両親とも相談し精神科と心療内科を専門で診察している病院に行くことにしました。

家からは少し離れているのですが、完全予約制で小中学生の発達障害を持っている子供達も多く通院しているという病院です。

病院に行くと、ペアレントトレーニングの案内など、発達障害に特化した病院だと分かります。

初めての医師ですので、最初からはなす事が必要です。

・クラスが他の生徒の影響を受け学級崩壊だった事

・聴覚過敏の診断や個別授業の事

・いじめを受けて不登校になった事

以上概略を話しました。

医師は

「まず、先生の家庭訪問や登校刺激はさけてください」

「いじめのフラッシュバックや不安からの脳の働きで、スイッチが入ってしまうかもしれません」

確かに、別人のように暴言を吐いたり、暴れたりする事があるのは、今まで理由が分かりませんでしたが、スイッチが入ると思えば少し理解できます。

診察の時間がなくなっていまし翌週、再度受診しました。

現状の日常の話です。

昼夜逆転について話をすると、医師は

「昼、寝れることはいい事です。」

「いじめがあって興奮しやすいのかもしれません。気が立っていると寝る事ができません。不安定だと寝ていても悪夢をみます。」

また、私は最近の次男の心境の変化について話しました。

特に過去の事や暇という事を良く言うようになったのです。

「どうしてこうなってしまったのか?」

「学校に行っても、今更なぜきたのか思われる。転校しようか?」

「生きる価値がない。死にたい。」

「先生も分かってくれなかった。個別授業がダメだった」

医師は

「不登校の生徒は一般的にこのような事は考えますよ。」

私は対人関係の不安について聞くと、同様に

「不登校の生徒はふつうの行動です。自己防衛で弱い自分を守るという意味もあります。」

「イライラしたり暴れたりするのはストレスの保有限度が低いのかもしれません」

「これも自己防衛のひとつです」

「保有限度を上げるには、逃げ道をつくってあげる事です。ストレスがたまらないようにしてください」

最後に医師は

「今までの生活ペースで良いです。」

「家庭訪問などの登校刺激や適応指導教室に通うのはまだ早いと思います」

私は、学校の先生に連絡をして、医師からのアドバイスを受けた事を話し、翌日からの家庭訪問をやめていただくよう話をしたのでした。

旅行業界の今後②

昨日に続きまして、旅行業についてこれからどうしたら良いか?

もう少し考えてみたいと思います。

私は団体旅行の営業をしていますが、以前から団体旅行の需要は年々低下をしています。

それ故、この新型コロナウイルスによる打撃は相当きついです。

団体旅行は、種類やその目的はさまざまです。

社員旅行、慰安旅行、研修・視察旅行、修学旅行、遠足、子供会、町内会、カルチャークラブのレクリエーション旅行などがあります。

旅行は時間とお金がないとできません。

この二つ余裕があるシニア層はとても重要な顧客です

これからどうなるか分かりませんが、シニア層は外に出なくなるかもしれません。

又、旅行を敬遠するかもしれません。

この新型コロナウイルスで一番危ないのは糖尿病と肺の病気だともいわれています。

旅行に限らずシニア向けの事業も厳しくなることも予想されます。

新型コロナウイルスが常態化した後の戦略も今一度考え直さなければいけません。

前回は団体旅行において施設などの利用についてでしたが、我々旅行会社も新型コロナウイルス対策は必要です。

添乗員のマスク着用、参加される方へのマスク持参での参加や出発前日、出発時の検温も必要です。

普段の勤務についてはテレワーク・ローテーション勤務・時差出勤・オンラインでの会議の実施も他業種同様ですね。

手配する旅行サービス提供事業者は、原則として適切な感染防止対策をとっている事業者に限定したり企画旅行においては、適切な感染防止対策の実施を含めた旅程管理を行い旅行出発となる都道府県から都道府県外への移動自粛の要請がなされていない事を確認が必要です。

添乗員感染状況の変化等により旅行の安全かつ円滑な実施が困難となった場合、または可能性が大きい場合には、旅行実施又は継続の是非を検討するよう団体責任者に助言も必要です。

人数が多い場合において、時間差での食事などが困難な場合は食事を弁当にするなどして食事中の感染リスクの低減や訪問先において最寄りの保健所、医療機関の確認・相談・受診ができるように事前に準備もしなければいけません。

体調不良となり離団した方が、自宅等に戻る為に必要に応じた旅行サービスを手配できるように準備も必要ですし旅行中、要所要所での手洗い・うがいができるよう適切な休憩場所等を選択しなければいけません。

これから新型コロナウイルスの感状状況がどうなるかは誰にも分かりません。

いずれにしても、旅行会社も臨機応変な対応をするしかありません。

旅行業界の今後

明日から6月ですね。

緊急事態宣言も解除され、学校も分散登校が本格的に始まります。

私も長年、旅行業界で働いていますので今後について考えてみたいと思います。

今後、新型コロナウイルスの第二波、第三波がくると言われています。

今は緊急事態宣言が解除になりましたが、感染者数が多くなると、又緊急事態宣言がでるでしょう。

そして宣言とともに感染者数が少なくなれば又宣言の解除になると思います。

この繰り返しが予想されます。

ただ今回のような事はないはずです。

今回の件を学習し、もっと早めに緊急事態宣言がでるはずです。

ですので第二波、第三波の波はだんだんと小さくなっていくと思います。

新型コロナウイルスのワクチンは一年後にできると言われています。

インフルエンザのようにワクチンができれば新型コロナウイルスも特に問題が無くなり旅行の需要も以前のように回復するでしょう。

この新型コロナウイルスのワクチンができるまでの一年間は旅行業界は大変厳しいと思います。

特に私の仕事の旅行業界でも団体旅行は厳しいです。

なぜなら団体旅行は三つの密が多いからです。

・移動は密閉の観光バス

・食事は密室の屋内団体レストラン

・宿泊の食事も密室の屋内宴会場やレストラン

どう考えても三密が避けれません。

しかし感染リスクを回避する努力はしなければいけません。

政府が発表している感染拡大予防ガイドラインの「新しい生活様式」の実践例及び各事業者における新型コロナウイルス感染症対策に関するガイドラインが先般でています。

観光バスなら、乗務員のマスク着用や毎日の検温・健康管理、車内のアルコール消毒はもちろんです。

定期的な換気の実施や荷物の受け渡しや積み下ろしの際の直接接触回避も必要です。

又乗車人員も考えなければいけません。最低1メートルの間隔を保つ為には乗車定員の約半分の人数で乗車する必要があります。

食事施設なら、大皿料理を避け個々の盛り付け料理や従業員の毎日の体温測定・健康チェック・間隔を空けての配席・食事会場の定期的な換気・施設内の定期的なアルコール消毒・入口及び施設内の手指消毒設備の設置・マスクの着用も当然必要です。

食事に集中し、おしゃべりを控えめにお願いするアナウンスによる注意喚起もあると良いです。

宿泊施設なら1部屋当たりの人数を最大限の部屋数を確保した上で調整・定期的な換気。

施設内の定期的なアルコール消毒・入口及び施設内の手指消毒設備の設置・マスクの着用・従業員の毎日の体温測定・健康チェックは食事施設と同様です。

チェックイン時は代表者がまとめてチェックインし、他者は分散して待機させたり、

エレベーター内やボタンの頻繁な清拭消毒や大浴場での入場人数制限、食事会場において参加人数、滞在時間の制限及び席間隔の調整や座布団・座椅子・お膳などは開始前後の消毒徹底しなければいけません。

施設での食事についても大皿料理を避け、個々の盛り付けや客室内での食事の際は、横並び着席の推奨、ビュッフェ料理の場合は、セットメニューへの変更を検討する。

しかしこれらの対応は宿泊施設や食事場所の施設の方々もご苦労されると思います。

新型コロナウイルスの問題が終息すれば必ずお客様は戻ってきます。

それまでは耐えなければいけません。

緊急事態宣言が解除されて次の緊急事態宣言がでるまでの間にお客様を少しでも確保することが今できる最善な策だと思います。

私と三人息子は発達障害です。何か? ②

この本の概略はこのようです。

「笹森家は、著者本人ばかりか3人息子も全員が発達障害。イジメにあったり、学校や病院での無理解に泣 いたり、でもわが子の意外な反応に思わず笑っちゃったり。そんなリアルな体験をもとに、世間の誤解を上手にかわし、子どもの潜在能力を伸ばすノウハウを、全国各地で講演中。そのエッセンスを一冊に集約。」

具体的には三人兄弟の長男、次男の関係が我が家と似ています。

知的がある自閉症なのも同じです。

笹森家はドラえもんに例えるなら長男がのび太で次男がジャイアンだそうです。

次男はストレスをのんびりタイプの長男にぶつけるそうです。

我が家も同じです。

次男は自傷行為やパニックになりやすいそうです。

お母さん(作者)は子供を見ることが苦手で、「障害受容」には時間がかかったそうです。

この子はこの子で良いという、障害を受け入れることです。

大切なのは子供の未来を信じて3年後5年後を意識しながら精一杯頑張る。

学校の先生の対応や理解

見た目が分からない発達障害者を特別扱いするのも、他の生徒が分かったという言葉がでるまで先生が説明する。テクニックだけではダメだそうです。

みんなで考える。先生が発達障害の子の存在を消さない事が大切。

不登校の親について

不登校の親は孤独。

価値ある不登校にする。

すぐに怒らない。

人として認める。

困っていればさりげなく助ける。

家にいるとゲームや動画、漫画ばかり読んでいるのは、やることがないからするだけ。作業している。本当はしんどい

失敗する勉強(リカバリー)

失敗しても良いよ。折れることの勉強。

長男は違うと思ってもうんとしかいえない。

次男は折り合いをつける。物事でひくことができる

総合的に

真っ正面からは話しにくいので遊びから入る

そだちを見守る。待つ。

自己選択できるようにする

自己肯定感を高める。

たくましさ。

助けを求める人を助けることができるように。

自分のことを知ることができるように。

最後に「お母さんのせいでこうなった。」泣き叫ぶ子供をたくさん見てきたそうです。

心配しすぎ、気にしすぎはNGです。

快適で安心できる環境を作ることが大切。

以上、この講演会で気になることのメモです。

これから3年間不登校(入院期間1年含めて)になるのですが、参考になりました。

私の次男は結果、統合失調症になりました。

いろんな原因が考えられますが、次男は二次障害だったと考えられます。

二次障害を防げなかったのは親の責任かもしれません。

でも、次男は今立ち直り前を向き始めています。

私と三人息子は発達障害です。何か?

育つ力と育てる力 私と三人息子は発達障害です。何か?  笹森 理絵 (著)

次男が不登校になって4ケ月がたち、小学校5年生も一学期も終わろうとしていました。

不登校の状況ではありますが、次男の家での様子は日に日に悪くなるばかりでした。

医師からは「発達障害」などのこれという診断もなく、どうしてなのか?どう対応したらよいのか?という疑問ばかりで解決方法の糸口もありませんでした。

私自身も当時は「発達障害」や「統合失調症」などの診断名はどうでもよく、不登校でも日々落ち着いて過ごしてほしい。元気で生活してほしいという願いでした。

医師やSSTの臨床心理士からの具体的なアドバイスもなく、学校からは面談を求められプレッシャーをかけられるという事に嫌気がさしていました。

私は長男が「自閉症・広汎性発達障害」と診断を受けていましたので、次男も発達障害がベースにあるのではないか?

医師では判断しづらい、グレーの部分があると思っていました。

当時は自分でも、もっと発達障害について勉強しなければいけないと思い、ネットで調べたり、著書を読んだりしていました。

この時、ちょうど表題の著書である笹森 理絵 先生の講演会があることを聞いた私は会場まで向きました。

笹森さんは・・・

当事者、母親、社会福祉士、精神保健福祉士、睡眠健康指導士の多様な視点を
活かしての多様性(ダイバーシティ)、発達障害ダイバーシティサポーターと
して、保護者などの親の会、一般の方々、教育、福祉、医療、行政などの専門
職、援助職の方々に向けて、講演会や研修会の講師や委託でピアカウンセラー
をさせていただいております。発達障害の特性について、日常生活に即した具
体的な話や不登校についてのお話、私の歩んできた経験、発達障害三人息子の
子育てなど希望にそってお伝えできます。  

(ブログより引用)

発達障害は精神障害同様に目には見えない障害ですので、昨今メディアでも多く特集などで取り上げられています。

教員や行政機関、医療機関、福祉関係の方など多くの方がいるようでした。

私もこの講演会を聞いて,次男とも重なることも多かったのを覚えています。

当時この講演会を聞いたり、表題の著書を読んで思うこと、そして今「統合失調症」と診断されて、親として思う事をこの講演内容を元に考えたいと思います。

統合失調症忘備録㉝「登校刺激」

不登校になって4ケ月がたち、一学期も終わろうとしていました。

次男の状況は悪くなるばかりです。

処方されたストラテラも効果がないため、増量になりました。

次男は頭がズキズキしたり、陽気になったり、眠れなくなったりと副作用がでてくるようになり心配をしていました。

夜、担任の先生に会うこともストレスです。

次男は

「適応指導教室に行かないので何て言えばいいのか?」

「先生は質問が多いので答えるのが難しい。」

早く終わらせようと嘘をついたり、良く見られようとします。

次男は学校に行く事がはずかしいと言います

「いまさら何しに来たのかと思われる」

「学校を休むことは悪い事」

「二学期から行く」

担任の先生は学校が終わってから、車で30分かけてきてくれます。

毎日授業があって大変なのに、熱心な先生です。

担任の先生は私にも

「登校刺激が必要です」と言います。

この、先生に会うということ良くなかったのかもしれません。

この後しばらくたって、担任の先生には家庭訪問はやめてもらうのですが

今思うと早い段階から「断る勇気」があれば良かったと後悔しています。

この頃になると医師もSSTの臨床心理士の先生も同じことの繰り返しです

「昼夜逆転を治し規則正しい生活をさせましょう」

「成長する力を信じて下さい」

しかし、次男の状態は悪くなるばかりで手詰まりでした。

以前から祖母は

「病院を変えた方がいいのでは?」と言っていました。

「次男の状態が悪くなるのは、今やっていることが良くないかもしれない。」

「別の良い方法があるかもしれない」

私は次男の病院を変えることにしました。

脱走②

夕方、入所施設から電話がありました。

次男の担当職員ではなく施設の責任者からでした。

施設園長の次に偉い方なのですが私はこの人は好きでありません。

次男が施設に入所する前は、短期ショートステイという方法で施設を利用をしていました。

子供相談センターを通じこの入所施設で一時保護するという方法です。

家では落ち着かないため、施設でみていただくという事です。

精神病院の隔離病棟から退院したばかりで不安定な状況でした。

そのときに対応していただいたのがこのno2でした。

今でも忘れませんが私に

「頻繁にショートステイばかり利用されると施設の経営が大変なんです」

短期入所は一ヶ月の間15日しか利用ができないので、この為に一部屋確保しなければいけなくて効率が悪いという事です。

「他の利用者に迷惑をかけたら、すぐ入院してもらいます」

言っている事は分かりますが、追い詰められた私に耳を疑うような言葉を言い放った人です。

私が次男の担当職員にいった

「今週末に日帰りでも良いので外出の許可をだしてもらえないか?」

の返答が

「こういう事をすれば外出できるという癖がつきますから外出はできません」

予想外のことばでした。

私は怒りを抑えて

「ご存じだと思いますが、次男は病気なんです。」

「この病気には何が一番良くないか分かりますか?」

「統合失調症にとってストレスは良くありません。」

「先程、次男の担当職員さんにもいいましたが、次男は学校が始まらなくてあせっているのです。」

「不登校が長く、職員さんから様子を聞くと、勉強もみんなと比べかなり遅れているという焦りがあります」

「このあせる気持ちは本人にとって大きなストレスになります。」

「統合失調症は再発しやすい病気です。いったん症状が落ち着いても長期にわたって治療を続ける必要があります。」 

no2は理解してもらえたか分かりませんが、次男と一度話してくださいと言われ、それに応じました。

「大丈夫か?」

次男は大丈夫だと答えました。

私は無理をしてはいけないことと、脱走のことは聞かずに、イライラすると思うけども小さいことでも職員さんに相談するように伝えました。

次男は自分から脱走について話してくれました。イライラして施設を飛び出してしまった事。

すぐ我に返り、施設に戻り職員さんに謝ったことなを話してくれました。

私は明後日から学校も始まるし、来週には帰省もできるからというと

いつもの様子で「大丈夫だから」

私は電話では、次男の異変は感じられませんでしたので、no2に変わってもらいました。

私は、電話では大丈夫そうなので、しばらく様子をみていただくようお願いし電話を切りました。

仕事が終わってから、次男の施設に向かいました。

子供には会うことはできませんが、no2と話すことができました。

私は次男へのジュースの差し入れを渡し、その後様子の変化が無いか聞きましたが、変わりなく過ごしているようです。

全国的にも学校が少しづつ再開されますが、先が見えない休校の中で次男のように不安定な子もいたのではないでしょうか?

この不安定な子が不登校になってしまうのではないかと思います。

コロナの影響を子供達も強く受けないか心配ですね。

脱走

障がい者入所施設の職員さんから携帯に電話がありました。

私は仕事中だったので出れませんでしたが留守電にメッセージが残っていました。

「お子さんが施設を脱走されました。」

「すぐ戻ってきたので大丈夫なのですが、お伝えしたい事があります」

私は、昨日施設にいったばかりという事もあって驚きました。

27日から学校再開します。

6月15日までは分散登校にて午前と午後と分かれての登校です。

私は、まだ封も開けていない体操服や作業服などを届けたばかりでした。

次男には会うことができないので、職員さんに次男の様子を聞きました。

次男は

「学校にいつから行けるのか?」

「卒業まで3年しかない、このままで働くことができるのか?」

と何回も聞くそうで、焦っている様子でした。

私は職員さんに

「次男は不登校の期間が長く、皆より遅れているという意識が強い。」

「学校再開のことや外泊の日時を具体的に話してほしい。」

と伝えたばかりだったのです。

担当職員さんが今年度から変わった為、引継ぎはしていると思いますが、次男の事がまだ分からない部分も多いのです。

私は施設へあわてて電話をしました。

朝方、リュックを背負った次男を職員さんがみかけたそうです。

次男に「どうしたの?」とたずねると

「なんでもないです」と強い口調で答えたそうです。

その後、脱走しました。

でも10分程度で戻ってきました。

反省した様子で、謝ったそうです。

私はまずい状況になっていると思い

「統合失調症にとってストレスは良くありません。あせる気持ちは本人にとって大きなストレスになります。」

「統合失調症は再発しやすい病気です。いったん症状が落ち着いても長期にわたって治療を続ける必要があります。」 

「外出できるのは6月5日からの決まりですが、今週末から外泊できませんでしょうか?」

「家でも外出しませんし、もちろん家族もしませんので・・・・」

施設でも検討していただけるそうです。

次男の事が気がかりです・・・・・・・・・・。

セカオワ

5月25日付のサカオワの記事をみました。

「2020年9月5日(土)から2020年9月17日(木)までの開催を予定しておりました、SEKAI NO OWARI DOME TOUR 2020「Du Gara Di Du」は、新型コロナウィルス感染拡大による国内・国外の情勢を受け、ご来場予定のお客様、及び出演者、関係スタッフの健康・安全面を第一に考慮した結果、大変残念ながら全5公演を中止とさせていただくことを決定いたしました。」

私がセカオワに興味を持ったのは、以前、セカオワfukaseことボーカルの深瀬慧(ふかせさとし)さんがテレビで発達障害の過去を語っていた事です。

深瀬慧さんの壮絶な過去は次男とも重なる事が多いのです

「先天的な精神疾患を煩っており小さい頃から学校の勉強が苦手で成績は良くなかった模様。

深瀬はこの精神疾患とは今もつき合って生きているようで、今に至るまでに相当病気で苦労している。

先天的な精神疾患とは発達障害の「ADHD」だそうです。

中学生時代はひどい虐めにっており、不登校になってしまいました。

深瀬慧さんは中学の頃、集団リンチにあい、学校に行かなくなりました。
ヤンキーであったとも言われていますが、髪は茶髪であることが写真からもわかります。
中学時代を不登校で過ごし、その後、高校に進学しますが1年で中退。
アメリカンスクールに通い始め、留学するもパニック障害に陥り、2週間で帰国。
そして、精神病棟に入院することとなります。

現在も精神安定剤を服用されているそうです。

次男は上級生から暴行を受け小学校、中学校と不登校になっています

その後、閉鎖病棟で精神病院に1年間入院します。


自分が入院したことで、精神医療の現場を目の当たりにした深瀬慧さん。
カウンセラーになるべく、大学受験を目指したこともあったとか。
しかし、予備校からの帰り道がわからなくなってしまうほどの現実から、
その道も断たれてしまいました。

飲んでも副作用の強い薬・・・
飲まなくとも吐き気や目まい等の症状に悩まされていたそうです。

副作用で勉強した内容も忘れてしまうと言っていました。

私も次男が処方されている薬を調べましたが相当強い薬を飲んでいました。

病気になる前の直前にIQテストがありましたが、得意なものと苦手なものの差がかなりありましたが総合的には100以上はありました。

次男は不登校になってからの4年後の中学二年生から特別支援学校に通えるようになりました。

特別支援学校の高等部は療育手帳が必要になるため再びIQテストを受けますが、60まで落ちていました。薬の影響は当然あると思います。

もう学歴も、得意なことも何にもない、そんな状態で自分に残ったものは、病気と、強い薬と、出られない――閉鎖された病棟っていう。」

れまで大して音楽はやったことがなかったといいますからこれも驚きです。

その後仲間を集めて「clubEARTH」の建設に着手。この時のモチベーションを聞かれても、「もうこれしかない」という気持ちしかなかったと言います。

残された道が音楽だけだった。
次男と同じような境遇の人がその音楽の世界で大成功し、今では超人気グループになりました。

次男にも希望を持ってほしいと思います。

麒麟が来る

長男はこだわりでNHKしか見ません。

特に大河ドラマの「麒麟が来る」は大好きで欠かさず見ています。

私も歴史が好きで、その中でも戦国時代が好きなので見ています。

前回は美濃の当主でもある斉藤道三の息子と斎藤道三とで戦いをします。

息子の方が優勢なのですが、ドラマでは最後に親子で一騎打ちをします。

その時、道三は息子にむかって

「父の名をもうせ!」とすごい形相で言い放ちます。

長男にはよっぽどインパクトがあったらしく、よくこのものまねをして私たちを笑わします。

今日は麒麟がくるの19話の放映でした。

前回は織田信長は自分を殺そうとした弟、信勝を殺害するところで終わりました。

今回は信長と母と面会するところからはじまります。

幼き頃から非常識な行動とだらしがない格好で「うつけ者」と呼ばれていた少年時代の織田信長。

信長の母は弟の信勝を溺愛していました。

母の大事にしていた鳥を逃がし、大切にした壺を壊し、信長のことが嫌いだった事を伝えます。

そんな信長は、キレやすくもあり発達障害であったという書籍があります。

昔の次男のようです。

一時的には周りと軋轢を生じて不適応を起こすように見えても、長い人類の歴史から見ればなくてはならない存在だったのではないでしょうか?

統合失調忘防備録㉜「祖父母の心配」

不登校になって二ヶ月がたとうとしていました。

この頃から頻繁にイライラが強くなり、キレル事も多くなっていました。

昼夜逆転もひどく、朝方まで起きていて就寝し14時~15時に起床することも多くなりました。

週2日のSSTもいけなくなり、私一人で臨床心理士の先生の病院に行き近況を話し面談をしていました。

担任の先生もほぼ毎夜来てくれるのですが、次男の機嫌が悪くなるので悩みのタネでした。

適応指導教室は話をするだけでキレてしまうのでやめました。

ゴールデンウィークでは、久しぶりに昼間に外出しようと誘います。

久しぶりに昼間に外出をしたましたが、人の多いところは怖がり車から降りれませんでした。

私も次男の状態について悩んでいましたが祖父母も悩んでいました。

具体的にいいますと

・最近はパソコンの動画ばかりを見ている。履歴を見ると戦争、ゾンビ、殺害などを好んでみているようだが大丈夫か?。

・朝のハミガキや洗顔を嫌う。薬を飲まない事が多く飲んだふりをするようになった。

・怒らないでと言うが、怒らずにいると、「わがまま」になり「しつけ」ができなくなるのではないか?

・部屋の戸を締めないと怒る。部屋の前を通っただけでも怒る。外部との接触を嫌う。世話ができない。食事も一人で部屋にこもって食べる。

・もってこい。ついてこい。など命令口調で物を頼むようになった。

・入院をさせた方が良いのでは無いか?今の生活習慣は良くない。他人のことは聞くのでは無いか?ストレスの消化ができないのではないか?

・今の病院は合っているのか?別の病院にも見てもらった方が良いのでは?

祖父母の時代は発達障害や自閉症などという言葉が無い時です。

「日々好きなように過ごさせてください」

「本人を尊重し成長する力を信じてください」

SSTの臨床心理士の先生の先生の話をしても、分かってはくれますが理解してもらえない事も多いです。

私自身、半信半疑の部分もあります。

共働きなので昼間に祖父母が次男の面倒をしてくれることは大変助かっています。

祖父母にも次男の面倒を拒否されては困るので祖父母の対応もこの頃の大きな悩みの一つでした。

見えない障害と生きる。

ふと、テレビを見ていると、部屋が片付けられない女性のCMが流れていました。

その女性は結婚して家庭もありましたが、ご主人に部屋が片付けられない事が理由で離婚になったそうです。

部屋が片付けられない女性は、ご主人に理解してもらえなかったと話すのですがとても明るいのです。

発達障害って、見た目ではわかりにくいです。

けれどもどこか憎めません。

こんな、ストレートな「発達障害」がテーマのテレビCMがあるのだと驚き、ネットで調べてみました。

一昨年発表された東海テレビの公共キャンペーン・スポット「見えない障害と生きる。」は、部屋が片付けられない女性、文字の読めない教師、自閉症のラッパーなど、見た目では分からないさまざまな発達障害を抱える6人が登場するドキュメンタリーCMだそうです。

YouTubeにアップされるやいなや大きな注目を集め、今年1月にはJAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクールで経済産業大臣賞に選出されたそうです。

初めて見たのですが、結構前から放送されていました。

私は普段テレビをほとんど見ません。

長男がテレビを見ない為です。

唯一見ていいのはNHKだけです。

長男は耳はいいのですが「聴覚過敏」というわけではなく、「こだわり」です。

長男は、この「こだわり」が強いのです。

毎日決まったルーティーンがあります。

同じ物を飽きずに好みます。

発達障害の特徴です。

以前私は、次男が施設から外泊する週末は、次男と一緒に私の実家に宿泊していました。

新型コロナウイルスでの緊急事態宣言が発令され、次男は外泊できないので、実家に宿泊する理由もないので自分の家に泊まっても良いのですがそれを長男は嫌います。

月曜日から始まる就労支援施設に行く事に支障がでるといいます。

別に、長男は私が嫌いでは無く、いつもいない人が家にいることが苦痛なのです。

家ではテレビはNHKしか見れないので、この「発達障害」のCMも実家でみることができました。

こだわりは年を重ねたり、成長するにつれ緩和されると、発達障害の診断を受けたときに医師から聞きましたが、長男は19才になりますがほとんど変わりません。

大変な事もたくさんあります。

でも、素直で嘘をつくことができない長男には、うれしい事や愛しいと思う事も多いのです。

療育手帳

先日、長男宛に療育手帳の更新の案内がきました。

療育手帳は、主に知的障害のある人が取得できる障害者手帳です。

知的障害のある人が支援や相談などのサービスを受けやすくすることを目的としています。

長男は保育園の6歳の時に、子供相談センターにて療育手帳を取得しました。

療育手帳には、障がいの程度によりA1(最重度)、A2(重度)、B1(中度)、B2(軽度)の区分があります。

その時の長男の判定は軽度のB2でした。

知的障がいとは、具体的に聞くとIQが75以下だそうです。

その時、改めて長男は知的障がいを持っていると実感した事を覚えています。

それから、今までは2年に1度、子供相談センターにて、療育手帳の判定がありました。

18才からの判定は知的障害者更生相談所になるのそうで、判定は子供相談センターではなく市役所になります。

市役所にて係の方から説明を受けた後、判定員の方との面談が始まりました。

日頃の細かい生活面を聞かれます。

気持ちの波が激しい事、病院への通院、薬の処方など30分ほど話しました。

長男が返答に困るときは私が代理で答えますが、聞かれた事に対して、大体は自分の事を話せました。

他人の大人の方と話すのを聞くと長男が成長していると実感します。

その後、私は退室し、次男と判定員の方と二人でIQ検査をします。

一時間程度たったあと、判定員の方に呼ばれれました。

判定の結果をききますと、

「療育手帳の判定はB1になります。」

B1は中度障がいになります。知能指数(IQ)がおおむね35から49で、何らかの援助のもとに社会生活が可能です。

例えば、ごく簡単な読み書き計算ができますが、それを生活場面で実際に使うのは困難です。

具体的な事柄についての理解や簡単な日常会話はできますが、日常生活では声かけなどの配慮が必要です。

「B2の時と比べると支援の幅が広がりますので確認してください」

市役所をでると長男が

「全然できなかった」と少しがっかりしていました。

「漢字の読み書きや計算でも、昔はできていたのに忘れてしまった」

「学校にちゃんと行けばよかった」

私は、障がいの程度が重くなりましたが、支援の幅が広がることに対して、少し安心しました。

次回の療育手帳の判定は10年後だそうです。

早いもので長男ももうすぐ19歳になります。

長男もまだまだ手がかかります。

少しづつで良いのですが、自立できるようになってほしいものです。

統合失調症忘備録㉛「適応指導教室」

次男はどんどん寝る時間がずれていき、朝方に寝て昼過ぎに起きるという、完全に昼夜逆転になっていました。

不登校も二か月がたとうとしていました。

学校には定期的に呼び出しがあり、近況を聞かれます。

これがプレッシャーなのです。

本当なら行きたくありません。次男の様子を伝えて、学校から学校に来るようにいわれるだけですから。

ただ私は仕事柄、校長先生や学校の上役の先生方も以前からある程度知っていました。

学校は私にとってお客様なので、学校が不審に思う事もできませんでした。

学校のいうことが無視できれば、次男への対応も変わっていたかもしれないと思うと申し訳なく思います。

校長先生から

「適応指導教室へ行かないか?」と話がありました。

適応指導教室とは様々な要因により不登校及び不登校傾向にあるなど、学校生活に適応することが困難な児童生徒を対象とし、個人や小集団での段階的な各種活動を通して、生きる力を高め、より個に応じた相談活動や援助活動、学習指導を行い、自然な学校復帰ができるなど個々が自立の方向を見出し、自己実現を図ることができるように支援していいる施設です。

以前、問題児のA君が通っていた、学校からは車で20分くらい離れて施設です。

次男に話すと興味はあるようです。

最初はどんなところか見学をする事になりました。

車で適応指導教室のある場所まで行くのですが、私の実家とまったく逆方向なので、車で40分くらいかかります。

最初は素直に見学に行く事に応じていたのですが、近くなるとだんだんとイライラし始めました。

「やっぱり行かない」

戻ることになりました。

送迎だけでも大変なのですが、ずっと家にいるよりはと思い、本人の興味がある限りはこれからの選択肢の一つとして取り組みをする事になったのでした。

統合失調症忘備録㉚「昼夜逆転」

この頃からだんだんと寝るのが遅くなり、朝起きるのも遅くなりました。

ころ頃私はは、学校にいけなくても規則正しい生活だけはと思い、夜9時までには風呂に入り、一緒に寝るように心がけていました

けれども次男は寝れなかったり、途中で目が覚めてしまいます。

寝れないので、パソコンやゲームをして過ごします。

そして普通の昼夜逆転ではなく、どんどん寝る時間がずれていくのです。

もちろん食事の時間もむちゃくちゃ。起きている時間は漫画やゲームばっかりするようになりました。

そのうちゲームだけでは飽き足らなくなり、パソコンに興味を持つようになります。


パソコンにすごい勢いでのめり込み、動画視聴などで一日は過ぎていくようになりました。

絵にかいたような引きこもり生活になりました。

私は次男ににどう接したらいいのか悩みました。

一般的に不登校になると昼夜逆転をして、ゲームやパソコンにのめり込むことが多いようです。

不登校になった子どもは、「学校に行けなくて申し訳ない」と罪悪感でいっぱいな場合が多いです。

そんな子どもにとって、みんなが登校したり、親が仕事に出かけたり、家事を始めたりで「一日が動き出す」朝という時間はとても辛いそうです。

みんなが活動する時間帯は寝て過ごし、世間が静かになる夜の時間に動くようになります。

次男は自分の気持ちを言葉にするのが苦手なので、そういったしんどい気持ちからイライラにつながり暴言になったと思います。

自分でもどうしたら良いのか分からないのです。

次男は当時

「自分は働けるのか?」

と心配をしていました。

次男がゲームやパソコンにのめり込むのは

「いじめにあった現実から逃避したい」という気持ちもあったと思いますが

「これから自分はどうなるんだろう」と不安で苦しんでいたと思います。

そんな不安とまともに向き合うのは、子どもにとっては辛い事です。

そこで、ゲームやパソコンにのめり込むことで気をそらしているのです。

ひきこもりになる理由はそれぞれだと思いますが

私は子どもが安心して過ごせる場所を守り、子どもの成長を信じて待つことが大切だと思います。